周辺視
この半年ほどの間に見たいくつかのNHKの番組で、優れた運動選手は周辺視の能力が優れていると説明されていた。
周辺視とは、視野の一点(通常は中心)に集中してみるのではなく、視野の周辺部まで注意力を広げて、同時に多くの対象を見る能力と言って良いだろう。たとえば、サッカー選手がボールを受け取って次の行動を決める際には周辺状況を把握しなければならない。優れた選手は、視線を動かさずに視野内の全ての選手の位置と動きを一瞬で把握できる。これが視野が広く、周囲がよく見えている選手の状態だそうだ。
同じ様な事は野球のキャッチャーについても言える。ランナーがいる場合、キャッチャーは投球とランナーの動きとを同時に把握しなければならない。投球だけに集中していればランナーの動きが見えず盗塁される。また、ランナーだけに集中すれば捕球に失敗してやはり進塁される。だからどちらかだけに集中していてはいけないのだ。
これはまた、自動車の運転でも言える。運転者は自分が走っている車線の前方状況を把握していなければならないのは当然だが、同時に横から出てくるものがないかどうかを視野の端で監視し続けなければならない。その能力が低い運転者は事故を起こす危険が増大する。実は現在の主流であるドアミラーは、かつての主流であったフェンダーミラーに較べて欠陥がある。なぜならば、フェンダーミラーは視線を前方に固定したままで視野内にとらえ続け、後方の状況を把握し続けることができたが、ドアミラーでは視線を大きく動かさねばならないからだ。この点、安全確保という点ではドアミラーの方が劣っている。
さらに、同じ事は政治についても言える。何かを思いついた場合、あるいはしようとする場合、それのメリットとデメリットの両方を把握しなければならない。その為には、課題とその周辺との関係を正確に認識して、やろうとすることが周辺の物事にどのような影響を与えるかを知っておかなければならないのだ。しかし、最近の政治家たちそして有識者と呼ばれる人たちにはそれが十分にできない者が多い。メディア受けを狙って故意に問題発言を繰り返す様に見える者もいるが、細く巻いた紙筒を通して対象だけを見ているとしか思えない短絡的な発言が多いからだ。そしてその結果、不適切な混乱やトラブルを引き起こしている例が多い。
優れた周辺視の能力は政治の世界でも不可欠で、それができない政治家は有害なだけだ。
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