景気対策は輸入に直結しない形で
景気刺激策についていろいろな提案がされている。大幅な財政出動を求める声も強い。
しかし気になることが一つある。それは昨年の給付金のように、そのまま低価格輸入品の購入増に流れ、国外に流出してしまうような形の手段では効果が少ないと言うことを指摘する声がないことだ。昨年の給付金も「御上が下しおかれる金じゃ、ありがたく思え」という目論見だったろうが、結局潤ったのは安価品輸入業者と、発注先の外国メーカーだったように思う。今後はそんなことがない手段を用いて欲しい。
そうした面からは、最近非難され続けてきた公共事業は必ずしも排除すべきではないのかもしれない。特に失業対策事業として公共事業を利用するのは古代からの手法だ。エジプトのピラミッドだけではなく、古代国家における大規模工事は支配者の威光を示すだけではなく、農閑期の農民に現金収入を得させる手段としても用いられたことがあるらしい。
現在の経済学ではこのような手法は否定するのが流行らしい。ニューディール政策に対する批判がその好例だ。しかし、公共事業が失業者に収入を与え、購買力を創出する面は否定できない。しかも事業によって作られた財が残る。その点、単なる給付金より価値があることは明らかだ。戦後の復興においても、失業対策事業が生活困窮者を救済し、景気を刺激した事実は否定できないだろう。
何を作るのかを吟味しなければならないのは当然だし、大手ばかりが潤うことがないようにすべきことも当然だが、公共事業だからという理由だけでこれを否定するのは誤りではないだろうか。
また、大手優先の市場自由主義が地方経済を衰退させた面も素直に直視し、仕事の配分方法も見直すべきだろう。私は、ある程度の分野では地元企業を優先し、隣接地域の企業がそれに次ぎ、大都市企業には大きなハンデを課すると言うのも間違いではないと思う。
« 「成長の限界」と「成長無き繁栄」 | Main | 小泉・竹中改革の申し子の破綻 »
Comments