自分の意思を持たない時代
もうかなり昔のことになるが、仕事の合間に後輩と間近に迫った選挙の話をしていたときのことだ。
どう投票するかの話題になったとき、彼は政見とは関係なく勝ちそうな候補に投票するのだという。なぜかというと投票した候補が落選すると自分の票が死に票になるからだという。それを聞いて私はあきれてしまった。
自分の意思を持たず、世論調査の多数派に同調し、勝ち馬に乗ったことで満足する。これは民主主義体制で与えられている政治的意思を表明する権利の放棄ではないかと思ったのだ。しかし、彼にとっては死に票になると投票が無駄になるように見えることの方が重要だったようだ。
なぜこんな事を書いたのかというと、今や政治の世界でもKYが蔓延しているように見えるからだ。KYを恐れる習性が付いた有権者は少数派になることを避けるため、世論調査での多数派になだれ込む。彼らには、意思を表明する権利よりも多数派でいることの方が重要であるようだ。
最近の選挙で結果の振れが極端に大きくなっているのは恐らくこの為だろう。選挙前にメディアがどちらか一方のみを批判すると世論が他方に傾く。そして世論調査の結果として、どちらが優勢かが報道されるとさらにそちらに傾く。これが最近の選挙で繰り返されているのだ。
こうなると選挙の結果を作為的に誘導するのは簡単だ。主要メディアを丸め込んで、自分たちが優勢だという雰囲気を作ればよい。後は有権者が勝手になだれ込む。
実はこれはナチスが行ったことでもある。メディアを誘導して、自分たちが国民の圧倒的な支持を得ていると言う雰囲気を作り世論を誘導した。そして国民もそれに迎合した。つまりKYを恐れる今の日本の状況は、メディアを操作することによって全体主義体制を作りやすい状況なのだ。それが右になるのか左になるのかは分からない。砂山を崩す最後の砂粒がどこに落ちるかは予想できないからだ。
メディア関係者はこのことを十分に認識し、自分の報道が不用意な世論誘導にならないよう注意してもらいたい。
補足;
さらに言えば、鳩山政権もKYを恐れて右往左往しているように見える。
あるグループの支持を得ようと何か言えば、当然ながらそれが不利益になる者たちからは批判される。するとまたそれに迎合するような発言をする。これの繰り返しだ。KYを恐れて八方美人になろうとすると、結局何もできない。
鳩山政権の現状はこのように見える。しかしKYを恐れずに行動すれば、KYを恐れる有権者の支持は失うことになるだろう。KYを恐れる者はKYを恐れない者を嫌うからだ。
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