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January 2012

January 31, 2012

変わらない政治家の体質

年金と税の改革について様々な話題がメディアを賑わせている。だが、それを取り巻く政治家たちの体質はこの数十年全く改革されていない様に見える。

というのは、与党は責任上不人気であっても提案せざるを得ないので、不承不承反発や批判が出るとわかりきった案を提出する。そして野党は当然それを盛大に批判し選挙での得票につなげようとする。これはどちらにとっても当然の行動といっても良いのだろう。

しかし、野党側は非難するだけで建設的な対案は決して出そうとしない。これは自民党政権の時代も、今の民主党政権の時代でも全く同じだ。かつて自民党が検討していたとさして変わらぬ案を民主党が検討し、かつて民主党が浴びせていたと同じ論法の非難を自民党が浴びせている。

恐らく再び政権が交代しても、与党野党の双方が今の与党と野党がしているのと同じ事をするだろう。そして国民がそれを支持する。

これでは日本の政治や国家の運営はいつまで経っても同じだ。恐らく、まず国民が、有権者が変わらなければならないのだろう。

民主主義国家の政治の水準は、その国の有権者の水準を超えることはない。今の政治状況は、国民の政治能力をそのまま反映しているのだ。

January 25, 2012

止めどなく増える閣僚ポスト

原子力関係の庁が二つ新設され、またまた大臣と副大臣のポストが増えることになる。官僚のポストも当然増える。

一度整理された省庁の数だが、大臣のポストが減った分は副大臣と言う役職を新設して閣僚のポストの数は逆に増やした経緯がある(副大臣に相当する政務次官というポストはそのままだ)。その後、国が責任を持って取り扱うべきだと言う要求が出る度に新たに「庁」が作られ、政治家と官僚のポストが増やされている。

この調子では、「国が・・」という声が上がる度に止めどもなく省庁が増えて行くだろう。国民の声が渡りに船というわけだ。

かくして政治家と官僚に対する役職手当も増え続ける。議員歳費や政党助成金の削減に触れた与党幹部(たまたま閣僚の一部でもあったが」に対し、野党出身の参院議長が「立法府に対する行政府の干渉だ」と抗議したのを見ても、国家財政改善に対する最大の反対勢力は政治家だと言っても良い。

我が国では高級官僚を含めて政治家の利権が最優先される。

January 23, 2012

確率の信頼度

しばしば大地震の発生予想がメディアを賑わせる。そしてまた、首都直下型地震の発生確率が発表されたそうだ。それによると4年以内に70%の確率で発生するとのこと。

確かに数字自体は大きなもので注目を引くには十分だ。しかしながら、このような数字が発表される都度思うのが、この確率の信頼度は一体どのような方法で評価されているのだろうかと言うことだ。

品質検査などで統計的な手法を用いるのは一般的だが、この場合不良品率などの確率はいくつかの手法で評価される。これは検定とも呼ばれ、確率の信頼度が十分であるかどうかを判断する根拠として使われる。

このような手法で検定を行うには、少なくとも数十件、できれば千件以上のデータ数が望まれ、データの数が多いほど検定の信頼度が高まる。

ところが地震の発生予測を統計的手法で行ったと言っても、それに使用できるデーター数はたかだか十数件だろう。信頼度のある確率を計算するにも、その信頼度を計算するにも不十分なデータ数だ。それを補うために理論的構築した発生メカニズム(モデルとも言う)を使うのだろうが、このモデルにどの程度の信頼性があるのか、それがそもそも判然としない。

従って、発生確率の数字は極めてあやふやなものだ。過去にも「科学理論的」に計算された数年以内の発生確率が非常に高いと発表されたにもかかわらず、その後何十年たっても発生していないという事例は多い。単に、発生しなかったから予測が外れた事も忘れ去られているだけで、全てを拾い上げれば何十例にもなるだろう。

発生予測を行う研究者は、発生確率の信頼度の数値も併せて公表すべきだ。

春の兆し

今年は早くも春が兆し始めたようだ。本州南岸を低気圧が発達しながら通過し、東日本に湿った北東風を引き込んで雪を降らせる、典型的な春の雪の天気図になっている。

一般的にはこの気圧配置は二月中旬から現れ始めるのだが、今年は早くも現れたと言うわけだ。同じ気圧配置でも、低気圧が北寄りに進んで通過後に南風が吹き込むと、雪の翌日のぽかぽか陽気になったりもする。また、この低気圧が東北方向に進んで大きく発達し、北日本に荒天をもたらすこともある。

いずれにしてもこれは早春に特有の現象だ。早くも春の兆しが見えたと言ってもよいだろう。

追記(2012/01/26);
本州南岸で発達する春の低気圧と見えたが、どうやらこれは間違い。その後方に強力な寒波が続いていた。やはり春はまだ先だったようだ。

CANON Pixus MG-6230

長くエプソンのプリンターMP-950Cを使ってきたが、厚手の用紙の引き込みがうまく行かなくなってきたので買い換えることにした。

スキャナーは既にキャノンの8600Fがあるので印刷単能機でもよいのだが、最近は利幅が少ない単能機がほとんど出ていない。ネットワーク対応を重視して、結局は複合機を買うことにした。

購入したのはキャノンのMG-6230。同時期に発売されたエプソンのEP-804Aとは、機能も価格も似たり寄ったりでエプソンの方がやや安いと言ったところ。両面自動印刷を行うための機構が内蔵か後付けのオプションか、CDレーベルプリント用のトレイが内蔵かどうかと言った細かな違いがあるが、どちらも頻繁に使う機能では無いので決め手にはならない。結論としては一般人が日常の用途に使う範囲では、どちらを買っても外れと言うことは無い。最終的には外観が好みに合う方を選べばよいだろう。私がキャノンにしたのは、これまでエプソンのものばかり使ってきたので、たまにはキャノンのものを使ってみようかと言う好奇心からだ。

早速セットアップを始めたが、これまでにプリンターのセットアップやネットワークの設定を自分でやったことがある人なら特に問題無くできる。ただ、マニュアルは非常に使いにくい。セットアップガイド以外は電子マニュアルだけで、その内容は添付ソフトの使い方が中心となっていて、こうしたい時はこの添付ソフトでできますと言ったことばかりで、機構的な説明や取り扱い上の注意はほとんど無い。特に具合が悪いのは索引が全くないため、目的の説明に直接にたどり着く手段が無いことだ。一応の検索はできるがキャノン特有の用語で添付ソフトの説明にたどり着けるだけで、従来索引で使われてきたような一般的な用語での検索はうまく行かない。

と言うわけで、結局は現物に当たってトライアルアンドエラーで突き止めるしかなかったのは大いに不満だ。機械自体はよくできていると思うので、このマニュアルの不備が残念だ。

なお印刷結果を見ると、これまで使ってきたMP-950Cに比較してややオレンジ味でわずかにくすんだ色調になった。私が使っているディスプレイは、色温度が最低で6500ケルビン(いわゆる北窓光線だ)にしか設定できず青味になる傾向が強いのだが、こPM-950Cではこれとよくあっていた。MG-6230は色温度がやや低めに設定されているのかもしれない。

追記(2012/01/23);
マニュアルも最近は電子マニュアルばやりだが、電子メディアは紙メディアに較べて一覧性が悪いのが難点だ。それを補うのが検索機能のはずなのだが、このプリンターの電子マニュアルは検索機能が貧弱でなかなかヒットしない。これが最大の難点だ。また、ハードウエアの取り扱いに関する説明、特に注意点に関する説明がほとんど無いのも問題だ。

全体的な評価として、ハードウエアは優秀だが取扱説明書は落第と言ったところだろう。取説制作担当者が電子マニュアルの見た目の格好良さに自己陶酔して、使用者にとっての分かりやすさに配慮が行き届かなかったと言う感じを受ける。

追記(2012/01/25);
このMG-6230はLANへの接続機能を内蔵しており、有線・無線の両方に対応している。今回、プリンターをパソコンとは作業スペースを挟んだ部屋の反対側に置いたので無線LANで接続した。そのアクセスポイントとして、引き出しの中で埃をかぶっていたBuffaloのWLA-G54Cを引っ張り出して使った。

これでも接続は問題なく行われているが、一つだけ問題点があることに気づいた。どうやらWLA-G54Cの内蔵時計用の電池が切れているらしく、電源を切ると時計がリセットされてしまう。プリンターを使う上では問題がないのでそのままにしているが、外部からのアクセスがなかったかどうかを確認するためログを見ようとすると、電源を切る前の記録も消えてしまう。そのうちに新しいアクセスポイントと入れ替えるつもりだ。

通信距離としては2m程なので極々小出力のもので良いのだが、最近の商品は長距離接続をうたう物ばかりだ。無線出力を極小にできるものを探してみようかとも思う。なお、上記のWLA-G54Cは、電波出力を25%単位で設定できるので最小の25%に絞って使っている。

補足(2012/03/15);ネットワーク設定の方法についての説明も、プリンターのメニューの指示に従ってやれと極めて素っ気ない。機器に弱い人はどのようにすればよいのかが分からず困惑するだろう。設定手順についてはエプソンの取扱説明書に懇切丁寧に書かれているので、EP-804Aのものをダウンロードして参考にするとよい。プリンター側のやり方は異なるが、アクセスポイント側の設定方法は同じだ。

追記(2012/02/11);
電子マニュアルに関して補足すると、このマニュアルでは電子メディアの弱点が如実に現れている。それは、上にも書いた一覧性の悪さだ。

電子メディアでは検索機能をつければ十分だと考えるかもしれないが、その場合どんな用語で探せば目的の項目を見つけられるかが最大のポイントになる。索引があればその中から該当しそうな用語を推定することができるが、索引がない電子メディアでは広く世の中で使われている用語で検索してヒットするかどうかが使いやすさを決定する。ところがこのマニュアルではキャノン社特有の用語だけでしかヒットしないのだ。

例を挙げれば、「CDラベル印刷」や「CDラベル」、あるいは「ディスク印刷」などではどうやって印刷するのかは出てこない。キャノンに問い合わせたところ「プリンタブルディスクの印刷」で検索すればよいのだそうだが、これは世の中で広く使われている用語とは言えないし、一般的なユーザーでは「プリンタブルディスク」という単語は思いつかないだろう。

検索は一般に広く使われる用語で目的の項目に到達できなければならない。このことをなおざりにした検索機能では役に立たないのだから。

追記(2012/03/10);
MG-6230の電子マニュアルは独立したアプリケーションなので、目を通すにはインストールする必要がある。キャノンのサイトからダウンロードできるが、購入前にマニュアルに目を通して検討したい人には少々不便だ。その点、キャノンの従来品のようにPDF形式の方が利用しやすい。

追記(2012/05/08);
MG-6230はこれまで使ってきたEPSON PM-950Cに較べると、実感としてインクの減りが速い。
カートリッジの大きさを較べると、MG-6230用はPM-950C用の物に較べて半分もない(奥行きと幅は同程度だが深さが4割弱)。当然インクの内容量も半分以下だろう(内容量の表示はどちらにもない)。だが価格は、MG-6230用が850円前後であるのに対しPM-950C用の物は950円前後。カタログでは同じ様なランニングコストだが、実際にはかなり高くなるかもしれない(単位面積あたりの吐出量にも依存するが)。

追記(2012/06/28);
電子マニュアルは、2012/06/28現在V.1.10にバージョンアップされている。しかし、索引が無いことや検索の使いにくさの問題は全く改良されていない。

追記(2013/02/27);
発色の点は用紙の銘柄によって大きく変わるようだ。たとえ写真用紙であっても、Canon純正のものとサードパーティ製のものでは差が出る。各プリンターメーカは基準にしている用紙で発色を合わせるのだが、その用紙がメーカー毎に異なるので致し方ないようだ。

前記の色が赤暗みになる点も、キャノン純正の用紙では大幅に改善される。まだ試してはいないのだが、エレコムはキャノン対応をうたった物と、エプソン対応をうたった物とを別グレードとして販売している。プリンターメーカーそれぞれが基準にしているものに近い特性にしていると言う事なのだろう。

追記(2013/12/22);
カレンダーを作っていて重大な欠陥に気がついた。それは、写真用のグレードの紙質を選択すると用紙サイズに「ユーザー定義」が無いことだ。このためプルダウンメニューに無い、A5、B6等の手作りキットへの印刷ができない。普通紙などには「ユーザー定義」があるのだが、印刷の画質を「写真印刷」にすると紙質が「写真用」に切り替わって、やはり「ユーザー定義」が使えない。

メーカーは気の利いた機能のつもりでいるように見えるのだが、用紙サイズを一部の紙質で自由に設定できないというのは「余計なお節介」でむしろ重大な欠陥だといえる。

(補足);指定可能なA4サイズを指定して強引に印刷すれば、プリンターをだますことはできるのだが、印刷の都度作成ソフトが自動的に指定する設定を変更しなければならず非常に面倒だ。これをしないと「普通紙」の条件で印刷されて色がおかしくなったり、印刷方向が違ったりする。

January 21, 2012

山鳩

しばらく前から、私の部屋の前のアラカシの木で頻繁に山鳩が鳴いている。

数年前には、その隣のカンツバキの木に懸けた巣で子育てをしていたこともある。今度はこのアラカシの木に巣を作るのだろうか。

January 19, 2012

感想と批評

NHKの大河ドラマ今年度版に付いての兵庫県知事の発言が話題になっている。

ただ、それに関する記事を詳細に読んで見ると、発言をする方もそれを記事として取り扱う方も、どちらも個人的な感想と公式の批評の区別ができていない様な印象がある。発言をする方は個人的な感想をそう断らずに語り、書く側も前後の文脈から明らかに個人的な感想であるにもかかわらず公式の批評のように報道する。どうもそのように見えて仕方がない。

その背景には、バラエティショーでよく見られるさしたる知識もないタレントが口汚くののしる事を喜び、それをいかにも権威ある発言であるかのように取り扱う風潮があるかもしれない。だから報道する側も批評家の公式の批評でもないにもかかわらず、批評家のそれなりの重みがある批判であるかのように報道してしまう。

最近の政治家の「不快感を表明」報道にしても、高飛車な発言を喜ぶ大衆に迎合するメディア関係者の、節度のなさが背景にあると思えて仕方がない。昔からいる人の発言を針小棒大に歪めてふれ回り、もめ事を起こしては喜ぶ、そんな卑しい人物像に今のメディア関係者が重なって見えるのだが皆さんはどうだろうか。

January 17, 2012

外車と携帯端末機器の共通性

外車と携帯端末機器には共通性がある。それは収益を引き上げるための販売戦略が良く似ていると言う点だ。

最近は国産車に近づきつつあるようだが、かつて外車は販売先を富裕層に絞っていた。その理由は、販売台数を増やさず収益を上げるためだった。販売台数が少なければ、販売にかかわる人員もメインテナンスサービスにかかわる人員も少なくて済む。その代わり、本国の標準にはない豪華装備を多数取り付けた豪華仕様にして売価をふくらませることで単価を引き上げ、利幅を大きくしていた。

携帯端末の販売戦略もこれとよく似ている。販売価格の低下を防ぐため、多数の機能を盛り込むことで高価格化をはかっているからだ。他社にない機能、新機能を売り物に購入者の優越感をくすぐり、高価格でも売れるようにしようと狙っているからだ。これは、豪華装備の高価格で購入者の優越感をくすぐることで売ろうとした、かつての高級外車の販売戦略に一致する。

しかし決定的に異なる点もある。それは新型開発競争だ。携帯端末機器の基本構成部品はほとんどが同じであるため、新機能はソフトウエアに依存する部分が多い。このため他社に先駆けたつもりの新機能もたちまち追いつかれてしまう。そうなれば差別化ができないので、各社は新機能の追加に血道を上げることになる。これが開発コスト、さらには製造コスト(当然開発コストが乗せられるからだ)を引き上げて収益性を悪くする。

販売会社は価格上昇分をメーカーに押しつけることで負担を軽減できるので、この販売戦力に安住している様に見えるが、製造会社は収益性がどんどん低下して行く。一体どこまでこれを続けられるのかと疑問を感じる昨今だ。

高齢者社会保障費は誰が負担していたのか?

不足する高齢者の社会補償費用を賄うための増税が議論されている。現役世代の負担が増えると言うことで反対する向きが多いが、それについて過去においてはどうだったのかと言うことを考えてみた。

結論としては、過去においては現役世代が実際の役務や扶養費という形で、その費用を個々に直接負担していたといえる。現在は、その分を国家や自治体などの行政に外注委託する形に変わっているため、行政が負担する費用を新たに生み出す必要が生じている形になる。それ(増税)無しでは、従来行ってきた行政サービスを縮小せざるを得なくなるからだ。

このような観点から見ると、現役世代が実際の役務や扶養費という形の負担をしなくなった分は、やはり金額に換算して税金として負担すべきと考えざるを得ない。その代わり、親と同居して生活の介助をしたり生活費を拠出して扶養しているものにはそれ相応の所得控除を行う。現在よりも控除の対象を広げ、現在の制度では扶養家族として認められていない状況でも、現実に何らかの費用負担をしている場合には控除対象として認めるべきだ。

増税を認める変わり、現実の役務や扶養という形で直接に負担しているものにはそれ相応の見返りを与える。それが最善の形ではないだろうか。

追記;
同じ事は他の行政サービスについても言える。それは、昔は「結」等の地域共助システムで住人が直接に役務を提供する形で行われていたものを、行政が代わりに行うことになった業務だ。これも外注委託費の原資が必要であるから、税として徴収して確保しなければならなくなった。

このように、かつては家族や地域の共助システムが直接に役務を提供することで行われていたサービスを、行政が代わって行うために生じる費用の財源を誰が負担するのかという問題は、今後も多数発生するだろう。

高度できめの細かいサービスにはそれ相応の費用が必要であり、その財源となる税金が必要なのだ。

January 16, 2012

有権者の実力不足;「くれくれ族」と「くれない族」の大繁殖

最近のメディアを見ていると、何でも政府にやってもらいたい。また逆に政府かこれをしてくれないと言う不満が多く、またその不満に好意的な記事が多い。そしてその原因は政治家の指導力不足で、強いリーダーが待望されるという主張が目立つ。

しかし、私はその主張は的外れであると思う。なぜならメディアに於いて「リーダーシップ」や「指導力」とされているのは、他人を服従される能力のように見えるからだ。これは民主主義的な指導者像とは相容れない、独裁主義的な指導者像でもあるからだ。

民主主義の基本は対話と説得である。そして多くの人の意見を聞いたうえで、最適の妥協点をを見いだし、皆がそれを受け入れるよう粘り強く説得するのが民主主義における好ましい指導者像である。しかし今、時間をかけて多くの意見を聞いていると、それだけで指導力不足だと批判されてしまう。

メディアは即決や即断が好みで、それを強引に押しつける政治家を好む。しかし、決断するばかりが政治家の資質ではない。決断すべき時か、決断を避ける時かを見極める能力もまた必要な資質なのだ。俗受けを狙った決断ばかりしているようでは、拙速な判断で大きな誤りを犯しかねない。メディアも多くの有権者もその識別ができていない様に見えるのだ。

それは突き詰めていけば、最終的に有権者の実力不足にたどり着く。この数十年間、国民の多くは政府がしてくれることに慣れきって、良い政治や政府を維持することまで政府に任せっぱなしにし、良い政治家を選ぶことに無関心になっている。それが、無能であるにもかかわらず派手な発言や行動で人気を取ろうとするバラエティショー型政治家をはびこらせてきた。

政治の現状は、有権者に政府にしてもらうことばかり考える「くれくれ族」と「くれない族」がはびこり、優れた政治家を選ぶという自分たちの責任を果たさなくなった有権者の無能あるいは政治的な実力不足が招いたものだ。

有権者が無能な国には無能な政治家がはびこる。

January 14, 2012

幸福の木(ドラセナ)の花

かれこれ15年以上我が家で暮らしている幸福の木(ドラセナ・マッサンゲアナ)から初めて花穂が伸びてきた。7~8年前にうっかり寒さに当てて一度枯らしてしまったのだが、暖かい所に取り込んで少しずつ水をやっていたら再び芽が出たという前歴の持ち主だ。

さてどんな花が咲くのか楽しみにしている。

花穂の全体の姿。長さは25cm程。
(2012/01/14 撮影)

個々のつぼみは約2mm。茎の所々からねっとりした蜜のようなものが出ている。(同左)

追記(2012/01/29);
数日前から花が開き始めた。

室内に置いてあるのだが、直径1cm程の6弁の白い花が夜に開き、「ユリ」に似た芳香を強く放つ。昼間は花が閉じ、香りもほとんど感じられない。


追記(2012/02/01);
花は一晩だけで茶色くしおれてしまうが、次々と新しい花が咲き続ける。

日ごとに香りが増して頭痛がするほどになったので、とうとう切り取って玄関にいけることにした。香りが強いヤマユリかテッポウユリを、狭い部屋に何輪もいけたような状態と言えば想像してもらえるだろうか。

January 13, 2012

またまたフィッシングメール来る;インターネットのセキュリティは信頼しないこと

前回とは別のゲーム運営会社(ハンビットユビキタス)を名乗る偽メールが届いた。またもフィッシングサイトはインドにあるようだ。

元来野次馬根性が旺盛で、オンラインゲームサイトにもたくさんの足跡を残してきているので、それらの運営会社サイトからメールアドレスを抜き取った連中が詐欺グループに情報を売っているとすれば別に不思議でも何でもない。別の言い方をすれば、偽メールに使われたゲーム運営会社からはユーザー情報が盗まれている可能性が大(注)と言うことでもある。

いずれにしてもメールアドレスしか登録していないので直接的な金銭被害につながる可能性は少ないだろうが、このようなことが頻繁に行われていると言うことはインターネットサーバーのセキュリティというものがいかに信頼できないものであるかと言うことの証明でもある。

それ故に、インターネット上では金銭決済を行わないよう強くお勧めする。また、使っているパソコン上にも、クレジットカード情報や銀行口座に関する情報は置かない方が良い。もちろん私は一切置いていない。また、店舗でクレジットカードを使う場合も、全てサインで行い暗証番号は使わない。

注;
これは必ずしもユーザーのパスワードやクレジットカード情報も含めてと言うことではない。ユーザー名とメールアドレスだけならば流出しても金銭リスクが少ないとして、セキュリティーが甘いサーバーに置かれたり、関係者が簡単にコピーできる管理がされていたりするからだ。

追記(2012/01/13);時間があったので調べてみると、このフィッシングサイトの登録者も前回と同じで、管理担当者のメールアドレス(どうせ捨てアドレスだろうが)が同じなのでドメインの所有者も変わっていないようだ。URLも、先頭に近い部分だけがハンビット社のものに見せかけるため変更されているだけだ。このグループは同じリストを使って、様々な運営会社を装って繰り返しメールを送信しているものらしい。

子供向けの広報活動

国内外の様々な機関のサイトを見ていて感じるのは、日本と欧米との間で子供向けの広報活動に質・量とも大きな差があることだ。欧米、中でも米国の機関は、公設民間を問わず大きな精力をつぎ込んで、魅力的で分かりやすい子供向けページを設けている。特に、日本で言えば小学生に相当する年齢層を対象とする部分で大きな努力が払われている。

それに較べると日本の機関は公設民間とも著しく見劣りがする。これは、子供のうちから様々な専門分野に関心を持たせることの価値についての、社会的意識の違いからくるものではないだろうか。それが子供に対する広報活動の質や量に現れているのであろうと考える。

これは、別の見方をすれば子供の育成に関する社会的意識の問題とも言える。とにかく入学試験で良い成績を取り、大学に入りさえすればそれで良しとして終わってしまう日本の教育の現状を反映しているとも言える。

さらに別の見方をすれば、これは試験勉強が大変だから学習内容を減らして子供に楽をさせようとする「ゆとり教育」の根底にあるものとも共通性があると思う。子供が関心を持たなければならない分野を狭めることが、子供に楽をさせることであり良いことであるという誤った「思いやり」がそこにある気がするのだ。

それよりもむしろ、世の中には様々な分野があることを教え関心を持たせる。そしてその中から、子供自身が興味を持てる分野を見つけることを助ける。その方が子供のためになる様に思えるのだ。

もっとも、子供が一流企業に就職することが親の名誉であり、そのことに満足すると言う世の中の風潮から変えて行かなくてはならないのかもしれないが。

January 11, 2012

JR西日本前社長に無罪判決

福知山線尼崎事故の責任問題については、その地点が他の地点に較べて特別に危険であると判断すべき理由があったかどうかが鍵になると考えていた。その見地からは今回の判決は妥当なものと言わざるを得ない。

当時、JR西日本管内だけで数千カ所もあると報じられていたATSを設置することが好ましい危険箇所の中で、事故のあった地点が他の場所に較べて特別に危険であり最優先すべきであったという報告が統括責任者であった前社長に行われていたことの根拠が具体的に示されない限り、前社長を有罪にすることは難しいだろう。たとえ一般的な危険地点一覧の報告を受けていたとしても、その中で緊急の処置を要するほど危険度が高いとの注意書きが添えられていなかったとすれば、前社長が事故地点の危険度に特別に注目せねばならなかったとは言えないからだ。

また、企業経営側の人間としては有限の予算内で安全対策を進めなければならない。そのような立場にある統括責任者としては、細かい状況を知る部下の担当者から提案された優先順位に沿って設置工事を進めるのが当然といえる。

そもそもこの件は、法人格に対して問うべき刑事責任を、遺族や負傷者の心情を優先し、企業組織内における業務手続きを無視して無理矢理個人に対して問おうとしたところに無理があった。その背景にはメディアが悲劇性を煽ったことがあり、その結果検察が強制起訴になることを恐れて強引に起訴して批判をかわそうとしたことがあると思われる。極言すれば、世論迎合起訴とも言える。

検察がそうせざるを得なかった背景には、法人格に対して刑事責任を問う範囲が限られていて、このような突発性の事故に対しては適用できないと言うことがあるだろう。また、法人に対して刑事責任を問うても、懲役や禁固などの刑罰を科することができないので、自分以外の誰か特定の個人に責任があったことにしたいという遺族の心情にも応えられないと言う面もあるだろう。

追記(2012/01/11);
夜のニュースでコメントしていた法律関係の大学教授に、「遺族の心情を考えれば有罪にすべきだ」と述べている者がいた。これは法の下における平等性を否定し、遺族の感情に基づいて有罪か無罪かを判断すべきと言っているに等しい。

January 10, 2012

進まぬ災害復興

新年を迎えたが、被災地では目に見える復興の兆しは少ない。それについて政府を支援が不十分だとして非難する声もある。しかし、災害復興とは当初の数年は目に見える形では進まないものだ。

阪神淡路大震災でも、2年ほどは更地が増えるばかりで目に見える形の復興は進まなかった。実際には復興の準備として被災家屋などの撤去が進められ、その背後で復興計画の煮つめが行われてはいたのだが。その後建設が実行段階に移り、新しい建築物が増え始めたのは5年ほどたってからだった。

このように、比較的範囲が限定されていた阪神淡路大震災ですら、復興がなかなか進まないように見えた。ましてや、今回の東日本大震災のように広い地域で異なる要因の災害を受けた場合にはなおさらだ。

それに加え、被災地では国主導の大規模な復興計画を求めている。これは、目に見える形の復興が進み始めるまでに多大な時間が必要になることを意味している。なぜならば、地域が広くなればなるほど、要する資金が大きくなればなるほど、利害関係者が増えてその調整に手間と時間がかかるようになるからだ。

だから、復興を早く進めたいのであれば、計画の単位は小さくする方が良い。その方が地域の特性に合わせて融通を利かせやすいという利点もある。大規模になればなるほど、公平性という名の利害対立が発生して調整が困難になる。自治体が、地元建設業者の利益と首長が選挙で誇示できる実績を求めて、大規模な計画を望むのも無理からぬことではあるが、大規模になれば中央の大手建設会社が乗り出して元請けを奪うことにもなりやすい。その点も考慮すべきだ。

January 09, 2012

前任者を悪者にせよ

政治的な成熟度が低い国の政権交代時に必ず見られるのが、国内外でうまく行っていないことのことごとくを前任者の責任にして非難することだ。これは、かつての日本でも盛んに行われたことも事実として否定できない。

たとえば藤原鎌足が政権を奪取した後、蘇我氏が悪役として正史に残された。同様に藤原氏は平家によって悪役にされ、平家は源氏によって悪役にされた。同じことは明治維新においても行われ、徳川政権時代のことごとくが否定された。同様なことは現在の東南アジアやアフリカでも盛んに行われているのはメディア上で盛んに報じられている。

しかし同じことが最近の日本で再び増加している様に見える。自分の正当性を訴えるために前任者を悪役に仕立てて盛大に非難する後任者が多いのだ。これは国政でも地方自治でも、そして民間会社でも行われている。

そして困ったことに、それを大衆メディアばかりではなく大手メディアまでが尻馬に乗っておもしろおかしくかき立てる。これが大いに現在の日本の政治や企業経営をゆがめているように見えるのだ。

このような低レベルで節度も自負もない風潮が広まっていることは、政治的先進国あると主張する日本としては実に情けないことだ。

業界用語

最近気になってしかたがないのがいわゆる業界用語の使い方だ。

私が若い頃は、専門外の人に対して「業界用語」や「専門用語」は使わずに「一般用語」に置き換えて話すべきであるとされていた。別の言い方をすれば、それがマナーであり、専門外の人に「業界用語」や「専門用語」を使うのは一種のひけらかしであり、たしなみの悪い行為とされた。

しかし最近は、「業界用語」や「専門用語」、さらに「カタカナ語」をやたらに使う方が「カッコイイ」とばかりに場所や相手をかまわずに使うものが多い。そして、相手が理解できないでいるとバカにした態度で説明する。

そんな例が多く目に付くのが気になってしかたがない。半玄人の「似非専門家」が「コメンテーター」としてメディアに多く登場するからだろうか。確かに、そのような者達が「専門家」ぶるために「業界用語」や「カタカナ語」振り回す心理は分からないでもない。しかし、そのような「似非専門家」が生かじりの知識で行う、いい加減なコメントが「専門家の意見」として流布するのは好ましくないことだと考える。

January 08, 2012

政治における迷信;政権が変われば景気が良くなる

選挙の度にメディアを中心に喧伝される迷信がある。それは「政権が変わることによって景気が良くなる」ことを期待する、だ。

だが、経済がいわゆる「グローバリゼーション」によって国際的に緊密に結びつくようななった今、一国の政治家がその国の経済状況を単独で変えることは事実上不可能であり、変えられるというのは幻想に過ぎない。もちろん、経済問題は野党にとってもっとも簡便な攻撃材料であり、大衆受けもし易い。だから真っ先に「私が」、あるいは「我が党が」政権を取れば景気を良くすると口を揃えて言う。

しかし一国で何か制度的な変更で自国経済を活発にしようとしても、各種の条約による縛りや、他国から自己主義だとの非難を受けて自由にはできない。そこで、大規模な財政出動を行おうとしても、国家財政はこれまでの支出で火の車である上、国債の発行も後の世代の負担を考えれば野放図には発行できない。また、国債で得た資金で財政出動を行っても、それによる民間利益のかなりの部分が海外企業に持ち去られ、効果が減少してしまう。しかし、海外企業を排除することは各種条約で禁じられていてそれもできない。

結局、現在では一国の経済問題をその一国内で解決することは不可能になっているのだ。従って他国の協力を取り付けることが不可欠なのだが、これは各国の利害が対立するためほぼ不可能に近い。協力を取り付けられたとしても、政策の効果をほぼ帳消しにするような協力国に対する見返りを求められる。

よって、野党時代盛大に政権を非難し、自分たちは改善できると主張しても、それは選挙用のスローガンで終わるしかないのだ。それは世界各国の現在の状況が証明している。

「政権交代で景気が良くなる」と言うのは、今や単なる迷信、あるいは幻想に過ぎないのだ。

January 07, 2012

トンデモ科学者の疑問;人類学編5

ナショナル・ジオグラフィック・ジャパンに「声の低い男性は精子数が少ない?」という記事が出ている。女性にとっては声の低い男性は魅力的だが、このような男性は声が高い男性に較べて精子の数が少ないと言うのだ。

つまり「もてる男は精子が少ない」というわけだ。

もっともこれは当たり前なのかもしれない。もてる男は女性との性交機会が多い。従って一回あたりに消費する精子の数を減らして、多くの性交回数を可能にしている。逆に、もてない男は性交の機会が少ない。従って一回の性交で消費する精子を多くして受精の確率を高めようとしていると言うわけだ。

もっとも、精子の運動能力や受精能力は差がないそうだ。と言うことはつまり、期待できる性交機会の多少によって、一回に注入する精子の数を調整する仕組みがあると言うことだろう。

January 04, 2012

宝くじと復興資金

今も人気がある宝くじだが、これが特に盛んになったのは敗戦後だ。その目的は戦災で荒れ果てたインフラの復興資金集めで、その後も自治体による資金集めとして利用が続いている。

そこで、今回の津波や放射性物質による被害の復興の資金集めに、宝くじを発行してはどうだろうか。発行には国の認可が必要だが、得た資金は掲げた目的の範囲内で自由に使える。国の給付金のように、申請してから使えるようになるまで一年以上かかったりすることもない。

前の記事のように、小さな復興を積み上げて復興の速度をあげて行くには良いと思うのだがどうだろうか。

追記(2012/01/04);
この宝くじについても、政府主催ではなく各自治体の合同主催で、事前に配分を決めて行うのが望ましい。政府が中心になると使い道に制約がつけられかねないからだ。各自治体が自発的に行い、使い道に細かな制約が付かないようにすべきだ。

January 03, 2012

復興は小さい方が良い

年が明けて、大津波の被災地では改めて復興が迅速に進むのを期待する人が多いだろう。

ただ、復興の手法については国主導の大規模なものは必ずしも好ましくない。その理由は、国主導の大規模な復興計画を立てようとすれば、関係者が多くなるので利害対立も激しくなり、その調整に多大な時間がかからざるをえなくなる。これが復興計画の立案や実施の速度を阻害するのだ。だから、復興は小規模なものを積み上げて行く方が良い。

阪神淡路大震災でも、大規模な区画整理などを伴うものは計画がまとまるまで五年以上。それから利害関係者全員の同意を取り付けて実施に移るまでにさらに五年以上かかった例も珍しくはない。その間一切の建築ができず、生活に困窮して去っていったものも多いのだ。

だからこの際、国の資金を得て大規模な開発を等とは考えない方が良い。計画は小さく、地元住民の知恵を生かした小回りがきくものの方が素早く進めることができるのだから。

バブル時代の「大きいことはよいことだ」そのままに国家主導で無理矢理に進められた「平成の大合併」で肥大化した地方自治体には難しいことかもしれない。しかし速度を上げるには小さいことが生きる。地方自治体も国も、御上意識を捨てて地元の小さな街単位の知恵を生かして進めるように望む。

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