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September 2009

September 30, 2009

NHKの連続ドラマ、もう限界では?

NHKの連続ドラマの不振が言われ始めて何年になるか。当初の国民的番組と言われた時代から考えると、目を覆わんばかりの惨状といっても良いかもしれない。今のスタイルで続けるのはもう限界ではないだろうか。

原因の第一は、年齢層間の好みの差が大きくなり、その一部に狙いを定めると他の層にそっぽを向かれることだろう。特に若い女性は、その世代に会わせて迎合したイケメンドラマになれているので、若い女性の成長ドラマよりもイケメン集団が主人公のドラマの方を好むのだろう。一方、中年層以上は、ご当地シリーズになって以来の地元と制作者だけがハイになってはしゃいでいるような雰囲気が鼻についているのではないだろうか。

もう全年齢層から支持を得るのは無理と割り切って、基本的なあり方を見直すべきだろうと思う。

September 29, 2009

結婚のすすめ

昔、ある大学の学長が、「諸君、社会に出たら結婚したまえ。そして良い子供を育てたまえ。それが大人としての諸君の義務だ。」と卒業生に語ったそうだ。

これは単に結婚すべしという事ではなく、家族を持ち良い家庭を持つと言うことが人間性を完成させるためにも必要だという事を言いたかった様だが、今この言葉をもう一度大人の全員が噛みしめなければならない。

といいながらも私も結婚する気がない娘たちに手を焼いているのだが・・・・。

補足;
この訓辞の出典を調べようとしたが、Web検索では見つからなかった。どなたかご存じの方がおられたらコメントをください。

夫婦別姓

民主党は来年中にも夫婦別姓のための法改正をするという。

何が何でもの反対はしないが、家族崩壊が進んでいると言われる今、それをさらに後押しすることがないように祈る。

横審は相撲界の老害集団

また、横審の某委員が朝青龍の品格で騒いでいるようだ。そもそも品格のない連中が横綱の品格を云々するだけでも噴飯ものだが、最近は彼らの素人ぶりも酷くなっている様に思う。

その某委員を始め他のメンバーが力士の練習量、特に朝青龍を稽古不足非難しているが、それにもかかわらず朝青龍が優勝したことが不満に輪をかけているようだ。しかし、既に力士としては若いとは言えない朝青龍に単純に稽古の量=時間を求める事は的外れも甚だしい。

長年横綱を張り、一人横綱として大相撲を支えてきた彼の体には小さな傷が蓄積しているはずだ。その状態でむやみに稽古時間を増やせば、これは土俵に上がれないようなけがに直結する。つまり朝青龍のようなベテラン力士にとっては量よりも、どうやって少ない稽古量で体調と勝負勘を維持するかの方が重要なのだ。若い力士が技術を身につけ、体に覚えさせるための稽古とは違うのだ。

朝青龍以外の力士についても、全体に大型化した今、稽古のあり方を考え直すべきだと思う。理由はけが人の多さだ。特に、勢いを持って上位に上がってきた有望な若い力士が、大関や横綱を目前にしてけがのため勢いを失ってしまうことが多すぎる。これは大型化した力士に適合した稽古のやり方が考えられていないことが原因だろう。そしてまた、これが日本人横綱が出ない理由でもある。

猛稽古と勝負の厳しさで土俵の鬼と言われた初代若乃花や、彼と名勝負を繰り広げた栃錦の時代、力士の多くの体重は100kg前後だった。初代貴乃花などは90kg台だったと記憶する。それに較べて今、力士の平均体重は150kgに近づいている。つまり50%近くも体重が増えているのだ。一方、あるスポーツ医学者によれば、人間の骨格(関節の構造など)から推定すると、安全に動き回れる体重の限界は150kg前後だろうという。つまり現在の力士の体重はその限界まで来ているのだ。

このように体重が増加すると、激しい長時間の稽古で疲労すると不用意な転倒で捻挫や肉離れを起こしやすくなるのは当然だ。つまり、けが人が多いのには、力士の体重増という要因があるのだ。

これに対し、横審はけがが多いのは稽古が少ないからだと不満をならすだけだし、相撲協会も有効な対策を持ち合わせないようだ。だが、ここは稽古量を問題にするよりも、大型化した力士がけがをせずに強くなれるよう、トレーニング方法を改良すべきなのだ。スポーツ医学研究者も多い今、力士がけがをせずに稽古ができるような関節や筋肉の強化方法などを、彼らの力を借りて研究すべきだ。

さもなければ、けがによって勢いを失う有望な力士がますます増え、これが相撲人気の低下に拍車をかけるだろう。品格がない面々が力士の品格をあげつらう横審は最早必要がない。それよりもけがを防ぐ為のトレーニング方法の開発を行う専門委員会を立ち上げるべきだ。

付け加えると、相撲協会は力士を酷使しすぎているように思う。年六場所に加え、その間を埋める巡業ではけがを抱えた力士はけがを治療する時間がない。巡業で実戦経験を積むのは若い力士には必要だろう。しかしけがのある力士の参加を認めるかどうかを、医師(団)が決めるような制度も必要なのではないだろうか。若い力士ほど、時間をかければ完治する可能性も高い。将来有望な力士を下位のうちに失わないためにも、ドクターストップの制度はあるべきだと思う。

小泉氏から賜杯を手渡すことができるようにするためだけの理由で、横綱貴乃花の力士生命を絶ってしまったような愚を、相撲協会は繰り返すべきではない。(いつでも脳天気な小泉氏は、「感激した!」などと馬鹿なことを言っていたが。あれはまた、貴乃花のけがを気遣って、全力で相撲を取れなかった曙にも気の毒だった。)

物価下落、これもまた負の連鎖

8月の消費者物価が2.4%(対前年比)低下したという。これは統計を取り始めて以来過去最大だという。低下の要因の一つは、昨年急上昇した原油価格が元に戻ったことだと言うが、消費不振も大きいそうだ。

消費不振の対策として、大手各社は安価な輸入品を増やし販売増を狙っている。しかしこれは、中長期的に見ればますます消費を落ち込ませることにつながり、負の連鎖を引き起こすだろう。

なぜならば、安価な輸入品は販売価格の半分以上が海外に流出し、国内の勤労者に還流しないからだ。これは国内生産者の経営を圧迫し、結局は勤労者の収入減少を引き起こす。そしてこれはまた、購入意欲の低下、消費不振へとつながる。

つまり、安易に低価格品の輸入で販売増を狙えば、それは結局さらなる販売減につながるのだ。

だから、低価格品の輸入に狂奔する販売流通業者には、国内勤労者の収入増につなげることこそが根本的な販売対策になるという事を認識してもらいたい。そして現在の販売流通業のあり方を反省してもらいたい。

September 28, 2009

天下り

民営化した政府機関は天下りのし放題。民間大手企業でも、子会社のみならず取引先への押しつけ天下りはし放題だ。

中央官庁だけが問題にされるのは、公平性を欠くような気がするのだが・・・・。

負の連鎖

日本航空は完全に負の連鎖に入り込んでしまったようだ。不採算路線を切り捨てるだけではなく、従業員を減らすため、小さな航空機を使う為に収益効率が悪い路線も切り捨て始めているような気がする。一飛行で多くの旅客を運べる幹線に集中するとして、ローカル路線を次々に切り捨て始めているのは、恐らくそのためだろう。

経営者も今ではすっかり萎縮して、縮小によって経費を減らす以外の改善策は思いつかないのだろう。ここは経営陣を完全に入れ替えて、人事一新を図らねばなるまい。そうでもしなければ、パンアメリカンと同じく、日航も消滅することになるだろう。

September 26, 2009

男女平等(前提が間違ってはいないか?)

男女平等は当然のことだと考えるが、どのような状態が平等なのこと言うことについては疑問がある。

それは、男女平等運動を進める人たちの主張が、従来の女性の価値観を男の価値観よりも劣ると決めつけて、男の価値観で行動しない女性を蔑視しているのではないかと言うことだ。しかしながら、私は従来の女性の価値観を男の価値観より劣ると決めつけていいのだろうかという疑問を持っている。

たとえば、男女平等活動家が常に持ち出すのが高い社会的地位に女性が少ないことだが、社会的地位というのはそもそも男の価値観で、高い社会的地位を求めるのはそれが子孫を残すための女性を獲得する上で有利になるからだ。

本来、男の価値は外的から一族を守り、多くの食料を一族にもたらす能力で決まっていた。そのための体力と知恵が優れた男が、女性に安全な生活環境を提供できるので女性を獲得する上で有利だったのだ。それが人類の文明化によって、自分の利益のためにより多くの人間を動員できるもの、つまり社会的地位の高いものが有利だと言うことに変化していった。そして、男の価値観は誰が高い社会的地位を獲得するのかの基準として形成されていった。つまり、男の価値観とは本来、男の序列化の尺度なのだ。

これに対し、女性の価値観は男の序列化の尺度とは無縁の物だった。そのため、男にとっては意味がない物として、男の価値観の枠組みの外に置かれてきた。だから、女性の価値観は男の価値観とは別の体系によって構成されているのだ。女性がしばしば口にする「理屈抜きに(好き、あるいは嫌い)」という言葉が、女性が合理的に物事を考えないという事の引き合いに出される。しかし、「理屈」は男の価値観を体系化し、正当化するための物であるから、女性の価値観にとっては重要ではない。従って、「理屈抜き」に物を考える女性の思考法を劣った物とするのは、男の価値観が女性の価値観よりも優れているという前提の上で成り立つことなのだ。

こうした点から考えると、男女平等運動家が伝統的な女性の価値観を守る女性を「無知」で「遅れた」者と非難するのは、その根底に「男優位」の意識があるからと思える。その考えは、女性の価値観が男の価値観より劣ると見なさなければ出てこないからだ。しかし、男の価値観と女性の価値観を優劣比較することは可能なのだろうか。私には、女性の価値観が男の価値観より劣るという前提は誤りだと思う。またその事から、社会的栄達を目指さない女性を「愚か」で「遅れた」者と見なすことにも反対だ。

男女平等とは、男女がお互いの価値観を尊重しあい協力することだと思う。だから、女性の価値観を捨て男の価値観で生きるのも、伝統的な価値観で生きるのも、その女性本人の自由だ。無理に女性の伝統的価値観を捨てさせようとするのは、男の価値観を優位と信じて、それに従って生きる者が優れているという、間違った優越感から出たものとしか思えないのだ。

September 25, 2009

関空振興策(2)

関西空港の利用客が減少している要因の一つは、関西経済の地盤沈下だ。これを改善しない限り、関空の利用客増は観光客に頼らざるを得ない。

なぜならば、関西空港の建設のが始まったころから、大阪に本社があった大企業は次々に本社を東京に移し始めた。大手企業で大阪に本社を置いている企業はバブル前の一体何分の一だろうか?また、中核製造所も次々と地方や海外に移設されていった。

そもそも国際空港の利用客の基本はビジネス客であって、これが基本需要を形成している。しかし海外出張の多くは本社や中核製造所から行われる。つまり、大企業の本社が多いほど国際線の需要が多いのだ。バブル前の本社数に基づいて算出された需要が、本社数が減少した今、通用しなくなったのは当然だろう。関空の必要性を大声で唱えていた関西系の大企業がこぞって本社を東京に移転したのは皮肉な現象だ。

そこで、関空のビジネス利用を回復する為には、大手企業の本社を大阪に呼び戻す努力が必要だ。なぜ本社を東京に移したのかを調査して、大阪に本社を置くことによるメリットを作り出さねばならない。

現状では、関空発着便の減少と大阪経済の地盤沈下が両輪となって、縮小スプロールに入っているように見える。ここで利用客が多い伊丹を廃止すれば、この縮小スプロールをさらに加速するだろう。企業に対する優遇と、利便性の向上こそが関空の振興につながる。

そのためにはまず、大手企業本社の呼び戻し方法の研究が必要だ。

橋下はん、気張って勉強しなはれ!

September 24, 2009

トンデモ科学者の疑問(宇宙編7)-かみ合わない議論

宇宙には直径10億光年にもなる温度の低い領域があるという。低いと言っても、周囲に較べて絶対温度で100万分の70度程低いというだけのことなのだが、それが一体どのような理由によるのかが議論の対象になっているらしい。

ところがナショナルジオグラフィックWEBサイトの記事によると、低温領域は宇宙の温度分布を測定するのに用いた統計的はデーター処理法(球状メキシコ帽型ウェーブレットというそうだ)の特性によってある様に見えるだけで、異なるデーター処理法で調べたところでは実在しないという説が出されたという。

これに対し、低温領域の研究者からは、新説で使用されたデーター処理法は精度が悪い、低温領域を見つけるには球状メキシコ帽型ウエーブレットの方が優れているという反論が出されているそうだ。

一方は実在に疑問があるといい、他方は実在するという前提で反論している。どちらの陣営も一流の天文学者なのだろうが、これほどかみ合っていない議論も最近では珍しい。

September 23, 2009

脱官僚に必要な条件

小泉政権の時代から脱官僚のかけ声だけは勇ましい。しかし現実には脱官僚は容易ではない。特に省庁統合で巨大化し権限が肥大した今、統合前より難しくなっている。

なぜならば、官僚主導であったのにはそれなりの理由があったからだ。主要閣僚ポストを歴任後首相になるというスタイルで首相候補が育成されていた時代、各閣僚は次々とポストを変わるためその省庁の所管事項のエキスパートになる時間がなかった。この為、国会答弁だけでなく政策立案も官僚に頼らなければできなかった。つまり官僚主導ではなく官僚依存だったのだ。また、かつての自民党に高級官僚出身者が多かったのも、自民党にとって彼らの専門知識が必要だったからだ。

そして今、統合によって省庁が巨大化して所管範囲が広がったため、その全体にわたる専門知識を持つことはほぼ不可能になっている。その結果ますます官僚に依存せざるを得ない状況になっているの。まして専門知識がなく、官僚との人脈もない刺客議員や落下傘降下議員には手に負えるはずがない。

脱官僚を実現したければ、専門分野で担当官僚と渡り合える知識と理論武装が必要だ。それ無しで官僚を行政から疎外すれば、国家の運営が混乱するだけだろう。国会議員たちの経験や実務能力が著しく劣化している今、ムードだけで官僚を政策決定から疎外するようではこの国の将来が心配だ。脱官僚よりも、いかに官僚を利用するかの方が大切なのだから。

September 22, 2009

アフガン戦線異状有り

最近の報道によれば、米軍内部でこのままではアフガニスタンでは勝てないという報告が出されているそうだ。今の米軍やEU軍の戦い方では無理もないだろう。

というのは、敵対勢力の容疑者をその家族や周辺住民ごと殺すという、第二次大戦のナチスドイツさながらの残虐行為を行っているからだ。

第二次大戦中ナチスドイツは抵抗勢力に対して同じような行為を行っていた。レジスタンスのメンバーに好意的と判断した非戦闘員を見せしめに殺したり、家族を強制収容所に連行したりなどだ。これに対し占領地の住民は反感を募らせ、さらにサボタージュは激しくなった。

現在米軍やEU軍が行っていることはそれと同じことだ。一般住民まで虐殺することによって、米軍に対する反感はさらに激しくなり、抵抗勢力の勢いを強めているだけだ。米軍を増強しても、一般住民の殺戮をやめない限りサボタージュは続くだろう。そしてそれは親米アフガン政権の立場を悪くする。

また、私にとっては、このような残虐行為に日本が手を貸していることは耐え難いことだ。

昔、戦争をやめるのは始めるより難しいといった賢人がいた。その通り米国にとって、戦争の出口はまだ見えていない。

ベトナムでのケネディの失敗を繰り返さないことを願う。

友愛

鳩山氏がしきりに「友愛」と言うが、私には安倍氏の「美しい日本」と同じぐらい気持ちが悪い。その言葉を聞く度に、なにやら背筋がむずむずするのだ。

世の中にはこのような言葉に陶酔する人も多いのは事実だが、私にはこのような言葉を強調する人が独りよがりなナルシストにしかみえない。

フリーメイスンではあるまいし、このような言葉は一国の代表者が気軽に使うべきではない。むしろ軽薄で底の浅い人物に見えるからだ。

曼珠沙華の不思議

曼珠沙華とも言われる「ヒガンバナ」にはいつも不思議に思うことがある。

それは、秋の彼岸になると各地で一斉に満開になることだ。南でも北でも、低地でも山間の棚田でも、ほとんど時期のずれがない。どのようなメカニズムでこのように見事に開花が揃うのだろうか?

Image001
画像は、我が家のベランダの「ヒガンバナ」と「シロバナマンジュシャゲ」。

日本の「ヒガンバナ」は三倍体で種ができないという。それにしてはしばしば思いがけないところで咲いている。昨日も、阪急岡本駅の石垣の狭い隙間から花を咲かせているのを見つけた。球根を植え付けることもできないような狭い隙間にどうやって根付いたのだろうか。

追記(2009/09/28);
「ヒガンバナ」は古い時代に中国から持ち込まれたという。しかし、中国のものは2倍体であるのに、日本のものは3倍体だそうだ。日本に持ち込まれた物がたまたま3倍体だったのか、日本で生まれた3倍体が2倍体を駆逐してしまったのか、専門家の意見を聞いてみたい。いずれにしても、日本中の人里周辺で見られるのは、それぞれ元は人が植えた物に違いない。

「ヒガンバナ」は放っておいてもどんどん増えるし、球根には良質のデンプンがあるので、凶作時の非常食用として利用されたらしい。やや湿った場所を好むので、日当たりの良い水田の周辺は「ヒガンバナ」にとっては絶好の場所。稲作とともに伝わったのかもしれない。ただし毒があるので、毒抜きをしなければならない。食通ぶってむやみに食べないように。

また、「シロバナマンジュシャゲ」は「ヒガンバナ」の白花ではなく、「ヒガンバナ」と「ショウキズイセン」という別種との雑種が起源だとのこと。九州原産だとのことなので、各地のものはやはり人が植えたのだろう。

September 20, 2009

劇場型政治家と左翼過激派幹部との共通性

昨今はやりの劇場型政治家を見ていると、かつて学生運動が盛んだった時代の末期の過激派幹部たちとよく似ているなと思う。

過激派幹部たちは、注目を集めるため派手なスローガンや行動方針をぶち上げアジる。そうすると、お追従グループが登場して穏健派を非難し押さえ込む。そうすると何も考えのない者たちがそれに同調して反対派を執拗に攻撃して排除する。それがあの時代の過激派内部で行われていたことだ。

現在は、過激派幹部が劇場型政治家であり、お追従グループがマスメディアで、何も考えない者たちが空気を読める大衆である。それだけのことだ。

September 19, 2009

秋へまた一歩(2009/09/19)

良く晴れて気持ちがよいので近くの王子公園に散歩に出かけた。陸上競技場ではどこかの中学校が運動会をしていて賑やかな声が響いていた。

Image004そんな様子を眺めながら歩いていると、突然目の前に落ちてきた物がある。足を止めて下を見ると椎の実が幾つも散らばっていた。今年初めて見る椎の実なので思わず拾い上げて、しげしげと眺めてしまった。それがこの写真。

さらに歩きながら注意していると、庭漆(にわうるし)、青桐(あおぎり)、唐楓(とうかえで)など、いろいろな木の実が地面に散らばっているのが目に付いた。

秋へとまた一歩進んだ感じだ。

関空振興策

橋下知事は、関空振興のために大阪空港(伊丹)の廃止や利便性を減らすことにばかり頭が行くようだが、それは大阪経済の地盤沈下を促進する副作用が大きいので好ましくない。また、国の負担で関空と大阪北間にリニア-モーターカー路線を敷くとの案も発表している。これは恐らく、上海のリニア-モーターカーを見ての発想だろうが、莫大な建設費用がかかり関空を取り巻く全体の採算をますます悪くするだろう。

それ以前にあまり費用をかけずにできる振興策は幾つもある。

まずその一は、貨物便利用の促進だ。成田の航空貨物は飽和状態になっているが、現状敷地拡大が不可能なため有効な対策がない。拡大余地がある羽田に国際便を戻そうという動きの背景には、この問題もあると考えている。これに対し、関空には対岸を含めて利用可能な土地がたくさんある。24時間発着可能という特性と、この土地の余裕を利用すれば貨物便利用の拡大は可能だ。

そのためにはまず空港橋を無料にし、通行する輸送車両の経費を下げる。次いで搬入と搬出、そして通関や乙仲の作業を24時間行えるようにし、処理待ち時間を短縮する。そのための敷地が必要であれば、対岸にいくらでも空き地がある。

そしてその二は、24時間アクセス可能にすることだ。現在航空機の発着は24時間可能だが、深夜から早朝にかけては公共交通機関によるアクセスができない。これでは深夜時間帯の発着が嫌われ、利用が伸びないのは当然だ。これを改善するには、空港周辺の主要都市中心部への公共交通機関によるアクセスが確保されていなければならない。

例を二つあげたが、これらは比較的少ない費用で実行可能だ。貨物の通関作業を24時間可能にするのは、旅客に対しては既にできているのだから不可能ではないはずだ。また、交通機関についても補助金を上手に支出釣れば維持可能だろう。

関空の振興は大がかりなことからではなく、少ない費用(と粘り強い折衝)で実施可能なことから手をつけてゆくべきだ。

謝罪会見は総括と同じ

「総括」とは学生運動華やかなりし時代に、過激派の中で行われたつるし上げ集会のことだ。

当時の過激派の内部で、「指導部に反抗的である」、「熱意にかける」、「外部に内部情報を漏らした」などとの嫌疑をかけられたメンバーを集会に呼び出し、壇上にさらし物にしてよってたかって非難を浴びせ、自己批判を要求する。言ってみれば一種の「集団いじめ」なのだが、参加者の中には「組織に対する忠誠を示す機会」、「運動に対する熱意を示す機会」と考える者、積極的に糾弾することで自分が「総括」にかけられることを避けようとする者、さらには単にそのような行為に快感を覚える者などがいて、総括にかけられた者にとっては悲惨な状態になり、中には自殺する者もいた。

最近の芸能関係者の不祥事に関連して行われた「謝罪会見」を見て、これはかつての「総括」と大差がないと思うようになった。記者たちがよってたかって当事者をつるし上げ、当事者たちが必死に謝罪の弁を述べる。これは「総括」での光景を思い出させる。

「他人の不幸は蜜の味」という言葉があるが、これは国民の多くがその蜜の味に麻薬のように中毒しているからではないだろうか。集団によるいじめの傾向が強まる中で少々気になる現象だ。私は「自宅謹慎」で十分だと思うのだが。

September 18, 2009

アメリカの大義は神の意志

米国人がアメリカ流を振りかざして世界に押しつけるのは、どうやら米国の建国の精神に由来する物のようだ。

ナショナルジオグラフィックの記事によると、1ドル札の裏面に描かれている「プロビデンスの目(ピラミッドの上に付いた目)」は「アメリカの大義が神の意志である」ことを表しているのだそうだ。熱心なキリスト教徒が多い(プロテスタント的原理主義者も多い)米国では、神の意志は絶対の正義であり、それに従うことはキリスト教徒としての義務であることになる。そして世界に神の意志をひろめることも。

どうやらこれが米国流を世界に押しつける理論的根拠になっているようだ。米国人にとってはそれが空気のように自然なことであり、異なる考え方を尊重するのは神の意志に反する誤ったことに感じられるのだろう。


追記(2009/09/18);「プロビデンスの目(Eye of providence)」はフリーメイソンの多数の紋章のうちのひとつとしても有名だそうだ。
             参考:providence=神の意志、摂理, Providence=神

早速の閣内不協和音

早くも始まった閣僚間の不協和音。権限を巡るさや当ても。

個人的な意見や願望を口走る前に、閣内での根回しをきちんとしないからこうなる。自民党の政権が崩壊した主原因も、言ってみればこれだ。民主党が同じ轍を踏まないように望む。

September 15, 2009

国旗を外国に売るのか?

JALの身売りに誰も反対しないのは不思議な話だ。国旗を背負って飛んでいるフラッグキャリヤーの、外国への身売りに右翼のだれも反対しない。所詮は兵隊ごっこだけか。

根性があるなら、政府や日航、そして身売りを推進しようとしている銀行や証券会社に街宣をかけてみろ。そうすれば多少は認めてやろう。

民主党が処遇に困る、社民党福島党首

社民党福島党首の新内閣での処遇がなかなか決まらない。

本人は連立与党の党首として主要閣僚が望みだろうが、これまでの国会質疑のボケ質問ぶりから見て安心して任せられない。厳しい質問に会えば答弁で馬脚を現し、責任追及の憂き目にあうのは目に見えている。任命責任を追及されないため、あまり答弁を求められないポストを与えたい民主党側と、連立与党党首の体面にふさわしい主要閣僚をと要求する社民党の粘り比べは、さてどう落ち着くのだろうか。

まあ、福島氏では小沢氏が侮辱発言をしても、村山氏のように決裂することはないだろうが。

September 14, 2009

これ以上関空に金をつぎ込むな

橋下氏がまた伊丹廃止の主張を再開したそうだ。

伊丹を廃止して代わりに関空までのリニアモーター鉄道を引くという。それによって関空の利便性を高めるとの主張だが、これは伊丹の利便性を本質的に理解できていないことを暴露している。今や大阪経済の中心である梅田周辺からは、比較的安くタクシーで伊丹に行ける。タクシーであれば出発時間の制約もない。

これに対して鉄道では時間が限られる。利用者は環状線並みの運転感覚でなければ満足しないだろうし、料金も安さを求めるだろう。大阪北からリニアモーターカー鉄道を敷設するのに一体いくらかかるのか?1兆には届かないにしても1千億単位の費用が必要になるだろう。そんな鉄道が一体いくらの運賃で経営が成り立つのか?

これは建設準備が進んでいるダムの建設を、ここまでに使った費用が無駄になるから中止できないという国交省の主張と同じではないのか?関空の振興が難しいのであれば、ダムと同じく関空を放棄する選択肢もあり得る。いずれにしてもこれ以上関空に資金をつぎ込むべきではない。国家資金をを期待しているのであればなおさらだ。

どうせ赤字事業に金をつぎ込むのであれば、東南海大地震に備えて北陸新幹線の建設を急ぐ方が、国家の安全保障の意味合いでもずっと良い。


追記(2009/09/15);
以前にも書いたことだが、関空振興策として旅客増を目的として伊丹廃止にこだわるのは愚かだ。24時間空港の特性を生かして貨物輸送の分野で利用を拡大する手段がいくらでもある。

対岸に乙仲の作業と通関ができる保税エリアを作り、ここで通関作業後一時保管して便に会わせて空港内の貨物便発着エリアに運ぶ。その為の運搬車は橋の通行料を免除する。さらに、空港の運用に会わせて、通関作業を24時間可能にすることも有効なはずだ。

そもそも、旅客拡大に関しても24時間空港としての利便性が全く生かされていない。深夜に到着しても周辺都市までの公共交通機関が運行されていないからだ。これではどの航空会社も旅客便の深夜発着は望まないだろう。せめて、周辺主要都市までの鉄道とバスは24時間運行すべきだ。

上記は例の一部だが、巨額の資金をつぎ込まなくても利用増に寄与できる策はいくらでもあるだろう。税金による、大規模公共工事を欲しがっているだけのような提案は感心しない。国全体で見れば、関空振興よりも優先度の高い事業はいくらでもあるのだから。

電球の進歩で残念なこと

蛍光灯型、LED型と電球は新型が次々に登場してきた。それによってエネルギー消費が減るので良いことだが、残念なことがひとつある。

それは落ち着いた雰囲気を出す為など、デザイン的に凝った照明器具に用いられてきたクリア電球の後継品が、これらの技術では作れそうもないことだ。蛍光灯型は原理上、面で発光するものだし、LEDも現状では幾つかを束にして使うことで必要な明るさを出している。どちらも、細い線状に発光させることは現在の技術では難しそうだ。

省エネにはなるのだが、どちらも光り方に味わいがない。どこかに、フィラメント型に発光するLEDに挑戦する天才技術者はいませんか?

愛国心のない方々

政治家も、官僚も、資本家や大企業経営者の方々も、皆さん愛国心がない方々だ。金儲けの前には、愛国心はあっさりと捨て去ってしまう。

フラグシップ企業(フラッグキャリアー)や、自然その他の資産も平気で外国に売り渡す。自分たちに金が入りさえすればい良いという、無神経で愛国心がない方々の手で、日本が切り売りされて貴重な資産が外国資本の手に渡ってゆく。

September 13, 2009

民主党の閣僚人事;影の内閣は何だったのだろうか?

鳩山内閣の閣僚人事が進められているようだ。

しかしその顔ぶれは、以前に宣伝されていた影の内閣の顔ぶれとは全く関係がないようだ。影の内閣は、野党がいつでも与党に取って代われるだけの人材があることを誇示するためのものだ。しかしその顔ぶれが、実際の内閣に反映されないと言うことはあれは何だったのかと言うことになる。

恐らく、実際に政権を取れるとは考えていなかったのだろうが、今後の政権運営がそんないい加減で泥縄式なものにならないことを望む。

September 10, 2009

自民党への忠告

惨敗を喫した自民党だが、相も変わらずの内輪もめ。

若手・中堅が年長者を排除しようとし、年長者はそれに反発する。レベルが低い内輪もめだ。

惨敗の原因は、各自が自分がメディアに受けることだけを考えて勝手な行動をしたからだ。党の再生のためになすべきことは、若手から年長者まで真摯な話し合いを行い一致団結することだ。外部に対する勝手な発言は控え、意見が異なれば当事者同士で対話し、信頼関係を作り上げるべきなのだ。これは密室政治とは別の次元の問題だ。信頼関係がなければ協力もなく、党の一致した方針など作りようもない。

話し合いを公開で行う必要はない。事後に、テーマとどのような妥協点を見いだしたのかを、誠実に公表すれば十分だ。

空気を読んで付和雷同するのではなく、信頼関係に基づいた誠実な話し合いで妥協点を探る。それができない限り、国民から信頼されることもないだろう。

同じことは民主党にも言える。

September 09, 2009

税金という資金還流システム

21世紀に入って、日本では税金という資金還流システムがうまく機能していないように思う。

そもそも税金とは、国家が国民のための事業を行う原資であり、富む者から貧しい者へ資金を還流させる為のシステムである。これがうまく機能している国家(政権)は国民の支持を得て長続きし、うまく機能していない国家(政権)は短命に終わる。

たとえば、国家は様々な事業をを行い、それに従事する者に報酬を支払うことで庶民の生活を支援する。古代エジプトの巨大なピラミッドや神殿の建設は、単に王権を誇示するだけではなく、ナイル川が増水して農作業ができない農民に、仕事を与え報酬を支払うための公共事業の性格も持っていたと今は考えられている。であればこそ、農民もこれらの建設を支持した。それがエジプトの古代王朝をあれほど長く存続させた理由だろう。極言すれば、王権が衰退したから大規模事業が行われなくなったのではなく、大規模事業が行われなくなったので国民の支持を失い、その結果として王権が衰えたのかもしれない。

また、国家は同じく国民に対する様々なサービス事業を行い、これも庶民に仕事を与える手段になる。たとえば郵便事業は、貴族や裕福な商人など使用人を使える者以外は手紙を自由に送れなかった時代に、庶民が安い費用で簡単に手紙のやりとりができるようにするため国家が行うサービスとして英国で始められた。そしてこれはまた、そのサービスを行うため多くの人を雇用し収入を与えることにもなった。それを単なる収益事業とみなして民営化した小泉改革は勘違いも甚だしいといえるのだ。

国家が行う事業には、このほかにもそもそも収益を上げることが目的ではない、あるいは収益を考えるべきではない物が多数ある。道路、港湾など、国民生活に必要な施設の建設は古来税金を原資として行われ、それがもたらす経済発展によって庶民に仕事と報酬をもたらし、その結果として税収が増えることによって資金を回収すべきものと考えられてきた。個別事業の採算によって判断するというのは根本から間違っているのだ。

もちろん事業を行う上での非効率は修正しなければならない。しかし国家が行う事業は採算を考えるべきではない物も多数あるのだ。その事を忘れてはいけない。

September 08, 2009

博物館(美術館)の経営努力

日本はダメだと言いたくはないのだが、日本の博物館や美術館の経営努力は全く不足しているように思う。

何度か外国の博物館や美術館を訪れて驚いたのは、展示品や展示方法の見事さの他に、ミュージアムショップの充実ぶりだ。ニューヨークのメトロポリタン博物館や近代美術館、自然史博物館などどれもミュージアムショップを見て歩くだけで何時間もつぶせるほどだ。展示品のフィギュアやレプリカ、それをモチーフとした様々な商品、そして展示分野を対象とした写真集や一般向け解説書、さらには子供向けの絵本や玩具まであり、これを見て回るだけでも楽しい。(自然史博物館にはなぜか日本の野鳥の図鑑(もちろん英語版)まであった。当時一緒に仕事をしていた米国人が、日本に来ると見かけた鳥についてしきりに質問するので早速買い込んだ。)

さらには一度買い物をしたら、その後5年ほどの間、毎年立派な商品カタログが送られてきた。世界的に有名な博物館(美術館)とは言え、その商売熱心さには驚いた。もちろんインターネットでの啓蒙や広報の活動、通信販売も行っている。

欧米の博物館の多くは、それらへの寄贈により相続税が減免される、あるいは収集家が死後コレクションが散逸することを嫌って寄贈するなど、制度や風習の違いによって、日本でよりも展示品の収拾が楽だという点もあるかもしれない。また、このような施設への寄付も税の減免の対象になる。しかし、それにもまして博物館(美術館)自身が少しでも多くの収入を上げる努力をしていることは間違いがない。

これに対して、日本の博物館(美術館)の多くは収益を上げるという事への努力が感じられない。ミュージアムショップを覗いても、通り一遍のお土産物しかないのがほとんどだ。これではショップの売り上げを博物館経営の助けとするにはほど遠いだろう。広報活動にしても、所蔵品をもっと活用すべきだ。所蔵品をモチーフにしたパソコンの壁紙など、見て楽しい広報に使える材料はたくさんあるだろうに。

秋の音(2009/09/08)

風立ちて秋来る、というわけではないが涼しい北風の吹く日が多いこの頃だ。

蝉の声が減った代わりに秋の虫が鳴き始めた。今のところはまだ、終日鳴いているカネタタキと、夜に鳴き出すアオマツムシぐらいだが、あと半月もすればコオロギの仲間も鳴き出して賑やかになるだろう。

それはそれとして、外来昆虫であるアオマツムシは一時と較べると数を減らしたようだ。他の虫との折り合いをつけ始めたのかもしれない。外来生物は一時的に大発生した後、数を減らして落ち着くことが多い。あれほど騒がれたセイタカアワダチソウも、工事の跡地以外ではあまり見かけなくなった。

September 06, 2009

名残の蝉(2009/09/06)

9月に入ってさすがに蝉の声も少なくなってきた。今はツクツクボウシが目立つ。ただ、今年は山から下りてくるミンミンゼミが多いようで、時折声が聞こえてくる。

さらにそれに混じって、まだクマゼミも何匹かいるようだ。ただし、数が少ないので8月始めのようにうるさくはない。また鳴き方もアップテンポでせわしない。過ぎた夏に追いつこうとしているのか。

September 02, 2009

携帯プレーヤー用イヤホン

携帯電話のプレーヤー機能を利用しようとして、ステレオイヤホンを購入したのだが見事に失敗だった。

理由は今まで使ったことがなかったカナルタイプ(耳の穴に先端を差し込んで使うタイプ)を、歩行中にゆるみにくいかと思って選んだのだが、足音が体を伝って耳に届きうるさいのだ。この為、音量をかなり上げなければ音楽鑑賞にならない。大音量で音楽を聴く若者ならこれでも良いのかもしれないが(難聴になるので本当は良くないのだが)、年寄りには耐えかねる。

結局以前から慣れているインナーイヤータイプ(小さい丸いパッド状)を改めて買うことになった。よく考えたつもりでも失敗はするものだと、改めて確認した次第だ。

産経新聞社の不適切発言取り消し(不偏不党という欺瞞と幻想)

産経新聞社社会部の記者が、自社が開いているTwitterに民主党への敵愾心をあらわにした書き込みをしたらしい。読者から非難を受けて、産経新聞社は慌ててこれを取り消し、我が社は不偏不党であると謝罪したそうだ。しかし産経新聞社に限らず、マスメディアが不偏不党というのは明らかな嘘だ。

たとえば朝日新聞社は天声人語で、「今まで自民党に厳しくしてきたが、民主党が政権についたからには民主党に厳しくする」と書いた。これは、「朝日新聞社は与党に厳しい新聞社である」という宣言であり、いたずらに不偏不党を称するよりも潔い。

これに対して、産経新聞は安倍政権の戦前回帰を熱心に支持し、今回の選挙では明らかな反民主党キャンペーンを行っていた。それにもかかわらず不偏不党を称するのは明らかな欺瞞行為である。他の新聞社についても多かれ少なかれ偏りがあるのは明らかだ。

マスメディアが不偏不党である必要はない。むしろ自分の立場、どの派の主張、どの政党を支持しているのかを明瞭にすべきだ。

書籍;歴史は「べき乗則」で動く

世界では自然災害や戦争、株の暴落などの事件が起きている。本書はそれがなぜ想定外に起き予測できないのか、発生の周期性はあるのかなどを「複雑系の数学」を用いて平易に説明している。本来は数学の入門書だが、ここ数年の政治経済情勢を理解する上での重要な示唆が含まれているので、政治家、経営者、政治・経済の評論家やアナリストたちにも是非読んでもらいたい。

タイトルは何のことかと思うが、内容は歴史的な様々な大事件、たとえば恐竜の絶滅、世界大戦や大恐慌、大地震などが特異な原因無しに起こりうること、そして固有の周期がないことなどを例をあげて説明している。そして、その結果、次にどのようなことが起きるのかについて実用性がある予測や予防策を講ずるのは困難であり、予防のためにとった手段がかえって事態を悪化させる場合もあると述べている。また、専門家の予測は当たらないことが多く、なぜ外れるのかの説明もおこなっている。

本書では、事例の原因や具体的な防止策などには全く触れていない。本書の重要なメッセージは、恐竜の絶滅や世界大戦などの重大な事件や変化は特別の原因がなくても起こりうること、そして次にいつどのような規模の事件や変化が起きるかは予測不能であること、そして最善の対策と思って行ったことが事態をさらに悪化させることもあり得るという事だ。

特に政治家やマスメディア関係者には、政治的な大事件は特定の人物だけが原因ではなく、その背後で時代の空気とでも言う物が原動力になっていること、そしてたまたまその時代に居合わせそれを上手く利用した物がその結果により、英雄にされたり元凶にされたりするのだという主張は深く心にとめてほしい。

特に今、日本人を含めて空気を読んでそれに同調するという傾向が強くなっている。これは著者の言う臨界状態にきわめて接近していることを意味しているのかもしれない。このような心理はいつでも全体主義や国粋主義に変化しうるものだ。群集心理は常に微妙な釣り合いの上にあり、いつでも暴走する可能性がある。これは特に政治家とマスメディア関係者には重要だ。あなたの一言が世界大戦を招くかもしれない。たとえそれが政治に関することではなくてもだ。

よかれと思って何かをする際にも、その行為の悪い影響(これは必ずある)についてもじっくり考慮し、悪い影響が現れた場合の心構えを持って実行すべきだ。これは国家の指導者だけではなく、一人一人の庶民についても言える。砂の一粒の動きが砂山全体の大崩壊を招くこともあるのだから。

書名;歴史は「べき乗則で動く」 種の絶滅から戦争までを読み解く複雑系科学
      ハヤカワ文庫NF  <数理を楽しむ>シリーズ 早川書房6525 
      著者、マーク・ブキャナン 水谷淳訳

追記;阪神大震災に触れたくだりでは、震源に関しておやと思う記述がある。しかし、欧米人にとっては日本列島は太平上の島国で、瀬戸内海も太平洋の一部という事なのだろう。
      ISBN978-4-15-050358-1 C0140

追記2(2009/10/04);
社会現象については、市場の暴落や流行に関する考え方(P221~)、伝染病の世界的大流行を阻止できない理由(P245~)など参考にすべき記述がある。

September 01, 2009

不可解な大騒ぎ(自民党の下野は初めてではない)

日本で自民党以外が政権を担当するのは別に今回が初めてではない。最近でも細川政権などの時代もあった。もっともそれを終わらせたのは小沢氏だが。にもかかわらず、国外ではまるで日本で革命が起きたような大騒ぎ。広場に群衆が集まって喜びあわないことが不思議らしい。

一体これは何なのだろう。国外から見ると、自民党の国際的地位がそれほど高いという事だろうか。日本人が大喜びしないことが不思議だという外国人の感覚はよく分からない。

日本人にとっては前回の参院選と同じく、自民党にお灸を据えるという意味合いが強いうえ、民主党の政権運営も未知数で素直に喜べないと言うことなのだが、このあたりの感覚は外国人にはわかりにくいのかもしれない。

それからもう一つ、選挙で勝利した側の支持者が集まって大騒ぎするのは、日本人から見れば政治的後進性以外の何者でもないという事もある。

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