トンデモ科学者の疑問;天文編「宇宙の果て」
2015/06/25に放送されたNHKのコズミック・フロント☆NEXTのテーマは、「宇宙の果てのミステリー」でいくつかの点でなかなか興味深いものだった。
1,宇宙の果ての意味
宇宙の果てがどんな状態あるいはどんなものであるかを議論するには、最初に宇宙の果てとは何かを定義しなければならないのだが、これは常に曖昧なままにされる。今回もまたそれは曖昧なままで、異なった観点に基づく「宇宙の果て」が区別されずに登場したように思えた。これは恐らく、現時点では「宇宙の果て」は科学的なものでは無く、むしろ哲学的概念と言うべきものだからだろう。
実際に科学的手段で観測できる「宇宙の果て」は、ビッグバン後空間が透明になり電磁波が伝播可能になった瞬間だと言える。その理由は、電磁波の点播速度(=光速)が有限であるため、「遠くを見ることは時間を遡ること」だからだ。番組内で解説された「宇宙の果て」は、観測可能な宇宙の全ての場所が等しくビッグバン後137億年後であるとした場合、あるいは無限大の速度を持つ観測手段を用いて観測できると仮定した場合について考えているようだ。これが現時点の「宇宙の果て」が科学的なものではなく哲学的概念だと感じる理由だ。
現実に科学的手段観測できる宇宙の果てについて考えてみよう。観測に利用できるのは様々な波長の電磁波なので、電磁波で観測できる限界が観測可能な宇宙の果てと言う事になる。これはビッグバン後に宇宙が晴れ上がり電磁波が伝播可能になった時点であろう。これは約137億年前だと言われている。つまり科学的に観測可能な宇宙の果ては、約137億光年の彼方ではなく約137億年の過去だと言う事になる。
ところで、宇宙を見渡せばどちらを見てもその果ては同じ約137億年前のビッグバン直後で、爆心点を意味するグラウンド・ゼロに習えばコスモス・ゼロを見ることになる。言い換えると、周囲を見渡すことはコスモス・ゼロを回りから眺めることと同じだ。これは奇妙に見えるが、一方の磁極から磁力線に沿って他方の磁極を見るのに似ている。一方の磁極から全方向に出た磁力線は全てもう一方の磁極に集まるからだ(これは電気力線でも同じ事だが)。
また別の見方をすると、観測できる限界はビッグバン直後の極小の一点だ。そして観測者の周囲は全て過去である。言い換えると未来つまり観測者の後方の宇宙は存在しない。この点から考えると宇宙の果ては観測者自身と私は考える。そしてこれは以前の記事で書いたことだが、見る方向を変えることは宇宙の表面を移動するのと等価だ。
2.宇宙の外側の意味
宇宙の外側がどのようなものであるかについても様々な考えがあるようだ。と言っても宇宙の外側には我々が知覚できる座標系は通用しないのでそのイメージはつかみにくい。番組では泡のような形で既存宇宙を表す一般的なイメージが用いられていたが、実際に宇宙の外側があるとすれば、そしてその特性の一を知覚できるとするとどんな物になるのだろうか。
3.宇宙の終焉(ブラックホールから光が脱出できる?)
宇宙の終焉についても現在は膨張し続けると言う考え方が主流のようだが、その果てに何が起きるのかについても様々な説があるようだ。
星々がエネルギーを使い尽くしても、空間の膨張によって星々の間隔が拡がるために次の世代の星が生成されなくなり、永遠にその状態が続くという考え方もある。しかし今回紹介されていたのは、全ての物質がブラックホールに吸い込まれた後、ブラックホールから光子が流出して質量が失われる事でブラックホールが蒸発するというものだ。光子はエネルギーだけで質量がないため重力で引き留められずにブラックホールから出て行くことが可能だという考え方だ。これは「光も脱出できないブラックホール」という説明からは想像できないが、質量を持たない光子(=光)は重力による減速は受けないので矛盾はない。
そして全ての物質とブラックホールが消失する。この状態はビッグバン直後の状態と同じなのでここからまた新たな宇宙が始まるのだそうだ。
この説明を見て昔読んだSFを思い出した。このSFは膨張と収縮を繰り返すいわゆる振動宇宙説に基づくもので、遙かな未来宇宙が一点に収縮するがそのときに収縮点を占有していれば思い通りの宇宙が作れるので、宇宙の中心を占有する為の戦いが起きるというものだった。
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