邪馬台国はどこにあったか?
邪馬台国がどこにあったかは相変わらず議論が分かれている。 原因の一つは「邪馬台国」が「やまとのくに」とも読めることにあるのだろう。
「やまと」と言えばすぐに思い浮かべるのは「大和」であるが、九州にも「山門」のように「やまと」と読む地名は存在する。 そこでトンデモ科学者らしい推論を一つ。
それは「大和」は九州にあった「邪馬台国」が移ったものだと言う考えだ。 つまり「邪馬台国」が東に移動したことを伝えるのが「神武東征」の物語と考えるのだ。 言い換えると「卑弥呼」の「邪馬台国」は九州にあったが、その後継者が何らかの理由によって東に移動して「大和」になったと考えるのだ。 こう考えれば二つの「やまと」の説明が簡単になる。
東遷の理由は「天照大神」が伊勢に天下って鎮まったとされることと関係がありそうには思う。
補足;「大和」の「和」は本来「倭国」の「倭」であり、この字が「矮小」の「矮」に通じるところから、この字を嫌って「和」を使うことにしたのでは無いかと私は考えている。 現代の標準中国語では「倭」と「和」は全く異なる音であると理解しているが、古代中国語のある方言では似た音であったのかもしれない。
追記(2020/11/01);
この夏に見た邪馬台国を扱ったNHKの番組中で、中国の学者が「神武東征」と北九州と畿内に類似した地名が多いことを根拠に、邪馬台国は最初は北九州にあったが後に機内に移ったのでは無いかと述べていた。 地名の類似については、海士族が移住先に元の居住地の名前を次々とつけていった(*)事を考えると十分にあり得る事だ。
(*)白浜、勝浦その他の同じ地名が九州から房総までいくつもある。
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