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August 11, 2019

紀元前の日本人も文字を使っていた!?

どの局のニュースだったか忘れたが、最近の発掘調査で紀元前の遺跡から文字を使っていた可能性を示す石片が発見されたそうだ。

日本での文字の使用については飛鳥時代以前の物証がないので、4~5世紀に中国から伝わったと考えるのが一般的だろう。 しかし3世紀に書かれた魏志倭人伝中に、ある国では毎年の収穫を記録していると言う記述が有り何らかの文字が使われていたことが記録されている。 また、卑弥呼などが中国に送った施設は何らかの親書や献上品の目録を携えていったはずなので、その時代には中国の文字を読み書きできる者がいたことは間違いない。

その観点から見ると、魏志倭人伝などの中国文献に登場する倭国の地名や国名も、中国人が音訳で書き記したのではなく倭人が既にそう書いていたものをそのまま採用した可能性もある。 つまり万葉仮名式の倭語の記述法が既にその時代に始まっていた可能性がある。 また、その時代の朝鮮半島南部でも同じような記述法が行われていた可能性は大いにある。 これは日本語での地名と朝鮮半島で伝えられた地名が異なった原因にもなり得る。 古代朝鮮人が現地語の地名を音訳する方法と、地名の意味を中国語で表す二通りの方法を使っていたと考えるとわかりやすいからだ。

それはともかく、魏志倭人伝には真偽の程は定かではないが夏王朝の時代に倭人の大夫が使者としてやってきたとの記述もある。 この倭人がどこの倭人か定かではないが、中国東方海上の民族が紀元前から大陸との間を行き来していたことは確実だろう。 そんな交流の内に中国の文字を覚えて倭人流に使い始めた可能性は大いにある。

中国文化の影響下にあって、周辺民族が中国文字をまったく知らずにいたと考える方が無理がある。 むしろそれぞれの民族がそれぞれの使い方を工夫していたと考える方が自然だ。

日本では風土記以前の文字記録がないではないかと主張する者もいるだろうが、私はそれは風土記編纂に伴って大和朝廷がそれ以前の文字記録を破棄させたからだと考えている。 そう考える方が、記録が全くない原因として自然だからだ。

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