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September 2010

September 25, 2010

中国漁船長釈放は外交上の大失態

中国漁船長を帰国させたのは外交上の大失態だろう。比較して言えば大阪地検特捜部の不祥事どころではない。

あちらは後からでも処分して取り返せるが、こちらは後からでは取り返しが付かない。中国の一般人は領土争いで日本が全面的に譲歩したとして勝利感に浸るだろう。そしてさらに対応しにくいトラブルを起こそうとするはずだ。中国政府としても国内対策として要求をエスカレートさせ、より多くの利益を得なければ体面がつぶれる。だから一度一方的に譲渡すると次々と譲歩しなければならなくなる。

もし政府が、これで東シナ海ガス田問題の譲歩を期待したとすればおめでたいとしか言いようがない。外交とはそんなに甘い物ではない。中国はこの問題でもさらに強硬な態度に出るだろう。

対等な外交交渉とは、足して二で割って手を打つのが通例だ。要求も譲歩もそれを前提に行わなければならない。そうしなければ双方の面子が立たないからだ。

だから今回の対応は、外交上全くの大失態だと言わざるを得ない。戦後このような甘ったれた譲歩外交ばかりしてきた外務官僚たちは、全く何も学んでいないようだ。

北方領土問題も、足して二で割ることを前提に要求を出し、交渉していればとっくに解決していただろう。それは、ソ連とフィンランド、あるいはソ連と中国の領土交渉の決着の仕方を見れば歴然としている。

September 24, 2010

新外交不祥事

衝突事件を起こした漁船船長を中国との外交関係に配慮して釈放するという。これは極めた誤った判断だ。

これによって、中国は資源を絡めて圧力をかければ日本は言うことをきくと判断するだろう。これは今後の日中関係における大きな災いの元となる。今後似たような事件が起きるたびに同じような脅しをかけられるだろうし、脅しに応じなければ前回の担当者の時は言うことをきいたのに今回きかないのは私をバカにしているからだと考えるだろう。

だから、今回の措置は大きな誤りだ。外交においてはこのようなことで恩に着るような甘い国など無いと言うことを、外務省の官僚は全く理解していない。それとも政治主導で前原氏が要求したのか?

いずれにしてもこれは禍根を残すことになる。外交上の不祥事と言うべきだ。

追記(2010/09/25);予想通り、中国は追加の要求を出してきた。今後も中国は新たな要求を出してくるだろうし、日本に勝利したと思っている民衆を押さえるためにそうせざるを得ないはずだ。

一方、中国の民衆は領土要求の一部が通ったと思って、領土要求運動が盛り上がるだろう。ますます周辺に入り込む漁船は増えるはずだ。そしてトラブルの都度、資源を絡めた要求を厳しくし、領土奪取につなげようとする動きも当然出るはずだ。この件に関する今後は、ますますこじれることになるだろう。

今回の決定に関与した者はそこまで考えていたのだろうか、大いに疑問だ。

今後の日中関係を考慮するのであれば、今回のトラブルは絶対に譲歩してはいけなかった。関係者の責任を追及し、処罰する必要がある。

検察不祥事、取り調べは信用できるのか?

メディアが盛り上がっている検察不祥事の取り調べだが、可視化されないままに行われている今回は信用できるのだろうか?

不祥事自体が、メディアが盛り上げた官僚叩きの世論への迎合が疑われるだけに。今回もまた世論に迎合するため、強引な誘導や強要にならないかが心配だ。

元局長の取り調べの時も、メディアは有罪と決めつけて世論を煽っていた。あの状態で起訴しなければ世論は収まらなかったろう。事実上、検察に対するメディアからの圧力といえる。今回もメディアは担当検察官に対して同じことを行っている。

メディアがいかに煽ろうとも、世論に迎合する取り調べは厳に慎まねばならない。これはまた、裁判員・裁判官についてもいえることだ。さもなければ、メディアを利用した司法への圧力が横行することになる。メディアにもまた、反省を求めたい。

レアアース資源(黒鉱と海水)、そしてガイアツ

漁船体当たり事件にたいし中国が様々な脅しをかけてきている。しかしこれに応じてはいけない。一つでも応じれば要求が次々にエスカレートし、領有権放棄を求めてくるだろうから。

中国が次々に脅しをかけてくるのは、日本の財界が自分たちの利益を国益よりも優先させると見られているからだ。これは国益を損なってでも自分たちの利益を拡大するため、「ガイアツ(外圧)」を利用してきた過去の事例が証明している。それならば財界に圧力をかければ良いと中国が考えるのも当然だ。

ところでレアアース資源だが、これは中国が独占していて日本には無いという。しかしそれは本当だろうか?そうとは思えない、日本には「黒鉱」が有り、これには種々雑多な金属が含まれている。かつては「亜鉛」、「鉛」などの鉱石として採掘されてきた。最近は南米やアフリカの大規模鉱山に押されてほとんどが閉鎖されてしまったが、それは卑金属鉱山としての評価に基づく結果だ。

深海の熱水地帯には豊富な硫化鉱が存在し、レアアース資源として期待されているという。それならば成因がほぼ同じと言われる黒鉱にもレアアース類は含まれているはずだ。だから黒鉱の再評価を行って見てはどうだろうか。さらにまた、リチウムなどのアルカリ金属は海水中に豊富にある、リチウム等の副産品を目的とした製塩も経済性の評価をしなおしてはどうか。

関連記事;日本が作った?レアメタル危機
     金属精錬を日本で止めてはいけない

検察不祥事;一体何をしたかったのか?

FDのファイル日付を書き換えたとされる今回の不祥事だが、報道されている範囲では一体何をしたかったのかがさっぱり分からない。したと伝えられていること自体のつじつまが合わないのだ。

当時は、メディアあげて高級官僚叩きの真っ最中。厳罰を求める世論と、起訴にするには不十分な捜査状況の狭間で、混乱した精神状態になったのだろうか?だとすると、世論が作った不祥事ともいえるのだが・・・。

September 23, 2010

検察のでっち上げ

不祥事が続いたせいで検察の信頼度が地に落ちている。今や検察叩きはファッショントレンドと言っても良い。

そこにつけ込んで、被告が検察のでっち上げと主張するケースが増えているようだ。特に裁判員裁判の対象になる犯罪ではでは、いい加減に自白しておいて裁判で否定する者が今後急増するだろう。その結果、本来有罪であるべき者が無罪になるようでは、それを当てこんだ犯罪が増加することにつながる。それでは生活の安全が失われる。

それに対抗するためにも検察にはしっかりと裏取りをして、民放局のようなへまはしないでもらいたい。それがまた、検察への信頼を回復することになる。

September 22, 2010

サブコンパクト一眼デジタルカメラ

フォーサーズやマイクロ-フォーサーズより下位の、レンズ一体式の一眼型デジタルカメラを、私はサブコンパクト一眼デジタルと呼んでいる。

このクラスの特徴は、高倍率のズームレンズとマニュアル操作の幅が広いことによる機動性だろう。欠点としては、ポケットデジカメより大きくて重いこと、上位カメラに較べるとイメージセンサーが小さく、レンズの性能も劣るため画質は期待できないことだろう。

しかしながら、画素数や画質にこだわらず、ハイキングなどで機動性を生かした写真を撮りたいという用途には好適だろう。また、マクロや高倍率ズームは昆虫や花の写真を手軽に楽しみたい人にとってもメリットだ。さらにフィルターを使える物もあるので、PLを使いたいときにも都合がよい。

追記(2010/10/22);Cannon Power Shot SX30IS
店頭に出始めたので触ってみた。マニュアルフォーカスを試してみたが、やはりダイヤル式のピント合わせはやりにくい。オートでおよそのピント合わせをした後、マニュアルで合わせる方法でなければ時間がかかる。マニュアルフォーカスでは三脚を使う方が良さそうだ。24mm相当の広角は魅力的だが、約800mmの望遠端はたぶん画質が悪くなると思う。

郵便不正事件;局長の管理者責任はどうなる?

郵便不正事件で検察叩きが盛り上がっているが、村木元局長の管理者責任の方はどうなるのだろうか?通常であれば部下の不祥事に対する管理者責任が問われるところなのだが、不当起訴ですっかりかき消されてしまった。こちらはこちらできちんと片をつけて欲しいのだが。

それはそれとして、官庁ではまだFDを使っているとは驚いた。もうとっくに、今時の若者に「FDって何ですか?」と言われかねない過去の遺物になっていると思っていたのだが。

September 21, 2010

菅内閣支持率急上昇

代表に再選されて菅内閣の続投が決まったとたん支持率が急上昇。自民党支持や小沢支持の反菅派には腹立たしい限りだろう。

もっとも支持の中身には、続投が決まらないうちは支持しても意味がないと思っていた人がいたり、やっと落ち着いて政治に取り組めるようになったのだからしばらくはやらせてみよう、言う者も多いだろう。

その意味で、菅内閣が支持に値するかどうかの評価はこれから始まると見る方が良い。

起訴しなければ世論が許さない

郵便不正事件に関する報道を見ていて思うことがある。

それは、当時の状況では起訴しなければ世論が許さなかっただろうと言うことだ。各種メディアは大手からB-C級までこぞって、被告を不良高級官僚の代表のようにかき立てていた。世論もまた、官僚叩きに熱中していたために悪代官退治のように非難していた。

その中で、検察が「嫌疑不十分で不起訴」の結論を出せばどうなったか。おそらく高級官僚をかばったとして、検察がメディアからの非難の集中攻撃を受けたろう。また、検察審議会は不起訴不当の結論を出したろう。検察審議会のメンバーも、当時の状況では不起訴妥当の結論を出す勇気はなかったろうから。

こうした状況で、担当検察官が証拠をねつ造してでも起訴しなければならない心理状態に追い込まれたことは容易に想像できる。過去の冤罪事件でも世論の盛り上がりに押されて、無理矢理に自供させてでも起訴に持ち込んだ場合もあったろう。

冷静に見て、メディアが事件報道のあり方を変えるまで、このような事件はいくらでも起きる。世論は報道に影響されやすいもので、常に正しいとは限らない。有権者の声についても同じだ。過去を振り返ってみれば、世論の暴走が国を誤った方向に導いたことはいくらでもある。太平洋戦争もまたしかりだ。

取り込み作戦

菅首相は、小沢支持派の若手を副大臣に起用することで首相支持派に取り込む作戦に出ているようだ。小沢支持派の不満を柔らげる懐柔作戦と見る向きもあるが、むしろ若手取り込み作戦と見る。

なぜならば、選挙地盤を持たない若手は、小沢氏の資金や選挙技術に頼らなければ次の選挙での再選が望めない。このような若手に肩書きを与え、自派の中堅と共に実務に就かせることで経験を積ませ、小沢氏依存度を低下させて自立させることが狙いと思われるからだ。

これに対して、小沢氏は役職辞退を強要するのは得策でないので、内示があれば役職に就くよう勧めているようだ。もちろん、自派の人間を配置することで、政策に対する影響力を保持したいと言う狙いもあるはずだ。

菅氏支持派による取り込みと、小沢氏支持派による囲い込み、この双方の活動が今後も水面下で激しく続くことだろう。

天の声

代表戦で敗北した小沢氏がお国入りして、支持者に「神様のお導きで負けたおかげで皆さんに会えた」と言ったそうだ。敗北後だけに支持者の緊張をほぐそうと、わざと負け惜しみに聞こえるような言葉で笑いを誘おうとしたのだろう。

これでひとつ思い出した言葉がある。それは角福戦争と呼ばれたあの総裁選後、福田氏が「天の声にも変な声がある」と言った言葉だ。これも負け惜しみと言えば負け惜しみだった。

この総裁選後、田中角栄氏の「日本列島改造計画」に乗って建設ブーム、土地投機による財テクブーム、さらにドルショックや石油ショックの中断を経て投機バブルへ、そしてその後現在まで尾を引くひずんだ投機主導経済へと続いたのだが・・・・。

今度の天の声は何をもたらすのだろうか。

September 20, 2010

流鏑馬世界大会

青森市の砂浜で流鏑馬の世界大会が行われたそうだ。日本を含む6カ国から28人が参加し、各国の弓矢を使って技を競ったそうだ(記事)。

優勝はモンゴル人の選手で、日本人は4位が最高だったそうだ。流鏑馬のような騎射は各国でも重要な武術だったので、今でも伝統武術として競技会が行われるところがあるようだ。外国選手は騎射に適した自国の伝統的短弓を使っていたようだが、長弓しかない日本選手は多少不利だったかもしれない。

勝敗は勝敗だが、勝敗を超えてそれぞれの文化伝統を見せ合う、このような競技会は楽しそうだ。もっと多くの国から、それぞれ伝統の騎兵装束と弓矢を携えて集まると良いと思う。

補足;日本は山や森が多いので、開けた場所での会戦が少なかった。このため騎兵の分化が進まず、騎兵専用の武器もほとんど開発されなかった。これに対して、大陸諸国では広い場所での会戦や襲撃が多かったため、騎兵の運用が工夫され、弓騎兵、軽騎兵、重騎兵など様々に分化した。そしてまた、それぞれの兵科に適した専用の武具が開発された。

September 19, 2010

彼岸花(2010/09/19)

今年は彼岸花の芽出しが遅れている。

例年ならばもう花茎がかなり伸びているのだが、まだ芽が出てこない。木陰の直射光が当たらない涼しい場所では芽が出始めているものもあるのだが、日当たりの良い田畑の畦では全く姿が見えない。

やはり彼岸花の芽出しは、地面の温度によって調節されているのだろうか。

追記(2010/09/20);日当たりの良い場所においてあった、プランターの彼岸花はまだ芽が出る気配がない。しかし、日陰においてあった植木鉢の白花曼珠沙華は芽が出始めた。やはり、土の温度が影響しているようだ。

追記(2010/09/22);やっとプランターの彼岸花も芽が出始めた。郊外のあぜ道では、この週末にでも花が楽しめるかもしれない。風景写真を撮っている人には、稲穂と彼岸花は良いモチーフだろう。

追記(2010/09/27);昨日(2010/09/26)ドライブに出かけた。私が住む神戸より気温が低い関ヶ原周辺では、さすがに「彼岸花」が咲きそろい始めていた。高速道路を降りて、休みがてら農道をぶらぶら歩いて花を楽しんだ。

ただ、高速道路から見える範囲では昔と較べるとずいぶん減ったようだ。近代化事業で古い畦や農道が撤去されたからだろうか。田畑よりもむしろ、住居周辺や林の縁に多く見られるような気がした。

日本の代表的な秋の風景が、また失われていくように思えて少々寂しい思いがした。

追記(2010/09/28);白花曼珠沙華は咲きそろい始めた。彼岸花もちらほらと赤い色がついている。あと3~4日で賑やかになるだろう。

追記(2010/10/01);赤い彼岸花も咲き始めた。神戸市北区の農村地域では見頃だという。我が家では白花曼珠沙華が見頃だ。

September 18, 2010

「時には母のない子のように」

朝日新聞が土曜版の「うたの旅人」で「時には母のない子のように」とカルメン・マキを取り上げている。彼女のハスキーな声と、しみじみとした歌詞が心にしみる歌だが、この歌が最初に登場したときに一騒動あったことが全く触れられていないことにやや物足りなさを感じた。

それは、この歌の一節「母のない子になったなら、誰にも愛を話せない」が、母親のいない子供の心を傷つけるとの非難を浴びせられ、一時期放送禁止になったことだ。当時私は大学生だったがその様子を見て、「心を傷つける」と騒ぎ立てる方がさらに深く傷つけるのではないだろうかと、割り切れない気持ちでいたことを覚えている。今ならネットで炎上と言うところだろう。

いつの世でも、良いことをしているつもりで過剰に騒ぎ立て、当事者たちを無用に傷つける者たちがいる。そんな独善家にならないよう、気を引き締めていようと思う。

September 17, 2010

秋進む(2010/09/17)

今日は晴れ上がって日差しが強烈だ。しかし風はからりとして夏の風とははっきりと違う。午後の散歩でも日陰を拾って歩くと風が涼しく、先週までのようにひどく汗をかくと言うこともなかった。

さらに、夕方にが落ちるとすぐに山風が吹き始め、19時を過ぎた今はかなり強く吹いている。古人を驚かせたのもこのような風だろう。すっかり少なくなった蝉の声に対し、今はアオマツムシの声が賑やかだ。まもなくコオロギも鳴き出すだろう。

バイオ燃料電池

体内に埋め込んで、ペースメーカーや人工臓器の動力源にすることを目指して、グルコースバイオ燃料電池というものが研究されているそうだ(記事)。

これは半透膜を介して生体から取り込んだグルコースを燃料として、酵素を使って発電するもので、ラットの体内埋め込み実験に短時間(11日間)だが成功したそうだ。今後さらに出力を増加させ、ペースメーカーのほか、薬剤の埋め込み型自動供給装置の電源にすることを目指すという。

グルコースを燃料とするので、当然炭酸ガスも発生するが、デンプン(グルコースの重合体)からエタノールを製造しこれを燃料として使うのと、オーバーオールの炭酸ガス発生量は同じだ。使いようによっては、燃料コストが安い据え置き型燃料電池として産業用電力源となる可能性もありそうだ。

September 16, 2010

台風11号(2010/09/16)

台風11号が沖縄の南方でおかしな動きをしている。予報では急角度で転針して西に向かうというのだが、私にはこのまま北東に向かうとしか思えない。

専門家の予報だから間違いは無いのだろうが。

追記(2010/09/17朝);台風が急角度に西に転針した。さすがにプロの予想だ。

September 15, 2010

阿久根市長トーンダウン?

リコール請求に、阿久根市の有権者総数(2万人弱)の半数以上の署名が集まったのがさすがにこたえたのか、竹原市長がトーンダウンしているようだ。とはいうもののリコールが成立すれば再出馬はするそうだから、まだ地位と権力に未練はあると見える。

彼が再選されるのは非常に難しいと思うが、もし再選されれば今度は阿久根市民の常識(良識、あるいは見識)が疑われることになる。

奇襲攻撃

党代表選挙に勝って一応の足場を固めた菅内閣が、素早く為替介入に追って出た。党人事が終わり小沢氏との妥協が成立するまでは何もできないと、舐めてかかっていた投機筋は完全に意表を突かれたようだ。代表戦が終わるまではと、動きをひかえていたと見るのが、やはり正しい見方のようだ。

党内はともかく、当面の国民の支持を得た形の結果になったので菅氏は動きやすくなった。小沢派議員にも、小沢氏に頼っているだけで次の選挙に勝てるのかと言う疑心暗鬼も生じるだろう。今までのように強気の動きには出にくいだろう。露骨に動けば、郵政選挙のように刺客をたてられることもあり得る。

とりあえず党代表としての地位を固めた菅氏には、今後果断な政策実行をお願いしたい。

September 14, 2010

市場に戸惑い?

民主党代表選挙は終わったが、外為と株式の市場ははっきりしない動きだった。メディアで接戦が報じられていただけに、圧倒的な党員やサポーター支持による予想外の大差に戸惑ったのかもしれない。結果が出るまでは両者の思惑が交錯して大きく上下していたが、結果が出た後は曖昧な動きになったからだ。

明日以降、海外勢が為替をどう動かすのか、レートは海外からの政権に対する信認度の尺度という性質もあるだけに興味深いところだ。

風たちて秋来る

今日(2010/09/14)の午後から、北風が吹き始めて気温が急降下した。夜に入った今は、部屋を吹き抜ける風が少し肌寒いくらいだ。開け放った窓の外からは、風の音に負けまいとするかのように虫(青松虫)の声が聞こえてくる。

各種の予報では残暑が続くと言う見方が多いが、天気図もすっかり様変わりして、太平洋高気圧にブロックされていた大陸の高気圧が、逆に太平洋高気圧の西進をブロックするようになった。本格的な秋も目前だ。

September 13, 2010

風力発電の停滞

朝日新聞社の記事によれば、新規の風力発電の開発が停滞しているという。原因は発電全量の強制買い上げが進まないからだと言う。いかにも国の怠慢のように見える記事だが、果たしてそうなのだろうか。

この記事とは別に、風力発電の立地が厳しくなってきていると言うこともしばしば報じられている。タービンの羽根による低周波騒音による健康被害、電波障害、渡り鳥の保護などの問題から建設可能な場所が少なくなっているというのだ。環境対策としてこれ以上ないとも言われた風力発電にも、それなりの環境破壊があることが認識され始めたと言っても良い。

そのような理由からヨーロッパでは海上への建設が盛んだが、日本では建設こそとが高いという理由で敬遠されているらしい。また、建設費が浅い海岸が既に埋め立てられて、内海ではあまり残っていない。また、外海に建設すれば台風などの荒天が多い為、ヨーロッパで使用されている物より耐久性の高い物が必要になることも建設費を押し上げているらしい。現実問題として、台風で倒壊したヨーロッパ製風力発電装置がいくつかあると報じられていた。

そこで高値による強制買い上げと言うことになるのだが、これは電力代の高騰を招き製造業のコストや家計費を押し上げることになる。特に家計費については、自宅に太陽電池などの発電装置を設置できる富裕層には有利だが、それのできない低所得層に集中的にしわ寄せすることになる。これは好ましいことではない。

また、低所得者の負担を補填するために何らかの財政援助を行うにしても、結局税金で発電者を支援することにはかわりがない。これでは農業がたどった道と同じで、際限なく援助を続け無ければならないだろう。さらに、より安価な発電装置の開発努力への意欲がそがれ、日本経済全体の競争力が低下することにつながる。

発電者への援助より、援助が無くても経済的に引き合う発電設備を開発する者に支援を行う方が、結果として早道で全経費が少なくてすむ。また、そのような設備は当然国際競争力がある物になるはずだ。国内メーカー優遇だと苦情を言う外国メーカーも当然あるだろうが、日本の政治家や官僚はそれを恐れすぎる。他国は既にそのような措置を行っているのだから、日本だけが遠慮する必要はない。国際機関で係争している間に開発を終えてしまえばよいのだ。

そのぐらいの図太さがなければ、国際競争で勝ち残っていけない。

追記(2010/10/07);
その後気がついたことが一つある。それはヨーロッパには風車の伝統があると言うことだ。北欧からスペインまで様々な目的で風車が利用されてきた。平坦な低地ヨーロッパではもっとも利用しやすい天然の動力源だったからだ。言ってみれば風車はヨーロッパ文化の一部だ。

これに対し、山地が国土の大部分を占める日本では、急な流れを利用した水車が多く利用されてきた。水車が日本の伝統文化と言っても良い。

こんな伝統の違いも普及の差の背景になっている可能性がある。それを考慮すると、日本では水車を使った小規模発電の方が向いているかもしれない。

September 12, 2010

先進国のデフレ、途上国のインフレ

デフレに悩む先進国に対し、中国をはじめとする途上国のインフレが少しずつ加速し始めているようだ。

かつて、戦後経済からの脱却を目指した池田勇人首相の「所得倍増計画」によって、昭和36年から昭和46年のドルショック不況までの10年間、日本は高度成長にわいた。高度成長は、さらにその後に続いた1次(昭和48年)・2次(昭和53年)のオイルショックで完全に終焉を遂げることになるのだが、その間の日本は所得増加と競い合うような物価上昇に悩まされることにもなった。このため現金収入の伸びが商工業ほどではなかった農漁村と都市部と収入格差が非常に大きくなり、出稼ぎや集団就職によって労働力を必要とした都市部への人口流入が著しくなった。また、自民党の基盤である農家の不満を和らげるため、毎年のように政府購入米価の引き上げが行われ、これは政府補助金がなければやっていけない現在の農業体質につながった。

現在の途上国を見ると、ちょうど日本の高度成長が始まった時期に非常に似ている。都市部の現金収入が増えるのに伴って物価が上昇するが、農村部では収入が伸びず生活の格差が広がっている。各国の政府はまもなく、農村部の不満をどう抑えるかに追われることになるだろう。しかし農村部に対する経済援助は、インフレをさらに加速する危険性を秘めている。舵取りが難しいところだ。

さらに言えば、途上前国(経済成長の初期段階に達していない国)は途上国のインフレに伴う世界的な物価上昇によって生活困窮度が高まるだろう。これを放置すれば世界的な政治的不安定度が増大するだろう。途上前国に対する援助が必要だが、これまでのような金や食料を恵んでやる式の援助では、これらの国の民衆の不満は高まるばかりだろう。どのような手助けを行うのが良いのかについて、根本的な見直しが必要だ。

少しずつ秋(2)

夕方、近くまで買い物に出て気がついた。

ツバメがすっかり姿を消している。しばらく前まで賑やかに鳴き交わしていたのだが、今日はすっかり静まりかえっている。もう、南に移動し始めたのだろうか。

日没が早くなってきたことと併せて、夕風も少し涼しくなった気がする。

やはり少しずつ秋は進んでいる。そろそろ秋植えの球根の準備をせねばならない。

September 11, 2010

少しずつ秋

相変わらず暑いが、昨日の散歩で生物の世界では少しずつ秋が進んでいることを感じさせられた。

まず、公園のアオギリやニワウルシの実が熟し、種を飛ばし始めたことだ。小舟のようなアオギリの実と、それが踏みつけられてばらけた種子が歩道に散らばっていたし、プロペラの羽根のようなニワウルシの実があちこちに吹き寄せられていた。

さらに、ドングリ(マテバシイ)の実がすっかり大きくなり色付き始めている。もう一週間もすれば落ち始めるだろう。

そして、公園のサブグラウンドの上空に、ちらほらとアカトンボ(アキアカネ)が飛び始めた。例年より半月ほど遅れているが、先発隊が山から下りて来たのだろう。大群が見られるようになるのももうすぐだ。

まだしばらく猛暑が続くとの予報だが、秋は少しずつ進んでいる。

September 10, 2010

黄道光

ナショナルジオグラフィックのサイトに黄道光の記事が出ている。日没後直後や日の出直前に黄道(太陽の軌跡)に沿って現れる淡い光のことだ。残念ながら街暮らしの私は見たことがないが、夜空が暗かった昔にはよく見えたことだろう。

ところで黄道光に関して以前から思っていることがある。万葉集に歌われた「かぎろひ」が実は黄道光ではないだろうかと考えているのだ。一般には宇陀野の冬に、夜明け前に見られる太陽光の屈折現象だと言うことになっているが、それではどうも「立つ」というイメージにならない。厳冬期から早春にかけての空が澄んでいる時期に、ことに鮮やかに見えた黄道光のことなのではないかと思うのだ。どうだろう。

裏チャンネル?!

あまりテレビを見ないのでほったらかしになっていたが、やっと作業部屋のテレビをデジタルテレビに更新した。置き場の都合もあって小型の物だが、PCのサブディスプレイとしても使えるのは好都合だ。

設置した後、いろいろ試しているうちにデジタル放送には裏チャンネルがあることを初めて知った。もちろん裏ビデオのような裏放送ではなく、スポーツ番組などで中継が伸びる場合に、それを使って試合終了まで放送を続けるのだそうだ。野球中継で試してみたところ、放送が終わると自動的に主チャンネルに戻る。

恥ずかしながら、そんな物があるのは全く知らなかった。

ところで、録画装置には録画中に緊急放送がはいった場合、裏チャンネルで放送が続けばそれを追尾してくれる機能はあるのだろうか?調べてみなくては。

障害者用郵便不正利用事件

予想通りの無罪判決。

メディアが煽り立て、多くの国民もはやし立てた官僚叩きに乗って、「行け行けどんどん」で進めた捜査がずさんだったようなので当然だろう。

しかし、メディアの報道ぶりを振り返ってみると、メディアはこの事態の共犯と言っても良い。いかにも有罪であるように決めつけた報道をし、それに乗せられた世論も大喝采した。にもかかわらず今、メディアもそのことについての反省はなく世論も検察悪役論に傾いている。

今の世の中、メディアでも世論でも「自分たちは悪くない」がまかり通っているのだ。政治家たちにも「自分は悪くない」を主張する者が多いのも当然かもしれない。竹山=河村=橋下=小沢、みな本質は同じだ。

小泉・竹中改革の申し子の破綻

小泉・竹中改革の申し子の一つである日本振興銀行が破綻した。小泉・竹中良否による金融民営化・自由化にはそれによる利権を求めて大勢が群がった。そして、今回の破綻の主犯は竹中氏のブレーンの一人とも言われ、もてはやされた一人だ。今回の事態で、竹中氏はその関係を否定しているが、小泉政権時代には特に否定もしなかった。

これは郵政資産のたたき売りと並んで、小泉・竹中改革の実態が何であったのか、誰の利益のために行われたのかを物語る好例の一つだ。

September 09, 2010

景気対策は輸入に直結しない形で

景気刺激策についていろいろな提案がされている。大幅な財政出動を求める声も強い。

しかし気になることが一つある。それは昨年の給付金のように、そのまま低価格輸入品の購入増に流れ、国外に流出してしまうような形の手段では効果が少ないと言うことを指摘する声がないことだ。昨年の給付金も「御上が下しおかれる金じゃ、ありがたく思え」という目論見だったろうが、結局潤ったのは安価品輸入業者と、発注先の外国メーカーだったように思う。今後はそんなことがない手段を用いて欲しい。

そうした面からは、最近非難され続けてきた公共事業は必ずしも排除すべきではないのかもしれない。特に失業対策事業として公共事業を利用するのは古代からの手法だ。エジプトのピラミッドだけではなく、古代国家における大規模工事は支配者の威光を示すだけではなく、農閑期の農民に現金収入を得させる手段としても用いられたことがあるらしい。

現在の経済学ではこのような手法は否定するのが流行らしい。ニューディール政策に対する批判がその好例だ。しかし、公共事業が失業者に収入を与え、購買力を創出する面は否定できない。しかも事業によって作られた財が残る。その点、単なる給付金より価値があることは明らかだ。戦後の復興においても、失業対策事業が生活困窮者を救済し、景気を刺激した事実は否定できないだろう。

何を作るのかを吟味しなければならないのは当然だし、大手ばかりが潤うことがないようにすべきことも当然だが、公共事業だからという理由だけでこれを否定するのは誤りではないだろうか。

また、大手優先の市場自由主義が地方経済を衰退させた面も素直に直視し、仕事の配分方法も見直すべきだろう。私は、ある程度の分野では地元企業を優先し、隣接地域の企業がそれに次ぎ、大都市企業には大きなハンデを課すると言うのも間違いではないと思う。

「成長の限界」と「成長無き繁栄」

ローマ会議が「成長の限界」と題した報告書を出してから、すでに四半世紀は過ぎ半世紀が近づいている。しかし、未だに世界経済は「成長」に依存し、「成長無き繁栄」のモデルやそれに到達するシナリオは提案されていない。これは経済学者や経営学者たちが怠慢なためなのかあるいは無能なためなのか。

ローマ会議が警告したように地球資源の底が見え始め、途上国の成長と環境変化がそれをさらに悪化させている。にもかかわらず、先進国の経済は途上国の成長にもたれかかって「成長による繁栄」モデルから抜け出そうとはしていない。

その理由は、経営者たちは資本家が要求する目先の利益を追うことに手一杯で、長期的で安定した収益モデルは、短期的収益が少ないとして排除するからだ。また経済学者や経営学者は、短期的収益をいかに向上させるかということと、直近で起きている現象の解釈とモデル化に追われているからだろう。

しかし資源の限界が見え始めた今、「成長モデル」では長期的に「豊かな生活」を維持できないことも明らかだ。放置すれば、SFに描かれているような「地球を脱出して豊かな生活を送る経済的・政治的エリート」と「地球に残された賤民」(あるいはその逆かもしれないが)、そんな事態にもなりかねない。二十一世紀中に、地球外への大量移民を可能にしない限り、二十二世紀に地球上の人類を養っていくのが困難になる可能性は大きい。

次の世紀には、「核融合(単に安価なエネルギー源の例にすぎないが)」、「成長無き繁栄」、そして「地球外への大量移住」が不可欠になるのではないだろうか。研究に投入できる資源もやはり限られている。人類の将来を開いておくために、どんな研究に重点投資すべきなのかを真剣に考えるべきだ。

「成長無き繁栄」のように、成果が研究当事国だけの利益にならない分野もある。そのような課題は、国際機関に資源を集中して研究を行うことが好ましいだろう。

September 07, 2010

またもTBS

またもTBSがへまをしたそうだ。先日現れた民主党の小沢氏を名乗るツイッターを本物としてワイドショーで紹介、後から誤認と判明して謝罪したそうだ。またもTBSと言いたくなるぐらい、いい加減な報道が多い。

そもそも本物かどうかは小沢氏の事務所に電話一本で確認できるはずだ。これまでの不祥事でも同じように簡単にできるはずの確認を怠った事例が多い。どうもTBSには安直な番組作りが蔓延しているようだ。

芸能週刊誌は、「どうせ信じるやつはいない」と居直って無責任な記事を量産している。TBSも、自社の報道の信頼性に対する姿勢は同じなのかもしれない。各社ともワイドショーはそんな物と居直っているのでなければよいが・・・・。

突撃取材を売り物に、無責任な(内容よりむしろ報道した結果に対して)煽り報道を繰り返していた「芸能リポーター」が一人減ったと思ったが、報道界にはもっと無責任な者がまだいくらでもいるようだ。

September 06, 2010

民意と民主党;党内世論は個人独裁指向

各種世論調査に寄れば、民主党代表選に関する民意は圧倒的に菅氏支持だ。しかし、党幹部による上意下達を政策とする小沢陣営には民意など無視すべき物のようだ。

首相になりさえすれば、上意下達主義と豪腕で民意などねじ伏せてしまえばよい。必要ならば法律も自分たちの都合がよいように変えてしまえばよい。それが民主党の党内世論らしい。首相の指導力に変装した個人独裁の足音が近づいてくる。

ガソリン値下がり続く

ガソリンの値下がりが続いているという。とはいうものの値上がりは「チーター」の如く、値下がりは「カタツムリ」の如くで下げ足は遅い。

値上がり前の価格まで下がる前に次の連続値上げが来るのだろう。一度上がった価格は決して元には戻らない。

違「法」ではない選挙不正

民主党代表選挙に関して小沢派の不正が報じられている。党の規約に対する違反で公職選挙法には関係がないので、もちろん違「法」行為ではない。「違法でなければ道義に反していても差し支え無い」と公言している小沢氏の支持勢力のことだから、何が悪いのかと言うことなのだろう。となれば、違「法」ではないから買収も饗応も、強要もし放題だ。規約違反行為は、内部告発があればまだまだ出てくるだろう。

もっとも規約違反は対立陣営でも当然行われているだろうが。

太陽の黄金の林檎

NASAが太陽に突入する観測機を計画しているのだそうだ。目的は太陽の大気上層部の詳細な情報を得るためだと言うが、観測後は太陽の超高熱で蒸発してしまうと言う一種壮絶な計画だ。

私はこの記事を読んで、SFの詩人レイ・ブラッドベリの「太陽の黄金の林檎」を思い出した。人類の将来のエネルギーを確保するため、太陽表面をかすめるように飛びながら光球のプラズマを採取するという物語だ。もちろん現実には、明瞭な境界が無い太陽の表面に、器具を差し込んでプラズマを採取できるはずもないが、印象的なイメージだった。

September 05, 2010

秋の兆しが見えた

相変わらず暑いが、今日(2010/09/05)から空の様子が変わってきた。昨日までの雲がほとんど無い抜けるような青空に変わって、刷毛で掃いたような薄い雲が多く見られるようになったのだ。

これは高空に西風が入り始めたことを示している。夏の高気圧が衰え始めたのだ。今月(9月)の中旬までは一進一退を繰り返すだろうが、秋がもうそこまできている。数日中にもアキアカネが山から下りてくるだろう。

そう思って天気予報を見ると、台風の予想進路が昨日より大きく南に変えられていた。神戸では8月にはほとんど雨が降らなかったので街中が乾ききっている。大きな被害が出ないことを願うが、台風でも良いから一雨が欲しい。

追記(2010/09/05);夕方散歩に出ると、東の奈良盆地には巨大な積乱雲が立ち上がり、その先端には傘雲がかかっていた。一方西よりの空には刷毛で掃いたような薄い雲がかかり、その下を低い雲が北に流れていた。

夕空の雲(2010/09/05)

追記(2010/09/06);この24時間の天気図を見ると、頑強に居座っていた太平洋高気圧が分裂して、急速に東と南に退き始めている。この暑さも先が見えたようだ。

September 04, 2010

民主党代表選の争点

民主党代表選の争点についてはメディアで様々に言われている。それについては両候補の主張と言うよりもむしろ、各メディアの願望というほうがふさわしいような気がしないでもない。

それに便乗するわけではないが、私は争点の一つが「トップダウン対ボトムアップ」ではないかと思う。小沢氏は政治家主導でトップダウンの手法を主張している。私にはトップダウンと言うよりも、個人独裁を目指しているように見える。検察審議会の議決は素人の意見だから、法を改正して権限を縮小すべしと言うことからもその印象が強い。一方、菅氏は党内で広く協議して物事を進めると主張している。これは手法としては明らかに「ボトムアップ」だ。

企業経営の経営手法としてどちらが優れているかは、これまでも経営学者によって議論が戦わされてきた。ただ、どちらも極端に走ると問題が生じる点では一致しているようではある。しかし企業経営とは異なり、民主主義は基本的に「ボトムアップ」であり、それを円滑に機能させることを目指している。議会制民主主義、そして議院内閣制を今後も維持することを前提とすれば、どちらが好ましいかは明らかだ。

権力者が自分に都合がよいように法をねじ曲げることから独裁は始まる。私はそのような権力者には反対を表明する。

September 03, 2010

住宅構造と熱中症

以前の記事(熱中症増加の原因)で最近の住宅構造が熱中症を起きやすくしていると書いた。それに関して思い出したことがある。

戦後復興の過程で、人口の都市集中が進み深刻な住宅不足が発生した。その対策として大量に建てられたのが公団住宅で、同じ構造の建物は大企業の社宅としても大量に建てられた。公団型住宅にもいくつかのタイプがあったが、代表的な間取りである2DKを取り上げてみると、ダイニングキッチン、風呂とトイレの水回りースペース、そして6畳の和室二間が「田」の字型に配置されていた。

当時はまだ、エレベーターが高価だったため、奇数番目と偶数番目の間に階段が設けられ、今のマンションに見られるような共用の廊下は無かった。そして二間の和室の間はふすまで仕切られていたため、両室の窓を開けてふすまを取り払うと簡単に風が吹き抜けるようにすることができた。

当時はまだ今のように家族間のプライバシーは重視されていなかったので、誰もこのような構造に疑問を持たなかったのだが、今から考えると夏を涼しく過ごすという点では優れていたといえる。特に共用廊下がないので、夜間も両側の窓を開け放しておくことが可能で、寝苦しさを軽減するという点では有利だった。

私も、幼児の頃3DKの公団型住宅で暮らし、また社会に出てからも再び公団型の2DKや3DKの社宅で暮らしたことがある。エレーベーターがないので買い物の荷物が多いときは大変だったが、風の通りがよく夜間の室温がコンクリートの建物の割には下がりやすかった。

今の人たちには、ふすまだけで仕切られてプライバシーが確保できないことは考えられないのだろうが、高齢者用の住宅としてこのような構造を復活させても良いのではないだろうか。階段プラスエレベーターではコストが高いが、一般住宅にもエレーベーターという時代のようだから、昔ほどのことはないだろう。

September 02, 2010

ゼラニウム

猛暑のせいか、鉢植えのゼラニウムの葉が皆白くなってきた。外出して見かける地植えの物も同様だ。どこの家でも、熱帯産原産の花木ばかりが元気だ。

日本に較べると夏涼しいヨーロッパで改良されたせいだろう、ゼラニウムの耐暑性は弱いので毎年夏場は元気がないが、今年はほとんど枯れかけているものも多い。このまま暑さが続くと壊滅するかもしれない。遮光して涼しくするべきだったようだ。

旧態依然

小沢氏が菅氏を「旧態依然」だと批判しているそうだが、旧自民党スタイルの「利権誘導型金権政治」を目指す小沢氏と、どちらが旧態依然なのだろうか。

少なくとも、耳あたりはよいが、実行への道筋を示すことができない(おそらくできるとは思っていない)公約を並べ立て、空手形の利益誘導によって支持を集めようとする小沢氏が旧態依然たることは間違いないと思う。

受けは良いが実行できないことがわかっている公約を並べ立て、できないことを他人のせいにして済ませようとする某府知事もいるにはいるが、そのまねをするのはいかがな物か・・・。

September 01, 2010

2010/09/01

今日から9月。

例年9月の中頃までは暑い日が続くのだが、今年はひときわ暑い。クマゼミはとっくになりを潜めたが、今年はまだアキアカネが六甲山から下りてこない。

毎日早朝は曇り空なのだが、午前9時頃には抜けるような青空が広がっている。暑すぎるのか日中は鳥がほとんど空を飛ばず、ツクツクボウシの声も少ない。そういえば、ここ神戸市の中心部では8月にはほとんど雨が降らなかった。そのためか、根の浅い雑草類の中には黄色くなって枯れてしまったものも多い。

太平洋高気圧が大きく西に張り出しているので、当分は台風も来そうにない。午後のひとときに夕立が欲しいと思うのだが、降雨レーダー画像を見ても雨雲は神戸市を避けて通って行く。葛城山地や生駒山地の向こう側には見事な積乱雲が見えるのだが、それをうらやましく見るしかない。

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