四神の色は土の色
先日、BS3で秦と始皇帝に関する番組の再放送を行っていた。それを見ていて、前回に見落としていたことに気がついた。
それは四神の色が中国の土の色に由来していると言うことだ。秦が起こった西域の土(砂)は白く、東方の土は含有する鉱物によって青みを帯び、南方の土は酸化鉄を多く含み赤味を帯びる(*1)。そして北方の腐植質を多く含む土の色は黒いのだという。そして研究者によると、始皇帝の兵馬俑にはこの四色に中原の黄土を表す黄色を加えた五色の彩色が行われ、全土の統一を表していたのだそうだ。そして番組で紹介された兵馬俑の展示館には、その様な土のサンプルも展示されていた。
これはまさに四神(青龍、朱雀、白虎、玄武)の色と同じだ。番組では四神の色との関連の指摘はなかったが、四神の色は中原から見てそれぞれの方位にある地域の土の色が割り当てられたと考えて良いだろう。四神の色は四季を表す、あるいは一日の時間の経過を表すという考え方が一般的だが、西方の白の説明は感覚的に分かりづらい。むしろこの土の色が方位の色となり、方位を司る四神の色とされた。それが後に四神が季節と関連づけられた時に四季を表す色となった、と考える方が分かりやすいと思うのだがどうだろう。
*1;学校の地学で学ぶ熱帯の土、”テラ(土)ロッサ(赤)”を思い浮かべれば良い。 含有する酸化鉄(Ⅲ)によって赤色を呈する。 また東方の青い土はグライ土と呼ばれ、地下水で還元されるために鉄(Ⅱ)化合物の青または青灰色を呈する。
*2;五色の土の分布に言及している文献を見つけた。
「古代中国の土壌認識について」久馬 一剛,肥料科学,第33号,73~106(2011)P88(PDF文書P10)
該当部分を以下に引用する。
「 社稷壇に用いられている土壌の色は,中国の土壌分布の概貌をよく示しているといえる。中国の中部は黄土高原と黄土由来の沖積平原,北方には有機質を多く含む黒色あるいは暗色の森林土壌と黒土帯が,西方には砂漠と砂漠縁辺を構成する白色(浅灰色)の灰(カイ)土が,南方には紅壌地帯があり,東方には沿海地区の湿地のグライ土壌(水に漬かって青灰色を示す土)があり青色を呈するとしてよい。現代の土壌学の知識から見ても,方位と土色との関係には大きな齟齬はないとしてよかろう。
ただこの五色土の考え方は,中国の戦国時代の陰陽家騶衍(スウエン)によって唱えられた五行説と強く結びついていると思われる。五行説における5方と5色とを組み合わせると,まさに五色土の配置と合致するのである。五行のひとつである「土」は方位としては中央に配され,色は黄にあたる。「木」は東と青,「火」は南と赤(朱,紅),「金」は西と白,「水」は北と黒(玄)である。この一致が何を意味するのかは大変興味深い。まずは五色土台としての社稷壇が五行説以降のものであることは確かであるように思われるが,それにしても中国の広い版図の土壌の分布を古代中国の人々はすでに知識としてもっていたのであろうか。もしそうであるとすれば,土に関する知識(Bodenkunde)としての土壌学,中でも土の生成と分布に関わる知識としての土壌地理学は,古代中国に胚胎したといってもよいのではなかろうか。」
追記(2016/09/05);
中央を表す色が中原の黄土の黄色であることから、中原の覇者で世界の中央に立つ皇帝の衣装の色が黄色になったのかもしれない。
追記(2017/01/13);
そういえば、仏の世界の四方を守る四天王の肌も基本的に四神と同じに彩色されている。
東の持国天は青緑色、南の増長天は赤色、西の広目天は白色。但し北の多聞天は黒では仏堂内部の暗がりでは見えにくいためか、紺または暗紫色に彩色されていることが多いようだ。
« 宜野湾市長選挙;本音と建て前論の対立 | Main | イランの経済制裁解除は世界経済の救いの神? »
Comments