ID(インテリジェントデザイン)論
ナショナルジオグラフィックがID論に対抗する記事を連続して出していた事がある。ID論に対する米国の自然科学者たちのいらだちが強く感じられるような気がする。
ID(インテリジェントデザイン)論とは進化論に反対するもので、生物は偶然変異の積み重ねで進化したのではなく、優れた知性(要するに全知全能の神)によってそのように作られたのだという主張だ。
これはキリスト教(イスラム教やユダヤ教でも同じ事だが)の教義に基づくもので、神が世界の全てを作り、最後に神自身の姿に似せて人間を作ったという、天地創造神話を事実として認めさせようとするものだ。この主張は今でも、特に米国で根強く、進化論を学校で教えることを法律で禁止しようとする動きが絶えない。(イスラム教圏については知らないが、進化論に対する観点は同じだろう。)
元々、プロテスタントそのものがカトリックに対する原理主義運動的な性格を持つが、そのプロテスタントの勢力が強い米国では特にキリスト教原理主義色が強いのだ。このことは米ドル札に印刷されている「アメリカの大義は神の意志」という言葉にも強く表れている。
このことは米国が推し進めようとしている「グローバリゼーション」にも反映されている。つまり米国が良いと考えること、言い換えれば米国にとって都合の良い事は神の意志であるから、全世界をそれに従わせることは当然だという事になる。キリスト教徒にとって、世界を神の意志に従わせる事は義務であり正しいことだからだ。
このような米国の原理主義キリスト教徒にとって、生物は神とは無関係に発生し進化したという進化論の考え方は、神の創造主としての超越性を否定する道徳的に許し難いものであり、それを子供に教えるのは法律をもってでも禁止すべきだということになる。そして物心つく前から聖書を教えられ、プロテスタントの原理主義的思想をたたき込まれて育った米国人には、反「進化論」者が多いことも当然の成り行きなのだろう。
実際にID論を「科学的に」立証しようとする「科学者」も少なくないようだ。彼らの主張の主なものを上げると、「宇宙が自然発生したというには人間に都合良くできすぎている」、「生物は偶然の積み重ねでできたとするには複雑精緻にすぎる」だから知性の優れた存在が人間に合わせてこれらを作ったというものだ。
これは適者生存という進化論の考え方の「論理的逆」であり、物事を自分に都合がよいように解釈するという点で、経済評論家やアナリスト達(多くはキリスト教徒だ)が次から次へと持ち出すニューエコノミー論とも共通性がある。いずれにしても旧約聖書の系譜を引く一神教は、まず教義ありきで、全てをそれに都合がよいように解釈するという点で共通している。
これはまた、キリスト教とイスラム教の間の今も続く長い宗教戦争の原因でもある。双方の原理主義者達にとって、歩み寄りは教義の変更につながるからだ。
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