男女平等(前提が間違ってはいないか?)
男女平等は当然のことだと考えるが、どのような状態が平等なのこと言うことについては疑問がある。
それは、男女平等運動を進める人たちの主張が、従来の女性の価値観を男の価値観よりも劣ると決めつけて、男の価値観で行動しない女性を蔑視しているのではないかと言うことだ。しかしながら、私は従来の女性の価値観を男の価値観より劣ると決めつけていいのだろうかという疑問を持っている。
たとえば、男女平等活動家が常に持ち出すのが高い社会的地位に女性が少ないことだが、社会的地位というのはそもそも男の価値観で、高い社会的地位を求めるのはそれが子孫を残すための女性を獲得する上で有利になるからだ。
本来、男の価値は外的から一族を守り、多くの食料を一族にもたらす能力で決まっていた。そのための体力と知恵が優れた男が、女性に安全な生活環境を提供できるので女性を獲得する上で有利だったのだ。それが人類の文明化によって、自分の利益のためにより多くの人間を動員できるもの、つまり社会的地位の高いものが有利だと言うことに変化していった。そして、男の価値観は誰が高い社会的地位を獲得するのかの基準として形成されていった。つまり、男の価値観とは本来、男の序列化の尺度なのだ。
これに対し、女性の価値観は男の序列化の尺度とは無縁の物だった。そのため、男にとっては意味がない物として、男の価値観の枠組みの外に置かれてきた。だから、女性の価値観は男の価値観とは別の体系によって構成されているのだ。女性がしばしば口にする「理屈抜きに(好き、あるいは嫌い)」という言葉が、女性が合理的に物事を考えないという事の引き合いに出される。しかし、「理屈」は男の価値観を体系化し、正当化するための物であるから、女性の価値観にとっては重要ではない。従って、「理屈抜き」に物を考える女性の思考法を劣った物とするのは、男の価値観が女性の価値観よりも優れているという前提の上で成り立つことなのだ。
こうした点から考えると、男女平等運動家が伝統的な女性の価値観を守る女性を「無知」で「遅れた」者と非難するのは、その根底に「男優位」の意識があるからと思える。その考えは、女性の価値観が男の価値観より劣ると見なさなければ出てこないからだ。しかし、男の価値観と女性の価値観を優劣比較することは可能なのだろうか。私には、女性の価値観が男の価値観より劣るという前提は誤りだと思う。またその事から、社会的栄達を目指さない女性を「愚か」で「遅れた」者と見なすことにも反対だ。
男女平等とは、男女がお互いの価値観を尊重しあい協力することだと思う。だから、女性の価値観を捨て男の価値観で生きるのも、伝統的な価値観で生きるのも、その女性本人の自由だ。無理に女性の伝統的価値観を捨てさせようとするのは、男の価値観を優位と信じて、それに従って生きる者が優れているという、間違った優越感から出たものとしか思えないのだ。
« 関空振興策(2) | Main | 負の連鎖 »
« 関空振興策(2) | Main | 負の連鎖 »
Comments