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May 2012

May 30, 2012

梅雨入り近づく

気象庁などが本州の梅雨入りが近いと発表している。

しかし高層気象図を見ると、相変わらず西風は大きく蛇行しその変化が激しい。その影響で先日は南仏に寒気が流れ込み、大量の雹が降ったりゲリラ豪雨が発生したそうだ。

今年の梅雨は荒っぽくなりそうだ。渇水やゲリラ豪雨で被害が出ないことを祈ろう。

流れは原子力発電所稼働へ

原子力発電所の再稼働へ向け、外堀が埋まりつつあるように見える。表向きは声高に再稼働反対を唱えてきた地方首長たちが、急激にトーンダウンし始めたからだ。

元々、票目当てのジェスチャーの要素が強い事が透けて見えていたが、エネルギー供給不足とそれがもたらす現実の問題を冷静に直視し始めた一般国民の変化と、深刻な雇用問題、そして産業界からの圧力などによって、地方自治体の首長たちは国主導であれば容認する姿勢を鮮明にし始めている。つまり、国に押し切られたことにすれば自分たちの選挙の票に響かないという狡い考えだ。ただし、その狡い考えは一般国民にも言える。我々が選んだのではない、国に強制されたのだと言う自分に対する言い訳ができるからだ。

いずれにしても、脱原発に必要な電力をまかなう発電施設の建設には20年以上(環境アセスメントの簡略化などがなければ50年)かかる。節電で停電不安を安心して切り抜けられる所まででも最低10年はかかるだろう。そして、それまでの電力不足を一般国民が我慢することはないだろう。

スムーズな移行の為には、非原子力、非火力の発電施設を建設しながら、稼働を開始した設備の能力に見合う原子力発電所を止めて行くと言う、現実的な手法をとらなければならない。

サボタージュ

過去の自民党政権時代も、今の民主党政権下でも、野党のすることは同じ。党利党略目的のサボタージュばかり。

次に政権が交代しても同じだろう。

最近、政党中心の政治から脱却すべきと思うようになった。

通過儀礼(野田/小沢会談)

予想通り野田/小沢会談は物別れに終わった。元々輿石氏の顔を立てる為の通過儀礼と見ていたので失望するような事ではない。脇芝居の儀式が終わったので、今後は議案通過に突き進むことになるだろう。

それにしても、一部メディアは「トップ会談」と報じていたが、与党の党首と一派閥のボスの会談が「トップ会談」とは情けない。このようなメディアにとっては、野党党首たちはトップの名に値しないらしい。

追記(2012/05/30);
かつての自民党長期政権時代、自民党のボスたちはもっと気軽に意見や情報の交換をしていたような気がする。永田町周辺の赤坂や麹町などには、その為の場所を提供する料亭が多数あった。しかし今は、そのような会合は密室政治だと非難される。代わりに今回のような、王様同士の公式会見もどきの仰々しい手続きが必要なようだ。一体何様なのかと言いたくなる。準ボスのハク付けに必要なのかもしれないが・・・・・。

その結果、影響力を持つ者同士が、裃を脱いで非公式に意思疎通を行う場が失われてしまった。その代わり、メディアを介した理屈と非難の投げつけあいだけがはびこる。これでは信頼に基づく政治は成り立ちようがない。

May 26, 2012

トンデモ科学者の疑問;植物編4

街中を散歩していると多種の雑草が目に入る。その中には帰化植物も多く、しかも年々新顔が加わっているらしい。とは言うものの、在来植物が帰化植物の勢いに圧倒されてばかりいると言うことでもなさそうだ。

たとえば、かつて猛威をふるった「セイタカアワダチソウ」の仲間や「ブタクサ」の仲間はすっかり数を減らして、街中では見ることが少なくなった。さらに、この数年では「ヒメオドリコソウ」が急激に数を減らし、代わりに在来種の「ホトケノザ」が数を増やしている。

これはどんな理由によるものなのだろうか?在来種が抵抗力をつけたのか、あるいは大きく数を増やした帰化植物に対する寄生生物や病気が増加すして、結果として数を抑えるためなのか。私には知る手段が無いが、専門家はどう見ているのかに興味がある。

致死率の高い新種の病原体が、世代を重ねるとしだいに宿主と折り合いをつけて、毒性を弱めて行くのと似たようなメカニズムが働き、大繁茂する植物の勢力を押さえるのだろうか?

May 25, 2012

メディアの無責任

「名張毒葡萄酒事件」の再審請求に対して、却下の判決が出た。事の当否はこの際議論しない(裁判官が知り得たことの全てを知らなければ判断は不可能だ)が、このようなニュースを見る度に思うことがある。それは、このような事件の報道に関してメディアは極めて無責任だと言うことだ。

大きな話題になる様な事件や事故が起きると、メディアは被害者や家族の悲劇性を書き立てて、被害者や家族の心情を尊重して有罪にしろと騒ぎ立てる。しかし再審請求が出されると、今度は受刑者の悲劇性を書き立てて冤罪だから最新を行って無罪にしろと騒ぐ。その際、かつて自分たちが有罪にしろと騒ぎ立てたことには知らぬ顔だ。

とにかく大衆に迎合して煽る事で売り上げ増を図る、それしか考えていないような従来のメディアのあり方には大きな疑問を感じる。

メディア、特に報道メディアにかかわる者達全員に、オルダス・ハクスリーの「素晴らしき新世界」を読ませ、自分の仕事ぶりと比較した感想文を書かせてみたいものだ。

May 24, 2012

先が見えた?液晶テレビの時代

最近になって韓国、中国などの電機メーカーが、大型有機ELテレビの製品化に注力し始めたようだ。少しずつ量産試作品と思われる市販製品が発表されている。

まだ、耐久性(パネル寿命)の問題が十分には解決していないと思われるが、液晶パネルに比較して構造が簡単(*)で製造コストが大幅に低下すると見込まれている。また、本質的には有機ELと同じである有機半導体による回路が形成できるようになれば、印刷法での製造が可能になり高価な装置を必要とする真空プロセスが不要になるとも期待されている。

液晶テレビでは日本メーカーに先行された外国メーカーが、有機ELテレビで先行して主導権をとりたいと考えるのは当然だ。今後各社の開発にはさらに拍車がかかるだろう。5年以内には、大型有機ELパネルの量産品が市場に登場する可能性がある。液晶テレビ全盛の時代も先が見え始めたと考える理由はそれだ。

これに対し、液晶テレビの多機能化など経費がかからない新製品の開発にかまけていた日本メーカーは、すっかり後れをとった様に見える。少し経費や時間がかかりそうだとなると簡単に手を引く、今の日本メーカーの体質では挽回は不可能かもしれない。液晶テレビの時代の終焉は、日本メーカー製テレビの終焉になる可能性がある。

応用技術の開発ばかりで基礎研究をしないと言われながらも、実は基礎技術の開発に多くの労力をかけていたかつての日本企業。それがいつの間にか、すぐに収益が期待できるお手軽な商品開発しかしなくなっていた。このままでは日本企業は衰退するばかりだ。すぐには収益が期待できないが、長期的には収益が期待できる基礎技術開発にももっと資金と労力をかけるべきだろう。それとも、そのような基礎技術開発を収益につなげる才覚がある経営者がもはやいないのだろうか?

(*)液晶パネルは基板ガラスの他、導光板、偏光板、位相差板、カラーフィルターなど多数のパーツで構成されている。有機ELパネルにはこれらのパーツは不要。

May 23, 2012

地方首長は計画停電願望?

この夏の電力需給に関して、各地方首長の動きが鈍い。選挙対策と財界の板挟みにあった首長たちが、電力会社を計画停電に追い込むことによって、世論が「やはり原子力発電所は動かさざるを得ない」という方向に傾くことを期待しているのかもしれない。

そうなれば、中央政府と電力会社に押し切られたという形を作ることができ、地方首長も財界も再稼働を主張したという非難を受けずに済むからだ。

いずれにしても、いかなる再生可能発電を採用するにしても、その全てを利用するにしても、現在の電力不足をカバーして脱原子力発電を完了するには何十年もかかる。その間電力不足による経済減速と火力発電用燃料の輸入による国際収支悪化を堪え忍ばねばならない。また、電力料金も高騰するだろう。

原子力発電所の再稼働にあくまで反対するという人たちのどれだけがそれを認識しているのかは疑問だが。

私は、一旦再稼働して民間の設備投資能力が許す範囲の速度で移行すべきだと考える。財政逼迫の折から、国家資金をつぎ込むべきではない。税金はもっと直接的な雇用拡大投資に使う方が良い。

大丈夫?

開業初日に強風に見舞われたスカイツリー。エレベーターが停止して展望台に閉じ込められた客がいたようだ。

塔自体は首都直下大地震でも問題なく耐えると言われているが、停電対策はどうだろうか。展望台から徒歩で下りられる設備はどのように確保されているのかふと気になった。

大地震の他、太陽の巨大フレア等の天変地異でも大規模な停電があり得ると予想されている。停戦時に、全員が地上に降りるまでエレベーターを動かす自家電力が確保されているのだろうか。

各展望台に客と従業員の定員が取り残された場合を想定して、全員が脱出するまでの飲料水、食料、トイレ、エレバーターおよび空調用の電力などが確保できているかどうかを確認する演習を十分に行ってもらいたい。想定を変えて緊急事態演習を繰り返し、その都度現場KYなどでマニュアルの点検を行えば、見落としを減らして行けるからだ。

(揺れによって、給水管がちぎれるなどと言う間抜けな設計にはなっていないとは思うが・・・・。)

がれき処理受け入れ拒否はメディアの罪

住民による受け入れ拒否によりがれきの依託処理が進まない。

住民による拒否は、昔ながらの反行政が良いことだとする「民主的」と自称する者達の煽りの他、被災地の悲劇性を煽るため、震災被災地全てに高度の放射能汚染が及んでいるかのような報道を行ったメディアの関与が大きい。

メディアは口をぬぐってそしらぬ顔をしているが、この点についてメディアの責任は重大だ。最も、他の機関などの関与では厳しく非難を繰り広げるメディアも、自分たちのこととなると反省を表明した事例はほとんど無い。

だから、メディアは自分たちの責任を認めることはないだろう。そしてメディアに煽られた愚かな住民たちと煽り屋によって、震災の後処理はどんどん遅れて行く。

ただし、大量のがれきを長距離輸送する経費を考えると、現地に建設する仮設処理施設をもっと増やす事を考えるべきではある。処理が終われば不要になるから無駄が出ると言う考えもあるだろうが、輸送経費も仮設施設の建設も同じ一過性の費用だ。不要になれば撤去すればよいだけのことだ。

また現地で処理を行えば、沈下した地盤のかさ上げ用の埋め立て材として利用できるメリットもある。かさ上げ工事が必要な場所の近くに建設すれば、輸送費用が少なくて効率がよいだろう。

他地域での処理と平行して、現地処理のための仮設施設の増強も進めるべきだと考えている。

May 22, 2012

お天道様に顔向けができないから?;小沢氏のマスク

テレビニュースで流された映像で、なぜか小沢氏がマスクをしている。

花粉症の時期はとっくに過ぎたが、最近各地で目立つ中国製光化学スモッグアレルギーなのか?、それともお天道様に顔向けができないからなのか?、とからかってみる。

NTTの再現?;フェイスブック株の公開価格割れ

公開されたばかりのフェイスブック株が急激に値下がりし、公開価格を割り込んだと報じられている。大手広告主の撤退や世界的な金融不安などが影響しているのだろうが、この値動きはかつてのNTT株公開時の経過を思い出させる。

NTT株が公開されたのはバブル末期で、勢いを失いつつあった証券市況を回復する起爆剤にしようと、証券業界がこぞってはやしたてて公開価格をつり上げた。その結果公開直後は値を飛ばしたが、すぐにバブル収縮が始まりNTT株も急降下した。これによって大損したアマチュア投資家も少なくなかった。

フェイスブック株の公開についても同じ様な事が言える。世界的な金融不安で低迷する株式市場を活性化しようとする証券業界がはやしたてて高値で公開したが、金融不安の深まりで事前に証券業界がふくらませた分の値を失ったと考えられるからだ。

NTT株同様、フェイスブック株も今しばらくは値下がりを続け、その後落ち着く水準が適正として維持されることになるのかもしれない。

May 21, 2012

第3世代ステルス戦闘機;大量配備は中国が先か?

先日、中国が第3世代ステルス戦闘機を2018年から開始すると報じられていた。そうなると、大量実戦配備は米国よりも中国の方が先になるかもしれない。

なぜならば、米国版第3世代ステルス戦闘機F-35は2014年に実戦配備を軽視すると言われてはいるものの、本当にできる目処が立っていないからだ。その理由は複雑すぎる機体構造にある。

F-35は通常戦闘機のほかにSTOL型、地上攻撃機型など複数のタイプがあるにもかかわらず、その全てを同一の基本設計でまかなうことになっている。その為、あるタイプで生じた問題に対処するための変更を全てのタイプについて行わねばならず、これが対策の処理に要する時間を大きく引き延ばしている。また、その対策によって、本来対策が不要なタイプでも重量増をもたらし、性能低下やその対策が必要になるという現象も生じているようだ。

全機種の基本設計を共通にするというのは、それによって部品や取り扱い方を共通化すれば運用コストが下がるという目論見からだったようだが、それが現在では運用コスト減を遙かに上回る初期費用(機体価格)増加をもたらしている。

無思慮な共通化がプロジェクトの大失敗につながった前例は多いが、F-35もその代表例になりかねない状況なのだ。しかし、ここまで時間をかけた以上これを中止することはできない。なぜならばここでF-35計画を放棄すれば、さらに20年待つことになるからだ。

そうなれば米国空軍の攻撃力は決定的に遅れをとることになる。それはとうてい受け入れがたい。だから、米国は何が何でもF-35にしがみつかつかねばならないのだ。それがどれほど遅れようと、どれほどの費用がかかろうともだ。

その結果、F-35の大量実戦配備がいつなるのか全く目処が立たない。2020年以降にずれ込むことすら考えられているのだ。そうなれば、第3世代ステルス戦闘機の大量実戦配備は、中国が先になる可能性も出てきているのが現実だ。

橋下氏が原子力発電の臨時再開を提案;なし崩し再開継続が狙いか?

テレビのニュースで、橋下氏が原子力発電所の臨時運転を提案したが政府がこれを拒否したと報じられている。

狭視野で俗受けを狙った発言をしては批判を受けてそれをころころ変える橋下氏だから、先を考えずに原子力発電廃止を唱えてみたものの関西経済への現実のダメージの大きさに驚いたのだろう。さらに、関西経済をもっと沈滞させるのかという経済界からの圧力の強さに怯えたということもあるだろう。

「臨時と称して運転再開した後、政府に押し切られた形で運転継続に持ち込む。自分がそれを主導したことにならなければよい」、と言う橋下氏の狙いが露骨に見える。そして政府の方もそんな見え透いた手には乗らないと表明したものと理解できる。

「原子力発電を再開したいが、自分が主導したという形は再選戦略上避けなければならない」、という各地方自治体の首長たちと、産業・雇用をどうしてくれるという経済界とのせめぎ合いは今後も続くだろう。

日食の写真

厚い雲がかかるのではないかと心配していたが、幸い薄い雲が時々かかるだけで、金環蝕の全課程を見ることができた。ただし、金環蝕中は薄い雲がかかり続けて、鮮明な写真が撮れなかったのは少々残念。
以下は撮影できた写真の画像(撮影地;神戸市王子公園のサブグラウンド)。撮影の装備は、基本的には別記事「太陽の写真」に記載したものと同じだが、雲のかかり具合に合わせて露出を調整した。

2012/05/21 06:20

(2012/05/21 06:20)欠け始め。
まだ高度が低いので露出が不足気味。

2012/05/21 06:28

(2012/05/21 06:28)

2012/05/21 06:51

(2012/05/21 06:51)
しばしば薄雲がかかってこんな状態。

2012/05/21 07:01

(2012/05/21 07:01)

2012/05/21 07:13

(2012/05/21 07:13)
薄雲がかかり続ける。

2012/05/21 07:25

(2012/05/21 07:25)
金環蝕まであと少し。
陽光の暖かみが無くなり、ひんやりとしてきた。
また、日の出後まもない頃のようにうす暗い。

(2012/05/21 07:29)
金環蝕最盛期。神戸市ではぎりぎりの金環蝕。
薄雲が切れない・・・。
でも、近くの小学校からは歓声が上がっていた。

背後の坂道には、白いワンピースの夏服に着替えた松蔭の生徒たち。
登校中の彼女たちには変なオジサンに見えただろう。

2012/05/21 07:37

(2012/05/21 07:37)
この頃になってから雲がすっかり無くなった。

2012/05/21 07:59

(2012/05/21 07:59)
陽光の暖かみが戻ってきた。

2012/05/21 08:32

(2012/05/21 08:32)
太陽の高度が高くなったので、露出過剰気味。

(2012/05/21 08:49)
日食もほぼ終わり。
08:52頃、欠けが全くなくなった。

May 19, 2012

朝日新聞の変調

朝日新聞の変調がだんだんひどくなっているように見える。

今日(2012/05/19)の夕刊の「素粒子」もまた変だ。詳細は紙面を見てほしいが、「沖縄独立論」の後押しをしたいのだと受け取られかねない3節目の記述。「沖縄の現状をなんとかしよう」との主張だろうが、適切な表現とは思えない。

「素粒子」も「天声人語」も急激に、近眼視かつ狭視野さらに短絡的になってきているように見えて仕方がない。格調の高さと見識の広さで対立陣営の論者からも敬意を払われた、かつての執筆者たちは今の記事をどう見るだろうか?

周辺視

この半年ほどの間に見たいくつかのNHKの番組で、優れた運動選手は周辺視の能力が優れていると説明されていた。

周辺視とは、視野の一点(通常は中心)に集中してみるのではなく、視野の周辺部まで注意力を広げて、同時に多くの対象を見る能力と言って良いだろう。たとえば、サッカー選手がボールを受け取って次の行動を決める際には周辺状況を把握しなければならない。優れた選手は、視線を動かさずに視野内の全ての選手の位置と動きを一瞬で把握できる。これが視野が広く、周囲がよく見えている選手の状態だそうだ。

同じ様な事は野球のキャッチャーについても言える。ランナーがいる場合、キャッチャーは投球とランナーの動きとを同時に把握しなければならない。投球だけに集中していればランナーの動きが見えず盗塁される。また、ランナーだけに集中すれば捕球に失敗してやはり進塁される。だからどちらかだけに集中していてはいけないのだ。

これはまた、自動車の運転でも言える。運転者は自分が走っている車線の前方状況を把握していなければならないのは当然だが、同時に横から出てくるものがないかどうかを視野の端で監視し続けなければならない。その能力が低い運転者は事故を起こす危険が増大する。実は現在の主流であるドアミラーは、かつての主流であったフェンダーミラーに較べて欠陥がある。なぜならば、フェンダーミラーは視線を前方に固定したままで視野内にとらえ続け、後方の状況を把握し続けることができたが、ドアミラーでは視線を大きく動かさねばならないからだ。この点、安全確保という点ではドアミラーの方が劣っている。

さらに、同じ事は政治についても言える。何かを思いついた場合、あるいはしようとする場合、それのメリットとデメリットの両方を把握しなければならない。その為には、課題とその周辺との関係を正確に認識して、やろうとすることが周辺の物事にどのような影響を与えるかを知っておかなければならないのだ。しかし、最近の政治家たちそして有識者と呼ばれる人たちにはそれが十分にできない者が多い。メディア受けを狙って故意に問題発言を繰り返す様に見える者もいるが、細く巻いた紙筒を通して対象だけを見ているとしか思えない短絡的な発言が多いからだ。そしてその結果、不適切な混乱やトラブルを引き起こしている例が多い。

優れた周辺視の能力は政治の世界でも不可欠で、それができない政治家は有害なだけだ。

トンデモ科学者の疑問(宇宙編11);ブラックホールの嘘

昼食後うつらうつらしている時、「ブラックホールは重力が強いので光も脱出できない」というのは嘘とまでは言えないにしても不適切であることに気がついた。

なぜならば、光(光子でも良いが)には質量がないのでそれ自体は重力による影響は受けないからだ。強い重力が働いている場所で光の進行方向が曲げられるのは、光が伝播する空間の性質が重力の影響を受けるからだ。よくある俗な説明を引用すれば、「空間が重力によって引き延ばされ、光が伝播する道のりが長くなるので」と言うことになる。

これを実在の媒質に置き換えて表現すると、「重力が強い部分は媒質の密度が高いため屈折率が高い」と言える。「屈折率=真空中の光速÷その媒質中の光速」であるので、光は屈折率が高い側つまり大重力の側に曲がることになる。これが重力によるレンズ効果だ。

ここで屈折率の変化率が極度に大きい場所の内側で光を発すると、等屈折率面に厳密に垂直な光以外は重力が強い側に進路を曲げられてしまい外には出られなくなる。厳密に垂直なという範囲は屈折率の変化率と変化がある範囲しだいだが、変化率が大きければ大きいほど外に出られる角度のずれの範囲が狭くなり、出られる光の量が減少する。そして変化率が無限大になるブラックホールでは、外に出られる光の量が無限小になる。これがブラックホールから外に光が出られないことの原因であり、出られないと言うことの正確な表現だ。

つまり、ブラックホールから光が出られないのは脱出速度が光速より大きいからではなく、重力勾配が極度に大きいからと言うのが正しい表現だろう。

May 17, 2012

偏光板を使った遊び

太陽の写真撮影のテストの際、偏光フィルターや偏光板を使った試みも行った。そのうちに面白くなって様々に組み合わせて遊んでみた。

1.偏光板とサーキュラー偏光フィルター

これは偏光に対するサーキュラー偏光フィルター(C-PL)の振る舞いの実験。
左側は偏光板(PL)の上に、C-PLの表側を下にして置いた場合で、光源側からPL/PL/1/4波長板(1/4λ)の順番になる。右はC-PLの裏側を下にして置いた場合で、光源側からPL/1/4λ/PLの順番となる。ともに上は偏光軸が平行の、下が直交の場合で、C-PLフィルターを裏返して使うと偏光フィルターとしての性質がないことが分かる。

右側の条件では着色があるが、透過してくる光量には大きな変化はない。
着色の理由は波長によって1/4λによる位相のずれ方が異なるため。偏光軸の角度を45°にすると左の写真のように着色はほぼ消える。
これは、この位置では補色関係にある黄色と青色の光が同程度に遮断されるためと思われる。

2.2枚のサーキュラー偏光フィルター

2枚のC-PLを組み合わせる場合、どの面を向き合わせるかによって挙動が異なる。

これは表側(偏光板がある側)を向き合わせた場合の挙動。上は偏光軸が平行の場合で、下は直交の場合。
偏光板同士が向き合っているため、通常の偏光板2枚を使った場合と同じ挙動になる。

これが可変減光フィルターの構造と思われる。

なお、以下の写真では全て径の大きいC-PLの方が下に置かれている。また、露光量は手動で設定できないため全て自動。

これは偏光板を上にして置いたC-PLの上に、同じく偏光板を上にしてもう一枚のC-PLを重ねた場合で、上は偏光軸が平行、下は直交。

透過する光量はあまり変わらない。

偏光板を下にしておいたC-PLの上に偏光板を下にしたC-PLを重ねても、ほとんど同じ挙動だが着色は逆になる。

これはC-PLの裏面同士を向き合わせた場合。

上は偏光軸が平行、下は直交の場合で、どちらも透過光量が大きく減少している。

3.偏光板+2枚のサーキュラー偏光フィルター

これは表面同士を合わせて重ねた2枚のC-PLが偏光フィルターとしての性質を持たない事を確認するための実験。

左側は1枚目のC-PLの偏光軸が偏光板の偏光軸と平行の場合で、右側はそれが直交の場合。そして上側は2枚のC-PLの偏光軸が平行な場合で、下はそれが直交する場合。

一番下に置かれた偏光板の向きが変わっても、2枚のC-PLが重なった部分の明るさはあまり変わらない。これは入射する光に偏光成分が含まれていても、偏光軸の向きが透過光量にあまり影響しないことを示している。つまりこれで、2枚のC-PLの偏光板面を向き合わせた構造の可変遮光フィルターには偏光フィルターとしての性質が無い事が確認できたことになる。

1枚目のC-PLによる着色は、1枚目のC-PLの1/4λを1/8λか3/8λに変更する、あるいは1/8λを追加すれば消せる可能性があるが、それはまた参考書を探して調べてみたい。

可変減光フィルター

太陽撮影用の遮光フィルターを調べているうちに、「可変減光フィルター」が存在するのに気がついた。透過光量を調節することは、2枚の偏光板を使えば可能だ。2枚の偏光軸が平行であれば透過する光量は最大になり、直交すれば最小になる。

ただし商品化されている可変減光フィルターには、偏光フィルターとしての機能はないという。それならば、1枚目の偏光板の前方に1/4波長板を置けばよい。こうすれば入射光に偏光成分が含まれていても、偏光板を通過した光量の向きによる差は無くなるからだ。そして、1枚目の偏光板でできた偏光を2枚目の偏光板を通過させる。そうすると2枚の偏光板の角度を変えて透過する光量を変えることができる。2枚目の偏光板を通過した偏光は、再び1/4波長板を通して円偏光に変換しておけば、自動露出や自動焦点合わせに悪影響せずに済む。

全体としてみるとこれは2枚のサーキュラー偏光フィルターを、偏光板がある側(表)同士を向き合わせて組み合わせたものに等しい。実際に2枚のサーキュラー偏光フィルターを使って試してみると、全く同じ効果が得られる(別記事「偏光板を使った遊び」を参照)。ただし若干の色が付くので、これを防止するためには、対になる1/4波長板と偏光板に、ともに良く特性が一致するものを組み合わせる必要があるだろう。

市販の可変減光フィルターが高価なのは、着色しないために特性が一致する1/4波長板と偏光板を揃える品質管理にコストがかかるためだろう。

追記(2012/05/29);
1.着色対策としては分散(屈折率の波長依存性)がごく小さい材質で作られた1/4波長板があれば良いと思われる。高屈折率超低分散のレンズ用樹脂は商品として存在するので、そのような1/4波長板も存在するかもしれない。また、「偏光板を使った遊び」の記事中にあるように、1/8波長板、あるいは3/8波長板が使えるのかもしれない。
2.可変減光フィルターの製品は高価なので、サーキュラー偏光フィルターを2枚用意し、1枚目をレンズに取り付けた後、2枚目のフィルター板を枠から取り外して裏表逆に取り付け直したものを重ねて取り付けることで、似たようなものを手作りできるだろう。(フィルターの厚みが2倍になるので、広角系レンズではケラレが出るだろうが・・・・。)

May 16, 2012

寒気接近

昨日付の500hPa高空気象図を見ると、2012/05/13の記事に書いた次の寒気が朝鮮半島北部から沿海州にまでやってきている。これも前回同様、-20~30℃の強力なものだ。明日からの2~3日で日本上空を通過すると思われるので、またまた突風や竜巻、落雷などに対する警戒が必要な荒れた天気になりそうだ。

ただ救いはある。それは、前回の寒気に較べると中心がやや北寄りで、強い影響を受けるのは東北地方南部以北と思われることだ。ただし、警戒を怠ると想定外の被害を受けることになりかねない。ご用心を。

(補足)高空気象図は気象庁や北海道放送のWebサイトで閲覧できる。
    気象庁サイト;http://www.jma.go.jp/jp/metcht/kosou.html
    北海道放送サイト;http://www.hbc.co.jp/pro-weather/

追記(2012/05/18);2012/05/17 12:00 の高空気象図では、私の予想よりはるかに南の山陰地方上空上空まで-21℃の寒気が南下している。偏西風の蛇行が深まったためだ。今日明日はまだ、この寒気の影響がありそうだ。

ギリシャの連立不調

ギリシャの連立工作が不調に終わり再選挙の実施が決定したそうだ。これを受けてヨーロッパの投機市場は一斉に値を下げている。信用危機脱出が遅れる、あるいは危機が深まることを材料にしてとのことだが、コンピューターのお告げによって右往左往する投機市場らしいうごきだ。

コンピュータ取引がブレを拡大しパニック化する現状はさておき、今回の危機は財政不均衡に端を発しているとはいえ、投機中心の経済運営が問題を拡大しているように見える。投機資金供給に収入の多くを依存する金融機関の救済に国家資金を供給しても、些細な理屈で市場が値下がりすれば供給した資金は消滅してしまう。すると投機組織は狼狽売りに走り、国家資金によるてこ入れを求める。それは、年金などの運用を投機に依存する国家財政とも利益が共通するので、国家は再び資金を注入する。この繰り返しが、状況をここまで悪化させてきた。

その現状はギリシャの再選挙で連立政権が成立しても何も変わらない。現状は、投機依存の経済をいかに切り捨ててそれから脱却するのかを議論することを求めている。フェニキア以来の時間差によって各市場が独立していた時代の投機市場の原理は、時間差が無くなった現代には不適切なのだ。旧弊な市場自由主義は、混乱を拡大するだけで危機脱出の役にはたたない。混乱が収まるまでは市場を規制すべきだ。

それにしても、再選挙によって連立が成立する保証はない。その場合、市場はいかなる反応を示すのか?(予想は付くが・・・・・)

追記(2012/05/16);
夕方の経済番組でEUの財政改善策に反対するギリシャ国民は愚かだと言わんばかりのコメントをしている証券アナリストがいた。ユーロ圏を離脱するとギリシャ人自身が困ることが分かっていないとのことだが、このアナリストはそうとばかりも言えない事を理解していないようだ。

ユーロ圏を離脱すれば一時的に生活が困窮することは間違いないが、中長期的には自国の経済状況を中心に据えた経済政策を自由にとることができるので、回復が早い可能性もある。上記のアナリストはその点を全く吟味しないまま、証券業界関係者の立場のみからコメントしているように見えた。

今ギリシャがユーロ圏を離脱すると、ユーロそのものの信任が揺らぐ可能性がある。そしてこれが、ユーロ経済圏全体に大きなダメージを与えないという保証がない。これは他のユーロ諸国にとって好ましくない。従って他のユーロ圏諸国の利益のためには、ギリシャ人がいかに困窮しようともユーロ圏にとどめておきたいことになる。これはギリシャ人にとっての最善の選択ではない。

以上がギリシャ国民がユーロ圏に留まることが好ましいが、無理をしてまで留まる意志はないと言う選択をした理由と思われる。だから、他のユーロ諸国からの支援が十分ではないと思えば、ギリシャ人は国家財政を破綻させてでもユーロ圏からの離脱を選ぶだろう。従って、他のユーロ国の圧力が露骨に過ぎると、ギリシャ人が反発して一気にユーロ圏離脱に傾く可能性があることは念頭に置いておかなくてはならない。

もちろん、現在の危機の原因が財政危機をここまで放置したギリシャ人自身にあることは間違いないし、日本人にとってこれが他山の石であることもまた間違いがない。

May 15, 2012

原子炉より危険なもの

原子炉は危険だから廃止しろと言う声が強い。しかし原子炉より直接的に危険なものが放置され、誰も使うのをやめようとは言わない。

それは自動車だ。毎年四千人以上が交通事故で死亡している。

原子炉による危険は「可能性」だが、自動車は「事実」として多くの人を殺している。脱自動車はいつになるのだろうか?

May 14, 2012

太陽の写真

金環食(蝕)関連商品の話題が多い。写真撮影用の減光フィルターも既に在庫が払底しているようだ。

だからというわけではないが、減光に役立ちそうな代用品を集めて太陽を撮影してみた。

1.太陽観察用眼鏡

太陽観察用眼鏡による画像

SX 30IS 用の偏光フィルターを購入した際に付録として付いてきた、太陽観察用眼鏡をレンズにあてがってモノクロモードで撮影した。光量が少ないため自動では撮影できず、フォーカス、露出とも手動で設定した。
観察用眼鏡の開口部が小さい(2cm×3cmほど)ので、レンズ(口径5.2cm)の大部分がふさがれた状態。それもあってか、肉眼で見る分には問題がないが、写真用としては先鋭度がかなり低下するようで、かろうじて使えるかどうかと言うところ。また、長い望遠レンズでは三脚が必須。

目視では太陽の右側に大きな黒点が見えるが、写真ではぼやけてよく分からない。

2.電気溶接用遮光板

電気溶接用遮光板による画像

遮光板として最も安価に手に入る電気溶接用遮光板(消耗品なのでJIS規格で量産されており安価。多くのホームセンターで、50×100mmの標準サイズの物が200~500円/枚で買える)のうち、最も一般的(色が濃い)な#11をレンズにあてがってカラーモードで撮影してみた。電気溶接用遮光板は、アーク(電弧)から発生する目に有害な紫外線と近赤外線を効率良く吸収し、作業に必要な可視光をわずかに透過させる設計のため濃緑色をしている。フォーカスと露出は上と同じく手動で設定した。
これも目視ではきれいに見えるが、写真では画像の先鋭度はかなり悪くなる。ただしこれはプラスティック製の射出成形品(内部に微細な光学的むらが残りやすい)なので、ガラス製のものはもっと程度がよいのかもしれない。

3.赤外線写真用フィルター

赤外線写真用フィルターによる画像

赤外線写真用フィルターを太陽に向けてみたもの。フィルターとレンズの間、およびレンズ内で発生した内部反射が原因と思われるハレーションがひどい。モノクロモードで撮影。
減光度が不足していることもハレーションの原因かもしれない。

この他に思いつくものとしては、ガラス窓用の遮光フィルムがある。これも、遮光率75%のものを6枚重ねれば透過率0.1%以下になるが、フイルムの均一度が光学用フィルターに較べると相当に悪いと思われるので、画像の質は期待できない。

現時点での結論は、電気溶接用遮光板や窓用遮光フィルムなどは素材の均一度が悪いので、写真撮影には不向きと言うことのようだ。鮮明な写真を得るためにはやはり写真用減光フィルターが必要らしい。

追記(2012/05/16);買い忘れていた角形フィルター用ホルダーが届いたので、使い方の練習に太陽を撮影してみた。

4.写真用減光フィルター

カメラ設定 フルマニュアル
ISO 80
f=8.0 1/3200(*)
焦点距離 840mm相当から
トリミングした画像
フルカラーモード
ケンコー製 ND10000 100×100mm を使用

(*)カメラのモニター上の表示
画像ファイルに書き込まれた記録では、
F=5.0 1/1600になっている

いくつかの大黒点が識別できるが、減光度が1/10,000のNDフィルターでは、露出を限度まで絞ってもまだ若干露出過剰気味。さらにNDフィルターを重ね掛けするか、カメラの露出調節機能が利用できるならばそれを利用して露出を下げると良いかもしれない。ただし、このカメラ設定のままND4フィルターを追加すると、光量不足でモニター上では太陽が全く見えなくなった。感度や絞りの調整が必要なようだ。
また、これは正午頃の太陽なので、まだ日差しが弱い金環食の時刻(07:20頃)にはこれでちょうど良いかもしれない。

自動露光では背景が暗いため太陽の本体が露出過剰になり、白飛びしたりにじみがでたりするので手動の露光設定が必須。

これは上と同じカメラ設定で、前記の電気溶接用遮光板を用いて撮影したもの(ただし、撮影時刻は16:00頃)。黒点がぼやけて、画像の先鋭度が劣ることが分かる。

天気予報が「曇り時々晴れ」と芳しくないが、金環食当日の天候が少しでもよいことを祈ろう。

追記(2012/05/20);天気予報がだんだん悪くなって、本番は見られない可能性が高くなった。北へ行けばましな予報だが、金環蝕が見られる地域は皆曇りとのこと。幸運を願うしかなさそうだ。

追記(2012/05/21);天候の回復が早まって、金環蝕の全過程を見ることができた。薄雲がかかり続けたので先鋭度が悪くはなったが、一応撮影もできた。

その写真はこちら(「日食の写真」)

May 13, 2012

寒気去る、しかし次の寒気が

今日(2012/05/13)の高層気象図(AUXN50 121200Z May,2012)を見ると、偏西風の大蛇行が東に移動して荒れた天気をもたらした寒気団はほぼ抜けたようだ。

しかしこの気象図を見ると、東経90~120度にかけて-20℃~-30℃という強い寒気団がある。この原因となっている大蛇行が東に移動してくると、再び寒気団による荒れた天候になるかもしれない。今年の天候はまだまだ気を許せないようだ。

白鵬の連敗

白鵬が連敗し、中日にして早くも3敗。力強さが感じられない負け方が気になるところだ。長く続く一人横綱による精神的な疲れなのかもしれないが、後半の立ち直りを期待したい。

それにしても、大関は多いが横綱昇進に相応しい者がいない現状は情けない。これまでの例を見ても、大関に登った勢いで横綱に昇進しなければ大関で終わってしまうことが多い。その一方で、短期間で大関に昇進したものの怪我で勢いを失ってしまうものが絶えない。怪我を防ぐと言う観点を重視した、新しいトレーニング方法が必要なのではないだろうか。

その為には、他スポーツのトレーナーやスポーツ医学の専門家の知恵を借りて改善の努力をしてもらいたい。また負傷の状況を把握して、後への影響を防ぐ方策も必要だ。怪我をしたと思われる力士を診察して、出場を制限して早期回復を図るシステムも必要だ。小泉氏の賜杯授与のため、貴乃花を土俵に上げて力士生命を絶った愚を繰り返してはならない。

May 08, 2012

魔女の時代

「美魔女」等とメディアで囃されているが、化粧品のCMに登場する女性たちを見ていると童話「白雪姫」に出てくる悪役の魔女王妃を連想してしまう。

科学的にはあり得ない効能を信じて、鏡をのぞき込んで若作り化粧に励んで「私はきれいになった」と言い聞かせる。それが鏡に向かって「鏡よ鏡。一番美しいのは誰?」と訪ねる情景とよく似ているからだ。

どうやら「年齢相応の威厳ある美しさ」というのは近頃禁句らしい。

時代劇のお約束

NHKの時代劇の視聴率の高低が相変わらずメディアを賑わせている。それだけ娯楽としての重みがあると言うことなのだろう。

ただ、大河ドラマを含めて最近の時代劇は「現代的なリアリティー」を出そうとしすぎるように感じる。そのため舞台となる時代の風俗などを、考証よりもプロデューサーイメージに合うよう変更することがよく見られる。さらに、その一方で、人気女性タレントのメークが、約年齢40歳を過ぎても現代の相当する年齢に合わせて若作りという不自然な例も目立つ。また、台詞も現代の若者言葉であったりする。どれも視聴者に違和感を持たせるには十分だ。

中若年層へ媚びて受けを狙うのも商業上やむを得ないと言うことかもしれないが、娯楽には娯楽のお約束がある。現代劇には現代劇の、時代劇には時代劇のお約束があるのだ。それを尊重しながら少しずつ新しい解釈を加えるべきだろう。それを軽視していることが時代劇不振の原因の一つではないかと考える。

テレビドラマはあくまで一般人向けの「娯楽」であり、特定の観客を対象とする「舞台劇」のように先進性を追求する「芸術」ではない。一般人を対象とする娯楽である以上、視聴者がくつろいで楽しめると言う点は重要なのだ。そのためには、「お約束」を軽視したり無視したりしてはいけない。

May 07, 2012

続発する気象災害

昨日(2012/05/06)大規模な竜巻が発生したと報じられている。F2級だというので米国中西部で発生する物とは比べものにならないが、住宅密集地で発生したため大被害になったようだ。

この数年激しい気象災害が多発している。過去の歴史を見ても気象災害が多発した時代はあったようだが、今回のこれが人為的な物かそうでないかは気になるところだ。

今回の災害の原因となった寒気流入をもたらしたのは高空の西風の蛇行だろう。四月末からの高層気象図を連続して見ると、日本上空の蛇行がしだいに深まっているのが分かる。この蛇行は少しずつ東に移動しているが動きが遅い。まだ1週間以上はこの状態が続きそうだ。

今しばらく、竜巻や集中的な大雨に対する警戒が必要だろう。

補足;高層気象図を閲覧できるサイトは別記事「偏西風の変化」にあります。

何も変わらなかったから原発は不要?(B層化する朝日新聞のコラム)

朝日新聞の2012/05/07付け夕刊の「素粒子」が、止まっても何も変わらなかったから原発は不要だったのではないかと書いている。

「夏さえ越せば」と付け足してはいるが、その夏を越すために産業界がどれほどのダメージを受けているのかを故意に無視している様に見える。ダメージが少ない3次産業に特化すればよいと高をくくっているのかもしれないが、2次、3次の産業も1次産業の労働報酬に支えられている。2次、3次産業の従事者だけに依存するのは循環取引ののような物で、長期間安定して維持するのは不可能だ。経済規模が小さく周辺経済に依存できる都市国家ならいざ知らず、日本の様な規模の国家経済は1次産業無しでは成り立たないのだ。

最近の朝日新聞の「素粒子」や「天声人語」にはこのような狭視野な論評がしばしば見受けられる。かつてのような広い視野を持った論評に立ち戻ることを期待したい。

持つ者の正義、持たざる者の正義

フランス大統領選挙でサルコジ氏が敗れ、ギリシャでは連立与党が過半数を失った。ともに財政改革を旗印にする勢力の代表と言っても良い。最もギリシャの場合はサルコジ氏たちに強要されての旗印のようだが。いずれにしても、これらは強い緊縮策による急激な財政改革に対する反発が原因と理解できる。

この十年近く、国際標準では金融市場最優先の経済政策がとられてきた。そして、市場が軟化する都度てこ入れの目的で金融緩和や資金供給が行われてきた。しかし、その資金は大半が投機資金として利用され、一時的な上昇をさせはしたが上がれば下がるのが投機市場の常、しばらくするとまた低下する。その繰り返して、国家が投入した資金の税金としての回収が行われないままに同じことが繰り返されてきた。これが国家財政を圧迫する要因の一つである。

一方で、市場に供給された資金が富裕層の投機資金にばかり回り、中間層以下の労働市場の改善には寄与してこなかった。その結果、富裕層は投機で大きな利益を得て超高級品の販売は活況を来す一方、中間層以下は所得の減少によって安物の輸入品の購入に走りそれが資金を国外(安価品を生産する途上国)に流出させ、雇用状況を悪化させる。

これが金融緩和による景気刺激策の結果である。

なぜそのようなことになるのか、それは政府の経済運営の成績として金融と投機にかかわる指標が重要視されているからだ。その結果、金融や投機にかかわる者達の発言力が増し、製造業や商業にかかわる者達の発言力が低下した。これが大きな要因としてあげられるだろう。これは、欧米企業の経営にかかわる物の選任に、金融と投機にかかわる業界の者の占める割合が大きいと言うことにもよるだろう。また、金融と投機が経済運営の国際標準として囃される結果、製造業や商業にかかわる者達も金融や投機にかかわる指標を重視することが正しいと信じ込まされたことも考えられる。

そのような環境の中では、持つ物の代表であり代弁者である金融や投機にかかわる者達にとっての正義が優先され、貧困層にとっての正義がうち捨てられることは当然だろう。その結果貧富の差が広がり、貧困層が経済運営の不手際のつけを一方的に押しつけられるそんな状況が生じている。それに対する不満が増加する中で、政治家たちは自分の議席を守るため、貧困層に媚びるための施策を行わざるを得なかった。これが国家財政をさらに圧迫する。しかし不景気刺激策を行っても、前記の通り資金は国外へ流出するばかりで、雇用の改善そして税収増にはつながらない。

これが、無定見な金融緩和と無節操な有権者サービスがもたらした結果だ。

これから抜け出すには、金融政策よりも雇用増につながる直接投資を国際ルールとして認めることが必要だ。そのようなローカル優先な直接投資は、現在は非関税障壁として非難される。しかし、国際経済が現状から抜け出すには、ローカル優先な対応が認められるようルールを変更すべきだ。もはや中央集権的な国際ルールでは対応できなくなっていることを、率直に認めなければならない。

金環食関連商品

金環食が近づいて、メディアや雑貨店の店頭には観察用品が目立つ。

私が子供の時には、色の濃い下敷きやネガフイルムの黒い部分、すすで黒くしたカラス板が定番だったが、今これらは目を痛めるから不適切だとされている。長時間凝視を続けるのであれば恐らくその見解は正しいだろう。

しかし、我々の子供時代には長時間凝視を続けることなど誰もしなかった。日食の観察では、数秒間見ては目をそらし、しばらく間を置いてからまた短時間見ることを繰り返すのが常識だったからだ。そうしなければ目を痛めると言うこともまた常識だった。

また、連続観察目的には様々な小道具が利用された。その代表はピンホールカメラだ。カメラと言っても、厚紙や薄板に穴を開けそこにタバコの銀紙(*)を貼り付ける、たったそれだけのものだ。銀紙に針で小さな穴を開け、それを太陽にかざして別の紙に像を写す。これを見ながら欠けて行く太陽をスケッチした。

他にも手近な物を使って作れる観察用品はいろいろあった。それぞれの創意工夫で作ってみてはいかが?

(*);市販のアルミホイルが無かった時代のことだ。他に手に入れやすい銀紙としては、板チョコの包装があった。今はどの家庭にも調理用アルミホイルがあるから簡単だ。

追記(2012/05/13);SX 30is用に67mmΦの偏光フィルターを購入したら、日食観察用眼鏡が付録に付いてきた。これで太陽を覗くと、地平線に近い満月より暗い程度の明るさに見えた(明暗順応を考慮すればもっと明るいのだろうが)。注意書きには2~3分以上続けてみてはいけないと書いてあるが、そんなに長く見続けるのだろうか?

メディアの書き方を見ると、日食観察の常識も我々が子供だった時代とはずいぶん変わっているようだ。長時間見続けるのが常識であることを前提とした専門家の意見は、関連業界の利益誘導のためではないかと感じてしまう。そう言えば、今の歳ではまぶしくてものが良く見えないが、子供の頃は太陽が視野に入ってもそんなに苦にならなかった。世の中全体が年寄り的になっているのか?

May 05, 2012

地政の府と知性の府

一昨日(2012/05/03)の朝日新聞の朝刊に、一票の格差についてのアンケート調査の結果が出ている。それによると現状のままでの総選挙には過半数が反対しているという。

その詳細は朝日新聞を読んでもらうとして、この幾度かの選挙制度「改革」は結局の所「改悪」だったとしか思えない。

先進国の(つまり英国や米国という意味だ)の「優れた」二大政党政治を目指し、政党中心の選挙制度に変えようという趣旨だった。そして政党の利益を図るため「政党支援交付金」まで新設した。しかしその結果は逆だった。

政党に交付される資金争奪のためボス政治は激化し、争奪戦に敗れた者達は新党を立ち上げ、独自に交付金を得ようとした。これが小党乱立をもたらした。

さらに、大政党有利にするための小選挙区制と、政党のボスを有利にする比例代表制も導入された。比例代表制では名簿上の順位が候補者の命運を決めることになる。その為順位に影響力を行使できる政党ボスの権力が強化された。

さらにまた、衆議院と参議院の選挙制度を近づけたため、本来地域代表で地域エゴをぶつけ合うことが目的である衆議院と、地域代表とは別の国全体を見通す視点から政治を行うことが目的であった参議院との性格が同じになってしまった。その結果、地域の利益を離れて国全体の利益になる政治を行うための「知性の府」とされた参議院が、地域利益を図るための「地政の府」である衆議院と同じことしかできなくなったのだ。これでは参議院の存在意義がない。参議院本来の性格である「大所高所からの議論による政治」の復活を図るべきだ。

その為にはどうすればよいのか?衆議院は議員数や各都道府県への配分方法を除けば、現制度に近いシステムでも許容できそうだ。たとえば、各都道府県に配分する最小議員数を保証した上で、ドント方式などで議席数を配分するなどが考えられる。都道府県内の選挙区割りや議席配分は各県に任せることも可能だろう。ただ比例代表併立性はやめるべきだ。代議員選挙に滑り止めをかけるというのは浅ましく不様に見えるからだ。

一方参議院は全国区に若干の大選挙区を加えた形が良いように思える。全国的には知られていなくもそのの地域内では知性が高いとしてよく知られた人が参加できる余地を作るためだ。

それにしても、知名度が高ければそれがどんな分野の知名度であってもはやし立てて議員に仕立て上げるというお馬鹿な行為は、メディアも政党も、そして有権者も改めるべきだ。

政治屋さんも政治能力のないタレント政治業者さんも、日本の政治には不必要だ。「知性の府」を「地政の腐」にしてはいけない。

May 04, 2012

またもやパソコン改造

メインに使っているミニタワーパソコンをまたも改造した。理由はCPU冷却ファンの騒音がひどいため。

オリジナルのCPUクーラーは小さいためすぐにCPUの温度が上がり、しかも温度が60℃に近づくと冷却ファンがフル回転を始める。このファンの騒音が最近は我慢できなくなっていたので大型のクーラーと交換することにした。

購入したのはサイズ社の「グランド鎌クロス」。巨大な冷却フィンが付き、micro-ATXのマザーボードにはほぼ限界の大きさだ。実際、電源ボックスやグラフィックカード、光学ドライブなどを一旦取り外さなければクーラーの取り付け作業ができなかった。

左の写真は取り付け後の状態。上下と奥には1cmの隙間もない。

さすがに冷却能力は大きく、交換後のCPU温度は滅多に50℃を超えなくなった。またファンの径が大きく(14cm!)、回転数が低いので騒音も我慢できる範囲内になっている。作業のBGMにメディアプレーヤーを使っても同様だ。

ただし、以前に作って取り付けていたグラフィックボード冷却用ダクトは取り付けられなくなった。こちらはしばらく様子を見て、温度上昇がひどい様であればファン付きのものと交換することにしよう。最近は高性能グラボが必要なゲームはしなくなったので安物で良いだろう。

このPCは既に4年以上使っているが、通常の作業には十分以上の能力があるので、まだ3~4年は使いたいと思っている。

May 03, 2012

究極の自分目線

目線がどうのこうのと言う者が多い昨今だが、究極の自分目線を一つ紹介しよう。

車では30分ほどだが、公共交通機関では1時間以上かかる六甲山の北側に行くため車で家を出てまもなくの交差点でのこと。信号待ちをしていると目の前を自転車の女性が横切っていった。これだけならごく普通のことだが、普通でないのがその女性が走っていた車線だ。片側2車線の中央側の車線をゆっくりと走っていたのだ。後からくる車が皆左側によけていくのだが、その情勢はしっかりと前を見たまま全くの無関心。後続の車が渋滞しかけたところで建物の陰に入って見えなくなった。

その後信号が変わったので発進したが、横を見るとまだ悠々と中央より車線を走り続けていた。

単にJM(状況が見えない)な馬鹿なのか、それとも知的障害があるのか、外見からでは知るよしもないが、周りの人間が目に入らない究極の自分目線だ。

May 02, 2012

終末の日が近い?

「終末の日が近い。悔い改めよ!」と叫ぶキリスト教カルト集団をしばしば見かけるがこれはその話ではない。また、「2012年終末説」の話でもない。日本国家経済の信用崩壊の話だ。

ロイターが「消費税引き上げは「重要な問題」、行方を注視=ムーディーズ」言う記事を掲載している。これによると、消費税引き上げの目処が立たないので日本国家財政の「最後の審判の日(英語ではThe Doom’sday)」が今までの予想より早く来そうだと言う。そして日本国債に対する格付けを近く見直す可能性があると言う。

日本国内の経済「専門家」たちは、「日本の国債は国内金融機関による保持率が高いので暴落することはあり得ない。日本は特別だ!」と言い続けてきた。しかしそれは単なる独りよがりな主張で、国際的に見れば根拠がない可能性が高い。なぜならば、国外金融機関などによる国債保有率が低いと言ってもその金額は大きい(100兆円に近い)。だから、国外金融機関が格付け引き下げに伴って売りに走ればそれを買い支えることは難しいだろう。

国内の民間金融機関にはそれだけの資金力がないし、国際ルールでは禁じ手の日銀買い支えに走ればそれ自体が日本の格付け引き下げを促進する。政府自身が買い戻そうにも増税無しにはそれも不可能だ。すでに国債を償還するためだけに国債を発行し続けるに近い状態だからだ。日本が入り込んでいる袋小路もいよいよ行き止まりが見えてきたと言うことだろう。

政府も民間も日本人は「先送り」が大好きで、増税先送りを主張する者が少なくない。しかしそれは次世代への付け回しにすぎない。後に続く世代のためにも(既に遅きに失しているが)増税を早急に行うべきだ。

早く始めればそれだけ増税を緩やかに進めることができる。逆に、遅らせればそれだけ急激な増税が不可避になり、日本経済全体へのダメージが大きくなる。政治家も国民も、いつまでも「不都合な真実」から目を背けてはいられないことを悟らなければならない。

規制緩和による危険は自己責任で回避せよ

規制緩和論者が常に主張することの一つに、「市場主義性善説」あるいは「自由競争性善説」がある。それは、「規制緩和」や「自由競争」によって製品やサービスの価格は下がるが、コストカットのために品質を落とすような業者は「かしこい消費者」によって淘汰され、市場全体の品質低下は起こらないというものだ。

これによると、「かしこい消費者」は自分の力量で情報を集めて適切な判断をすることが求められる。つまり、どのような品質のものを手に入れるかは購入者の自己責任だと言うことだ。言い換えると、今回の事故についても。事故に遭うような業者を選択した利用者に責任があることになる。

規制緩和による事故や災害で被害を受けることはしばしばある。それは被害者の自己責任だから規制を強めるのは不適切だとすれば、我々は全員「かしこい消費者」にならなければならない。

いかにしてそうなればよいのか?少なくとも、ネットやマスメディアの情報で右往左往する「B層国民」では不可能なことだろう。また、判断は他人やお上任せの「みんな一緒派」や「くれくれ派」にも無理なことだ。

安全には金がかかる

またも疲労したバス運転手のミスによる交通事故が起きた。

これまでに起きた類似の事故を見ても、このような事故を起こしたバス会社は規制緩和後にできた小規模のものが多い。事故にいたる原因はいくつもあるだろうが、企業経営者の能力不足による運行管理の不手際、そしてコストカットを目的とした安全管理への手抜きと運転手へのしわ寄せ、そして発注者との力関係が弱いことによる無理の受け入れの3点は指摘しなければならないだろう。

自由競争性善論者は、安全を含めた品質に問題があれば買い手によって淘汰され、良い物だけが残ると主張する。しかしこれまでの実績はそれが通用しないことを証明している。

反面、このような事故が起きると国の監督が不十分だ、国が規制しなければならないと言う主張もヒステリックに起きる。

これまでの約20年、自由競争論者が大きな影響力を持っていたため、規制緩和が大声で主張され、実際に行われてきた。しかしその結果、過度の規制緩和が導いた大事故と、それを理由にした過度の規制による経営圧迫とが繰り返されてきた。規制緩和論と規制強化論が交互にメディアによって賛美され、メディアに影響されやすい大衆がヒステリックにそれに反応してきたからだ。

これまでの規制緩和論は無定見に過ぎたし、規制論もヒステリックに過ぎた。メディアはその間のどこに調和点を見いだせばよいのかを真剣に考えなければならない。そしてそれを主張すべきだ。でなければ無定見とヒステリックの間を往復するばかりで事故は無くならないし、緩めたり強めたりの規制変更に費やされる無駄な国費が増加するばかりだ。

安全ばかりではないが、何かを求めればそれには費用がかかる。国などの行政に求めればそれ相応の予算が必要になる。国民の安全と財政、そして国民生活の基盤である労働環境、これら全てをどのように共存させて行くのか。メディアは迎合でも煽りでもない、真摯な態度でこの課題に取り組むべきだ。読者の気に入りそうな記事ばかり掲載するのは、自他共に認める低級メディアだけにすべきだ。

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