歌詞か歌詩か;ボブ・ディラン受賞で思うこと
今年(2016)のノーベル文学賞はボブ・ディランに贈られると発表された。ある新聞は歌手に対象が広がった、またある新聞は大衆化に踏み出したと書いているが、これらは必ずしも正しくないと考える。
なぜならば,日本のシンガーソングライターの多くはまずメロディーを考えそれに詞(言葉)をつけるのに対し、欧米のシンガーソングライターの多くはまず詩(ポエム)を書きそれにメロディーをつける違いがあるからだ。つまり日本のシンガーソングライターはまず作曲家であるが、欧米のシンガーソングライターはまず詩人なのだ。その証拠に欧米のシンガーソングライターが書いた歌詞のほとんどは、厳密に詩のルールに従って書かれている。
従って、今回のボブ・ディランの受賞も音楽家としてではなく、詩人として評価の対象になったのだと思われる。
付け加えると、プロテストソングの時代、それを支持した若者の多くはヒッピーたちを含めてインテリだった。ボブ・ディランの支持者たちの多くもまたインテリだったのだ。その点で今回もまたハイインテリの好みが色濃く反映されているといえる。
今回ボブ・ディランが受賞したことで、そう遠くない将来、やはり優れた詩を多く書いているビートルズのメンバーが受賞する可能性も出てきたと考える。最も優れた詩を多く書いたジョン・レノン亡き後となっては難しいかもしれないが。
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