体罰と暴力の混同
コーチや指導員の体罰が非難されているが、ニュースを聞いたり記事を読んだりしていると、する者もされる者も、また非難する者も擁護する者も、皆体罰と暴力を混同しているように思える。あるいは、その境界や区別に付いての共通認識がないままに議論されていると言っても良いかもしれない。
私の考えでは、体罰と罰であり暴力的なものではない。戦前の気風がまだ引き継がれていた、私が子供の頃の学校で体罰は珍しいものではなかった。たとえば、授業中に騒いで教壇脇や廊下に立たされる体罰は日常的なものだったし、いたずらや宿題をしてこない常習犯もよく立たされた。これはれっきとした体罰だ。そしてこれも今は、子供の学習の権利を奪うとして非難されるようだ。
私の子供の頃でも、体罰の多くは暴力的なものではなかった。しかし時には教師に殴られたり顔をはられたりすることもあった。その代表的な理由は、度の過ぎたいたずらを繰り返したり、軽い体罰を受けても行動を改めないなどというものだった。悪ガキだった私も、何度かいたずらの度が過ぎて小突かれたり殴られたことがある。しかし、いたずらの度が過ぎればそうなるのを承知の上でやっていたので、やっぱり度が過ぎたかとけろりとしていたものだ。
しかし、その当時でも暴力的な教師はいたが、罰の度を超えた暴力は当時でも同僚教師から非難され、転勤させられたりしていた。暴力は暴力で罰とは別物というわけだ。しかし高校や大学の運動部では、「気合いを入れる」と称する暴力行為が指導者や上級生から行われていると言う噂は始終あった。また、根性を鍛える為と、そのような行為を称揚する気風も一部にあった。しかしこれは、戦中の軍隊で横行していたという新兵いじめと同じ根をもつパワーハラスメントであり、体罰とは全く別のものだ。
世の中には理由抜きに禁じられている行為がある。それを教える為には体罰が必要な時もある。欧米では今でも、社会的なルールに反する行為を行った子供に対する標準的な体罰の与え方がある。体罰は罰であり必要性があるものだ。しかしそれと暴力やハラスメントと混同してはならない。行う方も非難する方もだ。
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