液晶テレビ(Sharp AQUOS LC-22K3,Malaysia製,いわゆる偽装日本製品だ)が故障した。画面全面に黒い筋が入り、放送画像はその後ろで白っぽくなり、非常に残像が多い状態でほとんど読み取れない(下図参照)。デコード済みの放送映像とオーバーレイする表示情報を合成して画面を作り上げるユニットが壊れたのではないかと思うが、液晶ドライバーユニットの方かもしれない。

購入してまだ2年9ヶ月なので、日本メーカーの製品としてはずいぶん早い故障の発生だ。
かつてメイドインジャパンの製品が海外で好評を得ていた頃、ジャパンクオリティとは耐久性が高く滅多に故障しない点が魅力とされていた。しかし近年、日本製品のこのような特長がすっかり失われてしまったようだ。かつての基本機能はしっかり押さえ、故障せず長持ちするというセールスポイントはコスト競争力を理由に捨てさられ、多機能高価格のブランド商品を売ることに方針転換した。また、長寿命は買い換え促進のじゃまになりコストもかかる過剰品質だとして、商品サイクルに合わせた短寿命化がはかられた。
しかし、短寿命でよいと言うことからパーツの品質(信頼性)を落として安価な物を用い始めたように思える。今回のテレビは2年9ヶ月だったが、昨年末に買ったJVCのアクティブスピーカーはわずか一ヶ月で故障した。このように、故障時間が短い物が混じり込むのは、品質のばらつきが大きい低信頼性の安価な部品を使っている結果のように思える。
かつて米国車について、「大きく装備が豪華で乗り心地も良いが故障が多い」と評価された時代がある。そこに日本車が「小さく装備が劣るがタフで故障が少ない」ことをウリにして進出していった。この故障しにくい高信頼性が日本メーカーの武器になったのだ。しかし、今の高級ブランド化をもくろむ日本製品は、かつての米国製高級車のように、「見た目がよく多機能だが高価すぎ故障が多い」製品になっている様な気がする。
そして、私はこれが世界市場で日本製品が敗北し続けている理由だと思っている。
高級ブランド品とは3世代以上受け継いで使える程の耐久性があるのが普通だ。1世代持たずに壊れてしまうような物はブランド品の名に値しない。
追記(2013/06/21);
代替機は発注したが、直せるものなら直してパソコンのサブディスプレイにしようと思って販売店に持ち込んだ。販売店は見積もりだけでも1000円以上かかるからと、電話でメーカーに修理費の概算を問い合わせた。その結果は液晶パネルが壊れているので交換が必要で30,000円以上かかるとのこと。これは注文した東芝製代替機の販売価格よりも高い。
私は上記の症状から液晶パネルの故障ではなく、信号処理系の故障と考えているのだが、電話でメーカーの修理窓口の係員とやり合うのも面倒だし、メーカーに送ってもやはりパネルの毛管が必要と言い張るだろうと見たので廃棄処分することにして、販売店にリサイクル処分を依頼した。
これまでにも経験したことだが、メーカーの修理窓口の係員は専門知識があまりなく、ただマニュアル通りの最も安易な修理方法を答えているとしか思えないことがある。最近の耐久性(MTTF;初発故障までの平均時間)の低下や、通り一遍でおざなりな対応などはかつて世界を席巻した日本品質には無かったものだ。
今の日本メーカー製品は、安価なパーツを使ってコストを下げることで基本機能と耐久性を低下させて買い換えサイクルを早め、代わりに必要不可欠ではない付加機能をつけて高価格化をはかっている。しかしこれでは、基本機能と耐久性はしっかり担保した上で低価格の製品を供給する、韓国企業や中国企業には勝てない。
かつて日本品質への評価、「安くて丈夫」は今や韓国や中国の製品に与えられ、日本製品は「豪華で多機能だが、高くて壊れやすい」と言う評価になりつつある。これでは韓国や中国のメーカーに太刀打ちできないのも当然だ。
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