人生に失望した人々の受け皿
人生に失望したり嫌気がさした人々による流血の犯罪が絶えない。死刑志願者による犯罪と言っても良い。人生を悲観して死にたいと思うが自殺の決断も出来ないので、重罪を犯して死刑にしてもらおうと言うわけだ。そして確実に死刑にしてもらうには大勢を殺したり残虐に殺したりすれば良いだろうと考えるのだ。
このような理由による犯罪を防止するにはどうすれば良いのだろうか。私はこのような人々の受け皿が必要なのだろうと考える。
かつては、このように人生に失望した人々は出家して仏門に入る事が多かった。そして修行して心の平静を取り戻したのだろう。長い間、仏教はこのようなやり方で人々を悩みや心の苦しみから救済してきたが、この方法は今では使えないのだろうか。
仏教界は末寺の維持に苦しんではいるが、宗派全体としては裕福なところもある。その様な教団が、人生に失望した人々を積極的に受け入れて救済する活動を行えないものかと思う。
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