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October 2009

October 31, 2009

国会の与党質問

民主党が国会での与党質問をすることに方針転換したそうだ。

野党気分が抜けず、与党が政府に質問するのは不要と考えていたようだがこれは考え違いだ。与党が行う質問は、言ってみれば内閣への援護射撃で、首相の施政方針演説などで十分な説明ができなかった部分に焦点を当て、内閣の意図をより明確にして国民に訴えかけることができるようにするものだ。

与党質問をしないと言うことを聞いて、なんともったいないことをするのかと思っていたが、質問をするのであればその方が良い。折角の機会を上手に利用することを望む。

October 29, 2009

民主党の言う脱官僚は不可能では?

民主党は完全脱官僚を目指すと言っているが、それは現実には不可能だろう。

なぜならば、これまでに行われてきた政策や事業に関する資料を持っているのは官庁で、それから政策立案や答弁に必要な核心部分を抜き出すのはいまの議員秘書では能力不足でできないからだ。議員秘書にできるのは、官庁から受け取った要約を元に議員用の原稿を作文するぐらいだ。

また、各種の専門家会議や諮問会議の委員たちも、専従ではないため自分で現状の調査や分析を行ったりはしない。いくつもの会議を掛け持ちする有名な専門家先生にはそんな時間があるわけがないし、それが可能なスタッフを抱えているわけでもない。せいぜい学会で自分が主張する説に基づいた主張をするぐらいだ。そして結局は、担当の官僚が部下を使って資料を作成しなければ会議は進まない。そうでもしなければ各委員が勝手なことを言い合うばかりで何も決まらない。それが現実だ。

それが嫌なら、各政党が大規模な調査分析チームを抱え、常に情報収集を行うことだ。そうしなければ脱官僚は単なるプラカードを挙げただけにすぎない。官僚相手に威張ってみせるのは気分がよいかもしれない。しかし、命令されたことをやっていればよいと言う態度をとれば、自発的な協力をしない、命令がなければ動かないという弊害が生じるだろう。自発的に協力してもそれが無駄になる、あるいは叱責を受ける可能性が高いとなれば、効率を上げるためにも、気持ちよく仕事をするためにも、命令がなければ作業をしない様になるのは自然な流れだ。

いずれにしても、現状で自前の調査・分析ができ、脱官僚政治が可能なのは共産党ぐらいでは?官僚の協力無しに国内外の諸問題について十分な調査・分析を行うには、千人を上回る人材が必要だろうから。

官僚に依存しない為には、官僚に自分の意図を明確に伝え、問題があれば自分が責任をとる事で、官僚の信頼を得ることが大切だ。高圧的に振る舞い、責任は他人になすりつけると言う、現在の政治家によく見られる態度で脱官僚と言っても、結果は弊害だけが目立つことになるだろうと懸念する。

October 28, 2009

立ちすくむ民主党

選挙前は景気よくかつ気軽に公約を並べ立てていた民主党だが、ここに来てそれを実現する道程の厳しさに立ちすくんでいるように見える。

まだ半歩も歩み出していないのに、多くの公約が揺らいでいる。また自民党内閣と同様の、閣僚の勝手な発言や足の引っ張り合いも目につく。一方で、小沢氏は例によって党内支配体制の確立以外は関心がないようだ。

民主党はここで、腰を据えて公約の見直しを行う必要がありそうだ。過去の経緯や関係先の状況から見直し、優先度や難易度を改めて評価し直すのだ。そして変更や取り下げが必要な案件は、その理由を明確に説明して国民の理解を求める。それ無しでは、民主党政権も動き始める前に信頼を失うだろう。

メディアに煽られた国民が、酔いから覚める前にそれを行うべきだ。

追い越し禁止!

昨日の護衛艦と貨物船との衝突は、貨物船の追い越し違反が主な原因ではないかと疑われているようですが、追い越し違反の事故は多いので皆さんも十分注意しましょう。

昨日私はこんな追い越し禁止の経験をしました。植木鉢を買うため車で家を出て表通りに向かおうとすると、急な下り坂の中央を腰の曲がった老女がゆっくりと歩いていました。狭い一方通行で両側には側溝があり、足が弱った高齢者が道の中央を歩きたくなるのは仕方がないでしょう。

しばらく後ろについて行きましたが、後ろの車に気づく様子は全くなし。路地と交差する場所で軽く空ぶかしをしてみても反応無し。結局、表通りまでの200m程を苦笑しながら後について行くことになりました。

このような状況で警笛を鳴らすのは立派な道交法違反。それ以前に驚いて転んでけがでもされたら目も当てられない。このような場合は、老人と幼児は「追い越し禁止!」と割り切ってついて行くしかないのでしょうね。

October 27, 2009

究極の関空振興策

関空からの旅客輸送不信の最大の原因は新幹線だ。新幹線がどんどん高速化し、チェックイン時間や空港までの移動時間を考慮すると、大阪中心街から東京の都心までの時間は余り変わらない。リニア新幹線が完成すれば、航空便は全く太刀打ちできなくなる。

よって関空振興のためには、新大阪駅を廃止して新幹線を大阪に止めない、リニア新幹線は大阪に止めない、これが絶対に必要である。

もっとも、これは大阪経済にとっては究極のとどめになるだろう。

関空振興にはまず大阪経済の振興が必要である。それ無しではいかなる手段も効果を見込めない。大阪を見捨てた大手企業をいかにして呼び戻すか、それが先決問題だ。海外出張の多いキャリア社員が増えなければ、関空の利用は増えない。利用者数のベースとなるのはビジネス客なのだから。

庁舎ビルや知事室の高さで東京に対抗心を燃やすよりも、先に取り組むべきことはたくさんある。

「すかいらーく」消滅

「すかいらーく」が消滅すると報道されている。

学生時代、府中の国道沿いにあった「すかいらーく」の店の常連だった私としては、なにやら寂しい気がする。サークルの練習の後、彼女を大学の寮まで送る途中に空腹を満たす店のひとつだった。学生の身では安いとは言えなかったので、懐具合の良いときのコースだったが。それが「すかいらーく」の1号店であることは後に知った。

その彼女はいまでも我が山の神様。もう40年以上「アッシー」をやっていることになる。

October 26, 2009

皇族に基本的人権はありません

さる閣僚の天皇陛下の国会開会のお言葉についての発言が一騒ぎを起こしていた。天皇陛下の自由な発言もよいと思うのだが、皇族には自由な発言は許されていない。その理由は皇族に基本的人権がないからだ。

その理由;
1.右翼的理由 皇族は崇敬すべき神であって人ではないから、人としての権利はそもそも不要である。

2.中道的理由 皇族は法律上の国民ではない。憲法が基本的人権を保障しているのは国民に対してであるから、皇族は保障の対象外である。

3.左翼的理由 皇族が自由に発言すると保守政治家に混乱が起き、それに乗じて左翼に対する弾圧が起きる。

ファシズムの台頭?

小泉氏以来、マスコミを利用して反対派を悪役に仕立てて排除する政治手法が目立つ。しかし歴史を振り返ると、これはファシストが愛用してきた手法だ。特に、ナチスドイツでは宣伝相まで設けてマスコミを総動員した。

いまはむしろ、マスコミがこのような人たちをはやし立てて売り上げ増を狙う傾向が強いようにも見える。当人たちも、単に話題になることだけを狙っているのかもしれない。しかし、ファシズムの傾向がある政治家とマスコミが結びつくのは危険な兆候だ。特に社会全般にやり場のない不満が高まってきている今はそれが言える。

どうも日本全体に、きな臭いにおいがし始めているような気がするのだが・・・・・

レクサス暴走事故

米国でレクサスの一部車種で暴走事故が多発しているそうだが、報道では分からないことがひとつある。ギアを抜いてニュートラルにできるのであれば、少なくとも車を止めることはできたはずなのだ。

今の乗用車のほとんどがオートマチックミッションなのは分かるのだが、アクセルが戻らない状態ではギアをニュートラルにはできないのだろうか?マニュアルミッションでは、アクセルが戻らなくても、通常どおりクラッチを切ってブレーキを踏めば止まる(当然エンジンは回転数が上がりすぎて壊れるだろうが)。オートマチックミッションは回転数が高い状態ではニュートラルにできない構造なのだろうか。自動車メーカーからの情報が欲しいところだ。

ちなみに、私はオートマチックミッションの手動シフトは下り坂ではよく使う。だから、シフトレバーは動かせると思うのだが。といってこんな実験をすれば、エンジンを壊す可能性が高いのでするつもりはない。

追記(2009/10/31);
別の方法としてイグニションキーをオフにしてエンジンを止めることも可能なはず。ブレーキやステアリングのパワーアシストも切れるので重くなるが、止めることはできるだろう。

October 25, 2009

盛り上がらなかった2件

神戸市長選挙;
相乗り隠しの談合選挙でさっぱり盛り上がらなかった。地元新聞もこの時間(2009/10/25/22:16)になっても昼過ぎの投票率しか報道していない。盛り上がりのないこと・・・・・

追記(2009/10/26);
盛り上がらなかった割には8000票差の大接戦、楽勝を当て込んでいた民主党は冷や汗をかいただろう。


Windows7;
発売開始後初の週末だというのに、量販店のパソコン売り場は人気(ひとけ)がない。閑散とした売り場で販売員も手持ちぶさた。パソコンオタク以外には興味を持たれなかった新製品。ボーナス戦線まではこの調子だろう。盛り上がりのないこと・・・・・

神戸市長選挙(自民・民主の談合選挙)

今日(2009/10/25)は神戸市長選挙の投票日。相乗り隠しの自民・民主の談合選挙でしらけの極致だが、選挙権の行使には行って来ましょう。

さてさて、誰に投票するかは記入台で決めるとしますか・・・・・

October 24, 2009

アメラグ、関大・近大戦

午後散歩に出ると、王子陸上競技場で関西大学対近畿大学のアメリカンフットボールの試合をしていた。学生のリーグ戦では珍しくTV中継が行われていたが、両校とも大阪なので大阪のケーブルテレビだったのかもしれない。

しばらく外から見物していたが、関西大が大差でリードしていた。ところで近畿大と言えば相撲部が有名だ、そこで思ったのが相撲部から助っ人を借りればよいのにという事。アメラグでは、ラインメンは相手のラインに穴を空けるのが役目で、長い距離を走る必要はない。つまり相撲の立ち会いと同じだ。立ち会い同様かち上げで相手を後退させればよい。

大相撲のハワイ興行を見た米国のプロフットボールのコーチたちが、立ち会いを見てこいつらをラインにほしいと言ったという伝説もある。近畿大もライン用に借りることを考えたらどうだろうか。

伝統に比例するもの

我が家の周りは学校が多い。高校だけでも、公立・私立併せて五校あり、うち二校が女子校で残りが共学。と言うわけで女子高生も多い。そんな姿を見慣れているせいか、電車などで女生徒たちを見るととつくづく思うことがある。

それは「学校の伝統と女生徒のスカートの長さは比例する」と言うこと。

都会地でも伝統のない学校ほどスカート丈が短い傾向が明らかにある。これは地方都市の学校ではさらに顕著になる。女子高生の超ミニスカートは、今や日本の田舎の典型的な風景だと思う。

民主党、米国に降伏?

日米の外交案件について、民主党が次々と白旗を揚げだしている。米国が少し強硬に出ただけでこの有様は情けないの一言。

政策の全てを守らなければならないと言うのは正しくないが、変更する場合はきちんと説明をすべきだ。「君子は豹変す」という言葉もある。合理的な理由があれば非難はしない。ただ、米国にひとにらみされて怖じ気づいたように見える現状は、一国の政府として情けない。日米なれ合いだった自民党政権時代よりみっともない。

民主党はもっと腹を据えて政権運営に当たるべし。そして公約を変更する場合は、合理的な説明を行うことが必要だ。

October 23, 2009

Microsoftが新OS開発に着手?

マイクロソフトが業務用に新OSの開発を始めたとの報道が流れている。このロイターの記事はMSNにも引用されているので信頼性があるのかもしれない。それが本当だとすると、企業ユーザーがWindows 7への切り替えを保留する可能性もある。

またこれは、マイクロソフトは業務用OSとしてはVista系に見切りをつけたという事かもしれない。Vistaは業務用としては不要な機能が多くすぎる。それ以外にも外部記憶装置を使えないようにしたいという、企業のシステム管理者の要望もある。特に、USBメモリーによって情報が持ち出され、自宅のパソコンから流出するトラブルも多い。このような現状から企業のシステムがWindows以外に置き換わる可能性が出てきたからだ。

企業の情報管理面からは、情報は中央に置かれたサーバーで一括保存・管理し、端末では保存できないようにするのが望ましい。また、端末から外部記憶装置にデーターをコピーできないようにしたい。そうなれば、個々の端末にアプリケーションを置く必要もない。端末は起動とネットワークへの接続に必要な最小限のデーターだけを保持し、アプリケーションはその都度必要な物をダウンロードすればよいことになる。

これは昔の業務用ネットワークと本質的に同じだが、全てを集中管理することによりセキュリティの管理がしやすくなる。半可通の端末使用者がデーターを持ち出し、ファイル交換ソフトやウイルスで流出させることを防止するには、これ以外に有効な手段がない。

このような企業システム管理者からの要望に応えるには、Windowsは余計な機能が多すぎるし、Windows対応端末にも同じことが言える。再び個人用端末と業務用端末が、OSでもハードウエアでも別物になる可能性があると言うことだ。

October 22, 2009

府庁舎移転;橋下氏の本音は都庁よりも高いビル?

府庁舎のOTC移転への橋下氏の執着ぶりを見ていると、彼が高層の都庁舎にあこがれているからではないかと思うようになってきた。

都庁舎同様に、あるいはそれ以上高い庁舎の、都知事室より高いフロアに知事室を作り石原氏に自慢したい、そんな子供じみた願望が彼をOTCに執着させているのではないかと思うのだ。子供じみた言動が多い彼を見ているとそんな気がする。

いかにもありそうなうがった見方ではあるが・・・・・・

参考のためWTCビルと東京都庁第一本庁舎の主な数値を上げておく。
東京都第一本庁舎; 地上48階、地下3階  高さ243.4m
WTC; 地上55階、地下3階  高さ256.0m

October 21, 2009

時効無し?

元官僚であるという事には時効がないらしい。

建前上は民間企業である日本郵政のトップに、民間会社から就任するのも元官僚であればそれだけの理由でダメだという。論理的にむちゃくちゃだと思うし、憲法が保障する基本的人権の侵害でもある。元官僚であろうがなかろうが、任務にふさわしい人を選ぶべきだ。

メディアも政党も一般人も、自分の権利は声高に主張するが、他人の権利には無神経だ。日本人総自己虫の時代だから致し方ないのか・・・・。

今回の人事がそれにふさわしいかは、今後手腕を見て判断しなければならないことに変わりはないのだが。

郵政巻き戻しは民意では?

一部のメディアが民主党の郵政改革巻き戻しに異議を唱えている。しかし、有権者はこれを含めた民主党の政策に熱狂的な支持を表明したのではないのか?郵政の巻き戻しも圧倒的に支持されたのではないのか?それを含めた民主党の政策への支持を煽ったのもメディアではないのか?

選挙前は一括して支持を表明しておき、後から個別に批判するのは無責任ではないのか。いわゆる「総論賛成。各論反対」と同じではないのか?自民党の「総論賛成、各論反対」は非難していたように見えるが。

私にはどうしてもメディアの態度が無責任で一貫性に欠けるように思える。

政府は国民に対するサービス機関である。国民の平穏で植えることのない生活を守る義務がある。政府関係の改革はその事を忘れてはならない。小泉改革は事業の個別の採算にこだわり、政府の義務と全体としての効率を放擲した。そしてメディアもそれを賞賛し煽り立てた。メディアはその事を反省しなくてはならない。

公約教条主義

最近世の中には教条主義が蔓延し始めているのではないだろうか。小泉政権以降、メディアでは、一度掲げた政策を金科玉条のごとく変更しないことが良い、とされるようになった。たとえ公約に問題点ががあり、現実にそぐわない部分があることが明らかになったとしてもだ。

しかし、古来「君子豹変」と言う言葉があるように、指導者たる物は施策に不適切な部分があれば体面にこだわらず、豹が体の模様を換えるように速やかに改めるべきであると言われている。他に良い方策があるにもかかわらず公約にこだわるのは、暗愚と言うべきである。率直に非を認め、理由をきちんと説明して方針転換しないのは、君主たる者のとるべき態度ではない。

にもかかわらずマスメディアは、公約を現実に対応させるための些細な変更すら公約違反として非難し、国民もそれに同調する。これは最早「公約教条主義」としか言い様がない。マスメディアも国民も、このような硬直した姿勢は改めるべきだ。

October 19, 2009

産地偽装の原因は日本人の性癖

相変わらず産地偽装の摘発が続いている。

頻発の原因は企業の利益至上主義などが挙げられ、経営姿勢が非難されたりしている。しかし根底には、消費者のブランド信仰もありそうだ。メディアで良いと紹介されると、その商品や店舗に人が群がり、やはり良いと褒めそやし違いが分かるふりをする。そして販売業者は、売れ筋とばかりにその商品を手に入れようと血眼になって、納入業者に圧力をかける。こうした消費者の行動パターンが、産地偽装事件を増やす原因になっているような気がするのだ。

このように、権威と言われる人や組織の発言を無批判に受け入れるというのは、古来からの日本文化の伝統のような気がする。その例として、万葉集に「よきひとの よしとよくみて よしといひし よしのよくみよ よきひとよくみつ」という和歌がある。この歌の詠者は天武天皇だと言うことになっているが、「審美眼があり身分の高い人が、良いところだと考えて良いと言っているところだから、吉野を良いと思って見るべきである。先人が良いところだとして見ていたのだから。」と解釈できる。つまり権威による評価はそのまま受け入れるべきであるという考え方が、この時代から一般的になっていたことが推定できる。

つまりブランド信仰はこの時代から続く日本人の性癖だと言うことになる。全ての分野で、メディアの宣伝を鵜呑みにしてそれを追いかけて右往左往するのも仕方がないのかもしれない。メディアがこれが一般に支持されている、あるいは主流の考え方だと言えばそれを無批判に信じ、ブランド品を争って買い、選挙の投票先を決めもする。この状況が続く限りは食品を含めた偽装商品は無くならないだろうし、選挙の度の大振れも繰り返されるだろう。

結局は、メディアを支配する物が、実質的な日本の支配者であるようだ。

Vox Populi(民衆の声)

退屈しのぎに平井正穂編の「イギリス名詩選」を読んでいて表題の詩に行き当たった。作者はJohn Dryden、17世紀後半の英国の詩人だそうだ。

この詩は当時の二大政党のひとつ、トーリー党支持者の立場から、対立するホイッグを批判するものだが、ホイッグ党をマスメディアに置き換えてみると、現在の日本になんと良く当てはまることだろう。マスメディアと、それが世論を誘導し煽り立てる現在の政治状況が、17世紀の英国と少しも変わっていないことがよく分かる。

民衆の本質は、三世紀以上少しも変わっていないようだ。


「イギリス名詩選」,平井正穂編,岩波文庫 赤273-1(ISBN4-00-322732-X),岩波書店,P108-111

October 18, 2009

前原発言へのバッシング

前原氏の羽田をハブにとの発言に対するバッシングが続いている。私も、前原氏は偽メール事件で大恥をかいたように軽率なところがあると思うし、ハブ空港に関する発言も言葉の使い方に配慮が欠けていたと思う。

しかし、現実の問題として成田単独でハブ空港たる容量があるかと言えば、これは全く不足していると言わざるを得ない。半世紀も昔に計画された空港でもあり、最近の航空輸送の需要に対応できていない。また、地元との協定で拡張の可能性は全くない。

この為、成田は国際線の受け入れだけで手一杯で、地方空港への便を受け入れる余裕がない。そこで、国内航空会社は韓国の仁川や釜山をハブとして利用せざるを得ない状況に追い込まれている。距離を見ても、九州へは成田からよりも韓国の仁川の方が近い。成田から国内便が飛べないこの状態が続けば、中国の上海も同じように利用される可能性がある。

このような状況を見れば、成田を日本を代表するハブ空港ということができないことは明らかだ。発着容量から言っても、ここ数十年拡張が続けられた羽田の能力は成田を大きく上回り。今や再び羽田が日本最大の空港であることは間違いないし、その事実から目をそらすべきではない。

成田が容量不足を放置すれば、韓国の仁川が日本のハブをも兼ねる状況はますます進むだろう。そうなれば、航空運輸業界における日本の地位低下は避けられない。従って、今しなければならないことは、成田と羽田の両方を国際線と国内線の両方が運行するハブ空港として運用することだ。この為には成田と羽田を高速公共交通機関で直結するようなことも考慮すべきだろう。

この点に関しては、近距離に三つの空港を持つニューヨークを参考にすべきだ。JFKからラガーディアまでは車で15分程度しかかからないし、最も遠いJFKからニューアーク(隣のニュージャージ州になるが)でさえも車で1時間はかからない。この三空港のいずれからも国際線が運行しており、三空港が一体として利用されている。

下らぬ体面争いなど止め、航空運輸業界における日本の地位低下を防ぐため、両空港の連携化を最優先にすべきだ。前原バッシングを楽しんでいる余裕など無い。

価格破壊は生活破壊

相変わらず様々な一般消費財での低価格化が続いている。マスコミの相変わらず価格破壊とはやしているし、それを喜ぶ消費者も多い。

しかし価格破壊は喜んで良いことばかりではない。確かに家計支出は減るだろうが、結局その付けを払わされることになるからだ。

価格を下げるため、販売業者は二つの方法をとる。一つは納入業者に圧力をかけ、採算を無視した価格でも納入させる。納入業者は仕事が無くなるよりはましと、赤字でも納入を続ける他はないからだ。二つには、これで満足できる価格にならない場合は、安価に製造できる外国からの輸入に切り替える。これによって日本国内の仕事は減少する。

こうして、価格破壊は納入業者やそれに関わる生産業者などの収入を減少させる。そしてそれは賃金の切れ下げや人員削減によって補わなければならない。既に下請け業者たちは削れる肉は全て削り、骨まで削っている状態だ。これがこのまま続けば、庶民の所得がさらに減り、雇用が減り、そして最終的には生活破壊につながるのだ。

生活を向上させるためには、低価格でも国内調達率が低い製品は買うべきではない。結局は自分の首を絞めることになるのだから。

October 17, 2009

楽天躍進

仙台楽天が大躍進している。田中と岩隈の両投手の活躍がめざましいが、他の選手たちもオリックスを見返せとばかりに気合いがこもっているようだ。

野村氏は嫌いだが、この際日本一になるのも面白かろう。

そうなれば苦虫をかみつぶした顔が見られそうな人が三人いる。読売新聞のナベツネ氏、楽天の三木谷社長そしてオリックスの宮内CEOだ。

ナベツネ氏は言わずもがなだが、三木谷氏は自分に対し無礼な野村氏とは再契約しないと決めた矢先、そして宮内氏は球団合併時に要らないとした選手を中心に発足したチームだけに面目が丸つぶれだ。特に宮内氏は、地分の球団が最下位を指定席にしているだけに腹立たしいだろう。

電気自動車の購入補助の財源に燃料税を充ててはどうか

低燃費車の購入補助が、財源枯渇のため中止になりそうだという。

それならば、いっそのこと燃料への暫定税率を上げ、電気自動車や低燃費自動車の購入補助の財源に当ててはどうだろう。炭酸ガス排出の高い(ほとんど不可能と思える)目標を掲げながら、炭酸ガス排出をを促進する暫定税率廃止よりも政策としての整合性がよいと思うのだが。同じく、高速道路の通行料金も廃止せずに引き上げ、引き上げ分を電気自動車や低燃費車の購入補助に当てると良い。

運輸業者の経費増への補填は別の方法、たとえば輸送実績(総量×総行程)を基準にして行えばよい。また、ハイブリッドジーゼルエンジンを搭載するトラックやバスなどに対する補助も行うべきだろう。日常の足には電気自動車が実用可能な性能に達しているが、長距離走行能力が必須のトラックや長距離バスの純電気駆動はまだしばらくかかるだろうから。

教員資格に修士号?

文科省が教員資格に修士号を加えることを検討するという。教員の質を向上させるためだと言う。

私はこの報道を見てあきれ果てた。なぜならば教員の質が低下している(何を持っての低下かがそもそも定義されていない)対策としては、費用がかかるばかりで効果がほとんど無いと思えるからだ。教員の現場での対応能力が低下していると言われるのは、養成校での教育が不足と言うよりは、現場での実践教育(民間企業で言うところのOJT[オン・ジョブ・トレーニング])が機能していないからだ。

私の耳に入る限りでは、今の教員は報告書や申請書の作成などの事務作業の増加、これを補助する事務職員の削減などによって、同僚の手助けや指導に割く時間と精神的な余裕がないようだ。これでは経験豊かな先輩が後輩の相談に乗り、悩みの相談に乗ったり指導したりするという、現場でのフォローアップができない。これが現在の教員養成での最大の欠陥だと思う。

さらに、教員資格に修士号を要求すれば、経済的に余裕がある家庭の子女以外は教員資格の取得が難しくなる。これでは、有能な人材を集める上での障害にしかならない。むしろ資格取得は容易にして、OJTでの選別と能力向上に努めるべきだ。

そのためには、採用当初は「準教員」あるいは「補助教員」として扱い、教育委員会と学校に指導の義務を負わせるべきだ。具体的には、各現場に経験豊かな教員や元教員を配置して指導に当たらせる方が良い。実際、海外では学歴資格は設けず、面接で「補助教員」あるいは「臨時教員」として採用し、実地で経験をさせながら通信教育で正式の教員資格が取得できる制度を持つ国もあるようだ。

優秀な教員を育成したければ、養成校での理論教育よりも現場でのOJTを充実するべし、と言うのが私の考えだ。

October 16, 2009

子供の声が響く街

私が住むマンションの前には小さな公園がある。そこでは、放課後や休日は子供たちが賑やかに遊ぶ声が響いている。周辺から子供たちが集まっては様々な遊びをして、時々は遊び歌も聞こえいかにも楽しそうだ。

このマンションでも子供の声がうるさいという人もいるが、全体としては子供たちに好意的だ。子供たちに異常がないか、それとなく遊ぶ声に注意している人も多い。近所の親たちも上から見守られていると感じるのか、小さな子供も安心して遊ばせているようだ。

子供たちの遊ぶ声が響く街は、私には安全で住み心地が良い街だと感じる。子供たちが安心して遊べる環境があると言うことだ。それに対して、子供の声が聞こえない街は活気が無く暗い感じがする。住人同士が不信の眼を向け合って閉じこもっているような、嫌な雰囲気を感じることすらある。

住宅街の道路で子供を遊ばせるな、自動車で取り抜けるのに邪魔だ、と言う人もいるがそれは自己虫という物だ。住宅街の道路は、昔から子供たちに遊び場としての優先権がある。生活道路を通り抜けようとするときには、自動車の方が遠慮すべきだ。ましてそこが公園であれば、子供たちにはそこで賑やかに遊ぶ権利がある。

しかし昨今は、公園で遊べば近所の住人からうるさいから遊ぶなと言われ、道路でも遊ぶなと言われる。一体どこで遊べと言うのだろう。子供たちは集団で遊ぶうちに社会性を身につけるというのに。

子供たちのことを優しく見守ろうと言う人が少なくなった今、我が家の前の公園に響く子供たちの声はむしろ心地よい。

やはり、街には子供の声がする方が良い。


(とはいうものの、昔も家の前で遊ぶとうるさいと怒鳴る偏屈はいたなぁ。たいていは近所の嫌われ者だったけれど・・・。)

October 15, 2009

ミシュランガイドブックと大衆食

ミシュランガイドブックの関西版が発行されたが、大阪名物のお好み焼きやたこ焼きが含まれていないと批判する人たちがいるようだ。

しかしそれはそもそも無理という物だ。ミシュランガイドブックは本来富裕層の旅行者のための物。その地の最高級の(もちろん値段も最高級)のレストランを、値段を確かめる必要のない人たちに紹介する物だ。レストランに入る前に値段表を確認するような人たちのためのレストランは、はなから格付けの対象外。

ミシュランガイドブックの発行元は、なんと言われようと大衆食を取り扱って、ガイドブックの大衆化を図ることは無いだろう。大衆化などすれば、ミシュランガイドブックそのものの格付けが下がってしまうからだ。

October 14, 2009

Windows 7

コンピュータ関係の評論家がこぞって絶賛したWindows vistaが一般に受け入れられず、急遽登場したWindows 7だが果たしてどれほどの物だろうか。RC版については、評論家たちがVistaの欠点が解消されたかのような高評価を並べていたが、ここに来てVistaと大差ない、資源食いで重いことにはかわりがないという評価も出始めている。

Windows 7がVistaと大差ないのであれば、ハードウエアもほとんど変わらないので、いま販売店が売り急いでいるVista版がお買い得だ。ただ、MicrosoftがWindous 7の売り上げ促進のため、短期でVistaのサポートを打ち切るのではないかというのが不安要素。Microsoftなら、それもやりかねない。

さて、Vista版と7版とどちらがお買い得か、なかなか判断が難しいところだ。


追記(2009/10/21);
各種の情報を集めた結果では、どうやらWindows7はVista SP2とでも言うべきOSのようだ。基本は同じでマイナーアップなのだが、あまりにVistaが不評だったため、名前を変えてイメージチェンジを狙ったようだ。自動車でも、名前を変えただけの新車種が良くあるがそれと同じだ。

今週末まではVista版があるだろう、それを狙うのも手か。

もっとも私の場合、妻用のノートPCの更新を考えているので、ボーナス商戦を待つことにする。2~3万割高にはなるだろうが、妻一人ではWinows7へのヴァージョンアップができないので。

追記(2009/10/22);
資料収集を続けているが、どうやら遅さに悩まされているVista使用者にはヴァージョンアップする意味はありそうだ。もっとも、現状支障がない人には価値がないことは当然だが。

しかし、XP使用者にとってヴァージョンアップする価値があるのかどうかまだ分からない。どうやってもXPより遅くなるのではないかという疑念が払拭できないからだ。XP用のソフトウエア資産が多い企業ユーザーが、すぐにWin7に乗り換えるという事にはなりそうもない。

売り物の新機能も、企業ユーザーにとっても価値がない物ばかりという事も理由になる。タッチパネルも、企業の伝票処理などには30年以上前から使われている。それ用のハードウエア資産が使えなくなるしソフトウエアも新たに作らねばならない。

追記(2009/10/24);
マイクロソフトが新しい業務用OSを開発しているという、エイサー会長の発言が報道されている。業務用はWindows7をパスして次のOSの様子を見るという選択肢もありそうだ。これについての詳細は別記事を参照してほしい。

追記(2009/10/28);
MSNに私と似たような考え方の記事が紹介されていた。XPは7へのヴァージョンアップは必要がないが、Vistaではヴァージョンアップを勧めるという趣旨だ。

October 13, 2009

関空負担金、本末転倒な議論

またまた橋下氏がだだをこねている。

関西空港がハブ空港でないなら維持負担金を出さないという。しかしこれは本末転倒だ。元々関空は、大阪府が伊丹の騒音問題にかこつけて、近畿各県をとりまとめて国に誓願したものだ。自分が作ってくださいとお願いしたにもかかわらず、今更ハブ空港でないならば倒産そして廃港になる可能性があっても、負担金を出さないというのは本末転倒だ。

いい加減に幼児的な行動は直してほしい。ワイドショウのどたばたお笑いタレントは卒業したのではなかったのかな?


追記(2009/10/14);関空が国際ハブ空港であるためには、大阪が経済における国際ハブである必要がある。それなりの経済中心でなければ人は集まらず、大きな空港だけを作っても閑古鳥が鳴くだけだ。関空振興には大阪経済の再興が必須。

関空不振の原因となった、大阪の経済的地盤低下がなぜ起きたのか、その原因を解明して対策を行う方が先だ。それを行わずに関空がハブ空港にならないと文句を言っても、何の役にも立たない。空港発展の推進力は地元の経済力にあるのだから。

羽田ハブ化論の原因

羽田空港を国際ハブ空港にするとの大臣発言に、うろたえている人が多いようだが何を今頃という感がする。

このところ続いてきた羽田空港の拡張は、元はと言えば成田空港の拡張ができないからだ。成田空港は以前から飽和状態になっているが、周辺の空港反対派との協定などのため拡張は事実上不可能だ(第二滑走路すら満足に造れない)。この為、成田は計画から50年たった今も完成せず、国際ハブ空港にと言う構想は完全に頓挫した。その結果、増加する需要に対し羽田を再び国際空港として活用せざるを得なくなったという事だ。横田基地の民間転用構想も、現在の羽田からさらに拡張しても離発着枠の拡大は空域が混雑するので困難だろうという見方があるためだ。

(横田基地は、米軍が米本土向けの定期便を運行させており、滑走路が一本ながら長距離便も発着できる。また、東京西部の交通の要衝である立川のすぐ西にあるため、関東西部の住人には利便性がよい。弱点は伊丹同様騒音問題。)

成田の拡張が不可能なため、羽田の拡張は二十年来続けられて今や日本国内最大の空港となっている。成田の転落と羽田の国際ハブ化は事実上の既定路線になっていたはずだ(第四滑走路の建設はその準備だと思っていた)。それが何を今頃になって驚くのかと思う理由だ。そしてこれは、不都合なことには目を閉ざし、都合の良いことだけを見るという近頃の日本人に共通(政治家も、財界人も、またマスメディアや庶民もだ)する習性の「賜物」だろう。

追記1(2009/10/14);千葉県は成田が見捨てられると思っているようだが、成田は成田として存続し続ける必要がある。それは、羽田が拡張されたとは言え、成田無しには航空需要をまかないきれないのは明白だからだ。東京が一空港でよいと言うことには決してならない。

たとえばニューヨークはJFK以外にニューアークとラガーディアの二空港があり、ニューアークはJFKとともに国際ハブ空港級の大きさと発着数がある。(ラガーディアは小さいがカナダなどへの近距離国際便は発着している。また、JFKとニューアーク間は車で一時間ほどで移動できる。つまり三空港が連携してハブとして機能している。)羽田の拡張余地にも限界が見えてきている今、今後も成田が拡張できないのであれば第三国際空港をと言う機運は必ずでるだろう。

追記2(2009/10/14);成田が拡張できないことについては、反対派を非難するつもりは全くない。ベトナム反戦とリンクさせたためこじれてしまったが、静かな生活を守りたい、先祖伝来の土地を取り上げられるのは嫌だと思うのは人間として当然だ。国が、取り決めた協定は尊重しなければならないのも当然だ。

もし両者が協定の消滅に合意することがあるとしても、それは何十年も先のことだろう。東京への一極集中が進み、いわゆる東京圏の拡大が続けば、その頃には成田空港周辺は住宅で埋め尽くされて、拡張余地は全くなくなっているだろう。羽田の拡張が限界に達した後、どうするのかはまさに国家百年の計といえる。

追記(2009/11/18);
地域ハブ空港を狙うアジアの新空港と日本の空港を比較できるJAXAの記事がある。これを見れば、成田空港が東アジアのハブ空港たる資格がないことが一目瞭然だ。大きさ、都市中心部へのアクセス、どの面でも成田は格段に劣る。成田にこだわっていれば、東京が東アジアの中核都市としての地位を失い、ひいては日本が東アジアの中核国としての地位を失いかねないことが、これを見ればはっきりと分かるはずだ。

アジアの新空港を宇宙から見る;http://www.eorc.jaxa.jp/imgdata/topics/2009/tp091118.html
成田と羽田、首都圏の2大空港;http://www.eorc.jaxa.jp/imgdata/topics/2009/tp091111.html
海上空港と古墳のある風景:大阪;http://www.eorc.jaxa.jp/imgdata/topics/2006/img/tp061116_01j.jpg

October 12, 2009

今後の二大政党の対立軸(東京対地方)

自民党と民主党の2大政党体制になって、第二次大戦後長く続いた保守と革新の対立の図式は完全に消滅してしまった。両党とも、政治的に右翼から左翼までが属しているからだ。

それでは今後の日本の政治における対立軸は何になるのだろうか?米国の場合は、基本に北部と南部の利害があり、そこにキリスト教の原理主義と進歩主義が重なっている。

日本ではどうなるのか。それは東京対地方の利害対立になる可能性がある。伝統的に地方に地盤を持つ自民党と、東京を中心とする都市住民票に依存する民主党の体質を考えると、それが最もありそうに思える。東京とその周辺の地域、いわゆる東京圏の人口は、恐らく地方の村や中小都市の総人口を上回っているだろう。自民党は地方依存から簡単に脱却できないだろうし、地方の利益の代弁者も必要だ。

その結果、東京圏以外の大都市がその狭間で置き去りにされる可能性もある。既にその兆しが出始めている様な気もするのだが・・・・。

ノーベル平和賞に込められたメッセージ

米国のオバマ大統領にノーベル平和賞が贈られることになり、これが議論を呼んでいる。しかし振り返ってみれば、過去の平和賞のどれにも政治的なメッセージが込められている。どの授与にも、その人が関わった活動が定着して、大きな流れになってほしいという選考委員会の願いが込められており、過去の業績をたたえると言うよりも世界の未来へ向けたメッセージなのだ。

その意味で、今回のオバマ氏への授与は、今まで核兵器の保有に執着してきた米国の指導者が、核兵器をなくそうと呼びかけたことを重視し、これが歴史的な転換点となり、核兵器廃絶への大きな流れになってほしい、そうしようと言うメッセージだ。特に、核保有支持者が多い米国人に、この発言を外交辞令に終わらせないでくれと呼びかけている事は間違いない。

これは、世界への、そして特に米国人に向けたノーベル賞選考委員会からのメッセージなのだ。我々も、核兵器大国の代表者が核兵器廃絶を呼びかけたという事を、もっと重大視すべきなのだろう。

October 11, 2009

五輪招致の早道

五輪招致の失敗が続いている。日本国内の盛り上がりのなさから言っても、これは当然だろう。

それなら、日本国内を盛り上げて招致を成功させるにはどうすればよいのか?それは、日本選手が五輪を始めとする国際大会で好成績をあげることだ。競技団体が利権とばかりに好成績をあげる見込みのない選手も派遣し、視聴率が稼げれば後はどうでも良いマスメディアがメダルが見込めるかのようにはやし立てる。実際の結果はメダルなど無縁の惨めな成績で皆がしらける。これでは、五輪を招致しようという機運は盛り上がりようがない。

これを改善するためには、日本選手が好成績をあげなければならない。そのためには、各競技団体が利権として派遣選手枠を確保し、競技団体に貢献した選手を、好成績が望めなくてもご褒美として派遣する、この習慣はやめなくてはならない。また、マスメディアは好成績をあげる可能性がなくても、見てくれが良ければタレント扱いでもてはやす。これもやめるべきだ。

そうして、好成績をあげる可能性がある選手だけを派遣し続ければ、「外国選手には太刀打ちできなくても日本人最高であればよい」などと言う考えの選手は脱落し、真に競技能力がある選手が育ってくるだろう。そうすれば自然に、日本選手が、日本で開催される五輪で活躍するのを見たいという機運が盛り上がってくるだろう。

隠れ相乗り

神戸市長選挙が告示されたが、現職候補は隠れ相乗りとなった。

現市長は、前回の選挙では与野党相乗りで当選したが、今回は反自公と空気を読んで、自公に推薦自粛を申し入れたのだ。これに対して、自公も結果として勝ち馬に乗れればよいと合意したので、隠れ相乗り体制ができあがった。

今後このような隠れ相乗り候補が増えるのだろう。選ばれる方も勝てれば何でも良い、支援する方も結果として勝ち馬に乗れさえすれば良い。言ってみれば節操無しがはやる時代らしい行動というわけだ。

また別の言い方をすれば、「大政党による談合」とも言える。小沢氏の相乗り禁止令で相乗りはできない。そこで水面下で関係者が談合し、このような形にしたという事。

二枚のイタリア民謡集(ディ・ステファーノとタリアヴィーニ)

懐かしさに惹かれて、2枚のイタリア民謡集のCDを買ってしまった。

1枚はジュゼッペ・ディ・ステファーノ(Giuseppe di Stefano)、もう1枚はフェルッチョ・タリアヴィーニ(Ferruccio Tagliavini)だ。それぞれ一時代を作ったイタリアオペラの名テノールだ。

早速2枚を聞き比べてみて、その違いが面白かった。音質を言えば、LPの最初期(一部はモノラル)のディ・ステファーノは歪みやノイズが目立ち、文句なくタリアヴィーニの物の方が優れている。しかしそれぞれの時代を反映しているのか、音楽としての印象の違いが際立っていて面白かったのだ。

一方のディ・ステファーノはジャケットの写真(このジャケットは子供のころに見た覚えがある)の様に、抜けるような青空の下、屋外ステージで歌っているような明るさが印象的だ。録音にうるさい人は、単に低音がやせているだけというのだろうが、これは第二次大戦が終わった後の開放感を反映しているのかもしれない。これに対して、タリアヴィーニは音響の完備したオペラハウスのステージで歌っているような端正な感じがある。これは録音技術の発達を反映しているのだろう。

もちろん、歌そのものはともに名手の歌ですばらしい。どちらが良いかは聞く人の好みしだいだ。

1.The Best of Napolitan Songs,Giuzeppe Di Stefano/Sings Napolitan Songs
  EMI Classics 決定版 1300/49
    1.カタリー(つれない心),Core'ngrato
    2.帰れソレントへ,Torna a Surriento
    3.君を求めて(泣かないお前),Tu,ca nun chiagne
    4.君に告げて,Dictencello vuie
    5.あなたにくちずけを,I'te vurria Vasa!
    6.マレキアーレ,Marechiare
    7.お母さん何が知りたいの?,Mannma mia,che vo'sape
    8.カルメラ,Carmela
    9.マリア・マリ,Maria Mari
    10.サンタ・ルチア,Santa Lucia
    11.光りさす窓,Fenesta che lucivi
    12.なぜ?,Pecche?
    13.ガッパリア,Guapparia
    14.プシレコの漁師,Piscatore'e Pusilleco!
    15.静けさに歌う,Silenzio cantatore
    16.遙かなるサンタ・ルチア,Santa Lucia luntana
    17.孤独,Senza nisciuno
    18.情熱,Passione
    19.オー・ソレ・ミオ,'O sole mio
    20.フニクリ・フニクラ,Funiculi,Funicula

2.Canzoni Napolitane e Romanze,Ferruccio Tagliavini
  RCA Red Seal,The BEST/BMG BVCC-37705
    1.カタリ・カタリ,Core'ngrato
    2.ヴリア,Vurria
    3.つねってキッスして,Pizziche e vase
    4.帰れソレントへ,Torna a Surriento
    5.五月の夜,'Na sera'e maggio
    6.あなたのくちづけを,I'te vurria vasa
    7.君を求めて,Tu,ca nun chiagne
    8.君に告げて,Dictencello vuie
    9.お母さんどうしたの?,Comme facette mammeta
    10.夜の声,Voce'e notte
    11.プジレコの漁師,Piscatore'e Pusilleco
    12.オー・ソレ・ミオ,'O sole mio
    13.ドリゴのセレナード,Notturno d'amore
    14.禁じられた音楽,Musica proibita
    15.マッティナータ(朝の歌),Mattinata
    16.理想の人,Ideale

補足;SPからLPへ、そしてLPモノラルからLPステレオと変わってい行く時代の録音なので、特にステファーノのものはモノラルが多い。左右の音の分離が悪いなどと言わないように。以前フルトベングラーのモノラル録音に、音が中央に固まって団子になっていると文句をつけていた者がいたので念のため。

October 10, 2009

「直葬」は語感が悪い

最近、直葬がはやりだという。従来の葬儀で行われてきたようなことは一切せずに、ただ火葬するのだという。故人の送りかたは、本人の遺志と家族の意志に従って行えばよいことに異議はないのだが、「直葬」はどうにも語感が宜しくない。

「直葬」→「直送」→「さっさと片付けよう」という連想がはたらき、不人情ではないのかという風に感じるからだ。また、「直」から「じか」を連想し、虐殺の犠牲者たちのように棺にも入れずに土中に埋めてしまうという連想もある。

というわけで、私には「直葬」という言葉には強い抵抗感がある。言葉から感じるイメージに無神経な現代とはいえ、もっとましな名称はないものだろうか。

薬物乱用

しばらく前のことになるが、芸能タレントの薬物事件が続いた後に、某大学の教授が薬物の使用を擁護する記事が新聞社のサイトに出ていたことがある。

その理由は第二次大戦後の焼け跡時代に、「無頼派」と呼ばれた人たちが覚醒剤を使いながら作品を書いていたからだという。この教授によれば薬物は文化的想像力を高める有用な物であるから、芸術家たちが薬物を使用するのを非難するのは不当だという。

しかし「無頼派」の作家たちにとっ、て覚醒剤は自分たちが一般社会からドロップアウトした存在であることの象徴であり、また食料などの物資不足の中で創作活動を維持するためのものだった。従って、物資不足など存在しない今、おもしろ半分に薬物を使用するのとはわけが違う。また、「無頼派」の作家たちも覚醒剤の連用により、肉体を破壊された人も多い。

覚醒剤や麻薬が禁じられるのは、それを使ううちに精神が幻覚や現実感の喪失などによって精神が破壊されるからだ。マリファナは有害性がたばこと大差ないから禁止するには当たらないという主張もある。しかし、たばことマリファナの決定的な違いは、マリファナには幻覚などの作用があるが、たばこにはそれがないと言うことだ。たばこを幻覚がでるほど吸うのは、誰にとっても快楽よりも拷問になるだろう。マリファナを長期に日常的に使っていると、精神機能に障害が出ることがあると医学的には知られているそうだ。やはり、自分を大切に思うなら、使わない方が良い。


追記;「麻薬」という言葉は、そもそも麻の葉をシャーマンが神がかりになるための幻覚剤に用いたことに由来するのだろう。麻から作った薬というわけだ。また、「麻酔」という言葉も、これを用いることによって無感覚になり痛みなどを感じなくなることから来たものだろう。インドでは夫に先立たれた妻を殉死させる習慣があった(今でもまれにあるらしい)が、この際には大麻樹脂の煙を吸わせて意識を混濁させたうえで火の中に投げ入れていたとも言う。

October 09, 2009

教員の服装

例によって話題狙いの発言が多い橋下氏が、今度は教員の服装に難癖をつけている。ジーパンがけしからんから禁止するというのだが、いつもながら些細なことで大騒ぎする人だ。

最も教員の服装についてはどうかなと主ことがないではない。それはテレビドラマでも見られるジャージ姿だ。あれはどうにもだらしなく見えて仕方がない。

地方に行くと中学生が全員ジャージで通学しているのをよく見掛ける。そのたびに教員や父母の感覚に首をひねっていたのだが、そのような学校では教員もジャージでいることが多いのだろう。

私が小・中学生だったころ、教員の服装はほぼ決まっていた。男性教員は背広(夏は開襟シャツ)、女性教員はワンピース(またはブラウスにスカート。スーツはまだ礼装扱いだったので公式行事以外はほとんど見掛けなかった)以外の人はほとんど見掛けなかった。体操の教師も実技の時間だけ運動着に着替え、教室の授業では背広だった。それは自分たちの仕事に対する誇りと生徒たちに対するけじめからくるものだったと思う。

いまは、ポロシャツとチノパンで来客を迎える迎えるだらしのない知事がいる時代なので、服装がある程度自由なのは仕方がないのかなと思う。ジャージ姿よりはジーンズの方がましかとも思う。しかしいずれにしろ、自分の仕事と生徒に対するけじめを大切にする教員は、教壇に立つときの服装ぐらい自分で管理するだろう。


追記;いずれにしろ、「橋下はん、あんたが言うんか?」という気がして、なにやら滑稽な・・・・・。

梅田北の再開発

梅田北ヤード再開発の話題が出る度にもったいないと思う。

広々とした緑地が少ない大阪市中心部に、かろうじて残るこの空き地を公園にすればよいと思うのだ。中央部を広い芝生にし、周囲に大きく育つ樹木を植え込む。大勢の人が集まり、買い物の合間や昼休みに憩える場所にする。そうすれば周辺のオフィスビルやショッピング施設により多くの人が集まり、梅田の都市センターとしての価値が高まることは確実なのに。

目先の利益だけを追う人ばかりで、長い目で考える人がいないのは残念なことだ。

October 08, 2009

高速道路無料化であれば、フェリー会社の運航費補填も行うべき

高速道路の値引きや無料化によって、フェリー会社の多くが危機に直面している。

フェリー航路は、長距離だけではなく地方の重要な公共交通機関になっているものも多い。高速道路無料化によってフェリー会社が倒産や廃業して、航路が廃止されればとたんに生活維持が難しくなる地域が確実にでる。

無料化した高速道路の維持費を税金でまかなうのであれば、フェリー会社の運行維持に必要な費用も税金で補填すべきだ。フェリー航路は道路と同じ重要なインフラだ。かつての宇高連絡航路が国道として扱われていた前例もある。ローカルフェリー航路も、道路として国が維持するのが筋だろう。

トンデモ科学者の疑問(生物編1)-生き物はなぜ死ぬのか?

細胞分裂で増殖する単細胞生物は見掛け上では不老不死だが、それ以外の生物は全て老化して死ぬ。生き物はなぜ不老不死ではないのか、その理由を考えてみた。そしてそれは、変化する環境に適応して種が存在し続けるためには、世代交代が不可欠だからだと言うことに気がついた。

全ての生物の形状や性質を決めるのは遺伝子だ。その意味で遺伝子は生物の設計図とも言われる(注)。そして、多細胞であれ単細胞であれ、生物が変異するには遺伝子に変化が起きなければならない。だが、遺伝子が変化できるのは、化学物質や放射線によって生じるものを除けば細胞分裂の時だ。細胞分裂時の遺伝子の複製にエラーが起これば、それが遺伝子の変化(変異)となる。

生じた遺伝子の変化が致死的ではない、あるいは生存に極端に不利でない場合にはその個体は生存して子孫を残す。そしてこれがその種の遺伝子的蓄えとして加わることになる。

もし、環境に変化が生じた時にこの蓄えが多ければ多いほど、環境変化に適応できる遺伝子がある可能性が高くなる。従って変化した遺伝子の蓄えが多い種ほど存続の可能性が高い。つまり環境変化に対する適応能力が高いことになる。

このような変異遺伝子の蓄えを増やすには、
1.個体数が多い。
2.世代交代が早い。
ことが有利である。

だが、個体数が多く世代交代が早いと言うことは、放置すれば個体数が増えすぎて飢餓に陥る危険をもたらす。そこで遺伝情報の維持に必要な数の子孫を残した個体は除去する方が良い。老化のメカニズムはこの目的で存在すると考えられるのだ。老化により生体活性が低下した個体は、他の生物に補食されたり事故に遭う可能性が高まるので、自動的に除去される。これにより種は、個体数の爆発的増加を避け存続することができる。これが生物が不老不死ではない、いやむしろあってはならない理由だろう。

環境変化に対する種の存続可能性としては、上記の他に地理的に広く分布することも有利になる。これは、広く分布していれば、環境変化が適応可能範囲内にとどまる可能性も増えるので当然だ。

という観点から、大きな環境変化が起きた場合に最も適応力がありそうな現生生物は何だろうか?そして、大型化して世代交代に時間がかかる、人類の環境変化に対応する能力はどうなのだろう。大型化し世代交代に時間がかかるようになった恐竜の多くが環境変化に対処できずに絶滅し、小型の羽毛恐竜が鳥に姿を変えて存続したのだとしたら・・・。

注;私は、遺伝子は設計図よりもむしろ、製造手順書のようなものだと考えている。同じ手順があちこちで使われているように見える、生物体のフラクタル的な構造を見ると、そう考える方が合理的だ。

(2009/10/08)

橋下氏はアダルトチルドレン

橋下氏が府職員全員に、幹部を中傷するような批判メールを送りつけたところ、それに反論するメールを送った職員がいたそうだ。橋下氏はこれに対し、知事に対する物言いがなっていないと激怒し処分を検討するそうだ。

自分は言いたい放題で、上司としての物言いがなっていないことを棚に上げ、批判されるとすぐに逆上する。まだまだ餓鬼ですねぇ。外見は大人だが中身は幼稚というアダルトチルドレンの典型ですな。

October 07, 2009

出版トラブル(取材相手からの同意は書面でとるべき)

またまた出版のトラブルが起きている。今度は光市の事件に関するものだが、出版に同意したかどうかで裁判になっているようだ。最近この手のトラブルが実に多い。

原因は著者や出版社が売り上げ増のため、あれこれ理屈をつけて強引に出版することのように見える。同意があったかどうかについても、著者が取材相手から書面で同意をとれば良いのに、それを怠るから水掛け論になる。いや、むしろ曖昧な説明をして、明確な反対がなかったから同意したとこじつけているのではないだろうか。

出版社側や著者は、著作の自由や知る権利を旗印にして出版できると主張する場合が多いが、これはプライバシーの権利に優先する物ではない。出版社や著者があまりに身勝手に権利を振り回すと、対立関係にある権利を守るため、出版や著作の原理を法的制限につながりかねない。

権利には必ずそれと対立する権利がある。憲法は、基本的人権としていろいろな権利を保障しているが、対立する権利の優先順位は定めていない。結局はそれぞれの場合について裁判で決めるしかないのだが、権利の身勝手な乱用は世論の反発を招き、結果としてその権利の制限を招くことに注意を払わなければならない。

権利を守るためには、その権利と対立する権利があることに留意し、行使は慎重に行わなければならないのだ。

October 04, 2009

オリンピック開催地はリオ・デ・ジャネイロに

2016年の夏季五輪はリオ・デ・ジャネイロに決まったそうだ。最大の勝因は南米大陸初の開催をという、国を挙げての熱気だろう。1976年のアジア初の開催を目指した日本も同じ熱気に包まれていた。

当時の日本は日本の復興を世界に示そうとし、今回のブラジルはもはや後進国ではないことを世界に示そうとした。競合した各都市はその熱気に圧倒されたと言っても良い。

翻って今回の東京誘致はどうだっただろうか。東京以外では五輪誘致にはほとんど無関心だった。何でも東京中心に考えるメディアですら、盛り上げにはほとんど関心を示さなかった。その最大の原因は、なぜ今、東京で五輪を開催するのかという理由を、日本人に対して理解させることができなかったからだ。いやむしろ、理解させる努力をしなかったという方が良い。

東京圏の住民の多くですら、「中後進国ではあるまいし、なぜオリンピックを誘致するのか?」というような状況では、IOCの委員から盛り上がりに欠けると言われるのは当然だ。オリンピックがスポーツ貴族たちの利益追求の場となり、日本人の多くがしらけてしまっている今、日本に誘致したいのであれば、なぜ誘致するのかについて受け入れやすい説明が必要だ。それ無しでは国民的支持は得られないだろ。

それはそれとして、日本在住のブラジル国籍の方たちに、Parabens!(でよかったのかな、間違っていたらごめんなさい)

October 02, 2009

ここにもまた自主と言う名の強制が

大企業に蔓延している自主と言う名の強制が、政治の世界でも蔓延しているようだ。

民主党の一部議員が、秘書たちに給与の一部を「自主的」に献金させていたそうだ。立場の弱い秘書が、議員から自主的に献金をといわれれば断れるわけがない。忠誠を示そうと無理して献金するものもいただろう。これは、大企業で行われる自主という強制と全く同じものだ。

大企業でも、「給与の自主返上」や「休日や時間外の行事への自主参加」は広く行われている。だがこれは自主と言う名の強制だ。人事管理部門が参加状況を監視し、「自主的に」参加しないものは反社的人物としてマークする。その結果人事考課が悪くなり、一時金や昇進に悪い影響を与える。だから、「自主的に」といわれても、無理をしてでも参加せざるを得ない。時間外の改善活動についても同じことが行われている。

これが日本の大企業に蔓延している「自主参加」の実体だ。政治の世界でも同じことが行われているのが、今回露呈したわけだが、本来違法な強制を自主的だからと言い抜ようとするのは悪質な行為だと私は思う。

October 01, 2009

連立政権、2小党に募る不信感

国民新党、社民党に対する小沢氏の冷淡さが両党の不満をかき立てている。

両党側は参院の過半数が確保できなくなることを盾に、自分たちの主張を尊重するように求めているが、小沢氏はそれに対しては無視を決め込んでいるようだ。鳩山氏が両党の要求に応答しようとしないのも小沢氏の意向だろう。

小沢氏は両党が連立から離脱することはあり得ないと読んでいるのだろうが、かつて社会党は連立に加わるしかないから要求は捨て置けばよいと発言して、村山内閣を誕生の功労者となった前科がある。強気もほどほどにしないと、またまたねじれ国会を生むことにもなりかねない。もっとも、福島、亀井の両氏には、村山氏が怒りを爆発させたような性根はない可能性が高いのも確かだが。

いずれにしても、小沢氏の慎重な対処を望みたい。

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