洪水の原因は生活様式の変化
この数年、雨の降り方が変わって洪水が増えている。
この洪水は、大戦後続けられてきた治水の想定を遙かに超える雨が降るのが主原因である事は間違いがない。 しかし別の原因として生活様式の変化もありそうに思える。
現在多くの住宅が建てられ人が住んでいる川沿いの平地は、江戸時代には主に住居は少し高い場所を選んで、あるいは土盛りをして建てられていた。 大雨が降れば水田が水浸しになるのは当たり前のことだったからだ。
しかし大戦後治水が進むと、洪水のリスクが無くなった川沿いの低地にも人が住み始めた。 さらに食糧政策が変化して稲作への支援金が無くなると、農民の中にも農地を手放して企業で働く方が有利と考える者が増えた。 これによって農地の宅地化がさらに加速された。 これが川沿いの低地に住宅などが増えた原因だ。
このような経緯で水田の宅地化が進んだのだが、江戸時代には当然起きる水田の浸水に対する対策も採られていた。 その一つが、浸水しても稲が倒伏しないように流れを抑える工夫だ。 その代表が霞堤で、これは流れに平行な堤を作ることで下流側から浸水させ、下流域に対する遊水池の役割を果たさせる。 この場合、水は下流から流れ込むので緩やかで稲は倒伏しにくい。 これに対して水が上流側から流れ込むと、流速が早くなるので稲が倒伏しやすい。
このように霞堤は水田を遊水池として利用しつつ稲の被害を最小限にとどめようとするものだった。 しかし住宅地を遊水池には出来ないので、少しの水もあふれないことが求められる。 その結果、遊水池が無いので下流の洪水リスクをさげるには堤防を高くするしか無い。 それがまた、越流が生じた際の流れを激しくして被害を大きくしている。 この点については洪水対策の考え方についての反省点と言える。
今後の考え方として、川の近くにある水田を遊水池として利用できるようにする事は必要だろう。 そして遊水池として利用したことで出た農作物の被害はきちんと補償する。 被害補償をしても洪水の復旧費よりは遙かに少なくて済むだろう。
水田1haあたり水深10cm毎に100x100x0.1(m)=1,000(トン)の水を逃がすことが出来るのだから一考の価値はあると思う。
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