中国は日本の昭和30年代に相当する
中国で労働争議が頻発している。
その様子は日本の昭和30年代を思わせる。当時の日本では、戦後の混乱が静まるにつれて経済成長が早まり、それとともに都市と農村の経済格差が拡大し始めた。この為、農村から都市への出稼ぎが急増した。一方で企業は増大する生産に対応するための労働力を農村部に求め、農村の若者が集団就職で都市に流れ込み続けた。
こうした状況の中でインフレも拡大し、下級労働者の生活が困窮し始めた。この為賃上げ要求が次第に強まり、激しい労働争議が頻発した。そして労働者の権利意識が強まり、そこにつけ込毛とする政治勢力の煽動で長期ストライキが増え、次第に企業と労組の双方が疲弊していった。
その反省から、昭和40年代に入ると多くの企業と労組が協調路線へと転換していった。労組がストを打たない見返りに、企業は最大限の賃上げを行うと言う訳だ。これは労働者の賃金の上昇をもたらしたが、昭和50年代に入ると今度は労組の形骸化と労組幹部の労働貴族化を引き起こした。そして昭和60年代のバブル期以降、空洞化し企業の労務管理の一端をになうようになった労組は、労働者を守る力も意欲も持たなくなった。
これが平成に入ってからの、労働者の市場化による不正期労働者の増加の原因の一つになっていることは間違いがない。派遣労働を流行のスマートな働き方と賛美したマスメディアもその共犯者だ。
日本に於けるこの経過は、産業革命以後のヨーロッパでの経過と同じであり、おそらく中国も今後同じような経過をたどるだろう。中国での生産に対する依存度の高い企業はこれを計算に入れておくべきだ。また、今後各途上国も今後次々と同じ経過をたどるだろうし、その速度が今後はますます早くなるであろう事も当然予想しておかなくてならない。英国が200年近く掛けてたどった道を、日本は50年ほどで駆け抜けたことを忘れてはいけない。
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