「成長の限界」と「成長無き繁栄」
ローマ会議が「成長の限界」と題した報告書を出してから、すでに四半世紀は過ぎ半世紀が近づいている。しかし、未だに世界経済は「成長」に依存し、「成長無き繁栄」のモデルやそれに到達するシナリオは提案されていない。これは経済学者や経営学者たちが怠慢なためなのかあるいは無能なためなのか。
ローマ会議が警告したように地球資源の底が見え始め、途上国の成長と環境変化がそれをさらに悪化させている。にもかかわらず、先進国の経済は途上国の成長にもたれかかって「成長による繁栄」モデルから抜け出そうとはしていない。
その理由は、経営者たちは資本家が要求する目先の利益を追うことに手一杯で、長期的で安定した収益モデルは、短期的収益が少ないとして排除するからだ。また経済学者や経営学者は、短期的収益をいかに向上させるかということと、直近で起きている現象の解釈とモデル化に追われているからだろう。
しかし資源の限界が見え始めた今、「成長モデル」では長期的に「豊かな生活」を維持できないことも明らかだ。放置すれば、SFに描かれているような「地球を脱出して豊かな生活を送る経済的・政治的エリート」と「地球に残された賤民」(あるいはその逆かもしれないが)、そんな事態にもなりかねない。二十一世紀中に、地球外への大量移民を可能にしない限り、二十二世紀に地球上の人類を養っていくのが困難になる可能性は大きい。
次の世紀には、「核融合(単に安価なエネルギー源の例にすぎないが)」、「成長無き繁栄」、そして「地球外への大量移住」が不可欠になるのではないだろうか。研究に投入できる資源もやはり限られている。人類の将来を開いておくために、どんな研究に重点投資すべきなのかを真剣に考えるべきだ。
「成長無き繁栄」のように、成果が研究当事国だけの利益にならない分野もある。そのような課題は、国際機関に資源を集中して研究を行うことが好ましいだろう。
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