受け皿が作れない;立ち往生の菅降ろし
「菅でなければ誰でも良い!」と一部メディアがはやし立てた「菅降ろし」が、ここに来て立ち往生気味だ。
その原因は明白。受け皿体制が作れない事にある。
「菅でなければ誰でも良い」のであれば、さっさと誰かをたてればよいと思うのだが、それが進まないのはなぜか?それはこの時期に政権を担当する事への損得勘定だろう。
菅政権化で、復旧がもたつきながらも少しずつ進み始めている。しかし、不満や要望が本格化するのはこれからだ。従って、今政権を担当すれば、目覚ましい成果を上げない限り批判を浴びるのは必至。だから自分はやりたくないから、誰かやってくれと言うわけだ。
自民党の谷垣氏も、連立政権で連帯責任を負いたくないから、あれこれ条件をつけて逃げている。自民党が誰を支持すると言えばすぐに受け皿は作れるはずだが、そうすればその政権の成果に対する共同責任が生じるからだ。つまり受け皿が作れない最大の責任者は、谷垣氏だと言って良いだろう。
自分たちの言いなりにならない菅氏はおろしたい。しかし責任は取りたくない。今の永田町には、そんな意気地がない政治家しかいないらしい。
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