起訴しなければ世論が許さない
郵便不正事件に関する報道を見ていて思うことがある。
それは、当時の状況では起訴しなければ世論が許さなかっただろうと言うことだ。各種メディアは大手からB-C級までこぞって、被告を不良高級官僚の代表のようにかき立てていた。世論もまた、官僚叩きに熱中していたために悪代官退治のように非難していた。
その中で、検察が「嫌疑不十分で不起訴」の結論を出せばどうなったか。おそらく高級官僚をかばったとして、検察がメディアからの非難の集中攻撃を受けたろう。また、検察審議会は不起訴不当の結論を出したろう。検察審議会のメンバーも、当時の状況では不起訴妥当の結論を出す勇気はなかったろうから。
こうした状況で、担当検察官が証拠をねつ造してでも起訴しなければならない心理状態に追い込まれたことは容易に想像できる。過去の冤罪事件でも世論の盛り上がりに押されて、無理矢理に自供させてでも起訴に持ち込んだ場合もあったろう。
冷静に見て、メディアが事件報道のあり方を変えるまで、このような事件はいくらでも起きる。世論は報道に影響されやすいもので、常に正しいとは限らない。有権者の声についても同じだ。過去を振り返ってみれば、世論の暴走が国を誤った方向に導いたことはいくらでもある。太平洋戦争もまたしかりだ。
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