財政出動と企業経営
日本でも長く続いてきた市場原理中心の自由経済体制の中で、企業経営は国家の財政出動に大きく依存するのが当然になったように見える。
個人については何かにつけ自己責任が言われる一方で、金融・証券業界については経営が傾けば国家支援に酔って救済される。そしてそれが当然となった中で、金融・証券業界の経営者や市場への参加組織(いわゆるファンドや機関投資家)にモラルハザードが起きてはいないだろうか。同じ事は他の業種についても言える。大企業は社会的影響が強いと言う事で危機に際しては国家資金によって救済される。
その一方で、そのような企業の役員は巨額の報酬を受け取り、国家救済を受ける状態に立ち至っても個人資産を保持したまま退任するだけで済む。さらにそうした役員達は、景気が上向けばまた他の企業で役員として巨額の報酬を受け取る。つまり、特定の集団の中だけで巨額報酬を得る地位が独占されている。
こうしたことの全体が大企業役員達のモラルハザードを生み、大不況をさらに深刻化させているのではないだろうか。そしてこうした財政出動が、実質的に一部の集団が外を得る手段の保証するものとして食い物にされていないかどうかを検証してみる必要がありそうに思う。特に、常識として行われている財政出動が国家財政を危機に直面させている今、不況脱出手法としては発想の転換が必要なのではないだろうか。財政出動のあり方として、企業救済ではなく、直接的雇用創出に国家資金をつぎ込む形はありえないのだろうか?
今の経済学者達の多くは、大企業経営者(役員)の立場で理論を組み立てている者が多い。だからこうした観点から研究する経済学者はほとんどいないだろう。かつては社会主義系の経済学者やリベラル系の経済学者も大勢いて、自由市場主義系の経済学者と論戦を戦わせ、互いの理論を磨きあっていたのだが。
皆が同じ視点からばかり見ていては、陰に隠されたものには誰も気づかない。隠れた不具合やリスクを見つけるに、多くの異なった視点が必要なのだ。
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