大きいことはいいことか?
バブル景気に日本中が沸いていたころ、かの山本直純氏が大勢の子供たちを引き連れて「大きいことはいいことだ~」と歌い踊るコマーシャルスポットがあった。あれは確かにあの時代の気分を反映していたと思う。
そしてそれはバブル崩壊後も続き、「大きい事がよいこと」と地方自治体の合併が推し進められた。これは後に「平成の大合併」と呼ばれることになるが、その根拠は大きくなることで効率化が図れ、国も自治体も経費が削減できると言うものだった。しかしその結果、大組織としての効率向上を求める「十把一絡げ」の大雑把な行政がまかり通ることになった。また、その為に無駄な経費が増えた部分も少なくない。
それは当然だ。組織が大きくなれば取り扱う事務の量が増え、細かな個別事情を斟酌していては物事が進められなくなる。だから行政機関としては杓子定規に逃げ込まざるを得ない。これが大組織における弊害の典型だ。そしてそれが現在の地方行政に血が通わないと言われる原因の一つになっている。
この点、西欧諸国における地方行政のシステムには日本とは対極的な部分がある。西欧主要国ではいまだに村や町などの小さな単位が重視され機能しているからだ。
このような小単位では役人も議会議員も無給のパートタイムが多く(代わりに受け取るのは名声と尊敬だ)、専従職員がいない場合もあるので人件費は低く抑えられている。単位が小さいので取り扱う事務や議案の量が少ないので、パートタイムでも十分処理できるのだ。また、住民が相互に熟知しあっているので、きめの細かい対応ができる。そして村や町が単独では処理できない問題については、上部組織である「郡」の議会や行政機関が処理する。これらは村や町から選ばれた者達が集まって組織し、必要に応じて専従職員を持つ。そして同じ階層構造(ヒエラルキー)が県・州の政府へ、そして国家に至るまで積み重なって機能している。国から村や町に至るまで、仕事の規模と質による分業制が確立しているのだ。
この点が国と地方の間で、責任の押し付け合いや権限の奪い合いばかりしている日本とは大きく異なる。小さいからこそできることもある。日本も、小さい組織のメリットと、それを生かすシステムを取り入れるべきだ。
その為には「平成の大分裂」があっても良い。
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