世界の流れは電気自動車に
日本のトヨタなど大手メーカーがハイブリッド自動車や水素燃料電池自動車にかまけている間に、世界の流れは一気に電気自動車に変わりつつある。理由は他にもあるかもしれないが、アジアにおいては特に都市の大気汚染対策だろう。中国やインドの大気汚染はすさまじい物だ。
さらに見逃すことができないのは、電気自動車は専門メーカから電池の調達さえできれば、技術的に簡単で途上国でも容易に製造に乗り出せることだ。特に大多数の自動車が使われる都市とその周辺の交通に関しては、高速性能も優れたハンドリング性能も不要だ。また長い航続距離も不要だ。極端に言えば走れて曲がれて止まれれば良い。まして途上国では自動操縦もItoOも不要だ。そして困ったことに、これは高度な機能で高価格にして売ろうとする日本企業の指向とは全く方向が逆だ。
つまり、高機能高価格に執着して途上国市場を失った日本の家電メーカと同じ道を自動車メーカーもたどりかねないということだ。
途上国のメーカーが簡素な構造で低性能だが低価格の製品からスタートしても、かつての日本メーカーがそうだったように20~30年もすれば低価格高性能の製品を作るようになるだろう。また途上国政府もそれを懸命に支援するだろう。そのような状況では、米国のメーカーが自分たちに都合の良い路線に執着して市場を失ったように、日欧のメーカーも自分たちに都合が良い路線にこだわっていれば、途上国のメーカーに主要な市場を奪われ衰退することになるだろう。
それを見越した欧州の主要メーカーは一気に電気自動車に資源を集中しようとしている。日本メーカーがこれまでのハイブリッド自動車や水素燃料電池自動車への開発投資を惜しんで、それに執着していれば完全に世界の流れに乗り損ねる。これらはすでに時代遅れの技術になりつつあるのだから。
もちろん内燃機関も特定の市場を持ち続けるだろう。都市から遠く離れた僻地等で長い距離を走る必要がある、ランドクルーザーやハイラックスが重宝されている様な場所では、高度な設備なしに修理ができ、燃料の調達も容易でタフな内燃機関自動車がまだしばらくは必要だろう。また。大排気量の超高級車も、富裕層の飾りやおもちゃとして一定の需要は残るだろう。しかしそれはニッチな市場で、大量の需要がある主な市場では無い。
« 時代劇;水戸黄門 | Main | 1984が現実に »
« 時代劇;水戸黄門 | Main | 1984が現実に »
Recent Comments