パソコンに未来はあるのか?
今や現役世代はパソコンを使えなければ生きる資格がないとでも言うような風潮である。しかし今のパソコンに商品としての未来はあるのだろうか。今のパソコンのあり方に対する疑問が日々にふくらんでくる。
今のパソコンは、一般消費者向けの商品としては大きな問題をいくつも抱えている。そしてそれは、システムとしてのパソコンの基本設計に由来している。
そもそもパソコン、特にPC-AT互換機と呼ばれる今の主流であるタイプは、有る程度の専門知識を持つ者が運用するという前提でシステムが設計されている。その結果、パソコンは使用者自身が日常的なメインテナンス(保守作業)を行う必要があるシステムになっている。それを有る程度回避するため、ウインドウズではウィザードと呼ぶ自動処理を組み込んでいるが、これがまた種々のトラブルの元になっている。さらに、知識のない使用者を支援するために、外部からパソコンを操作する仕組みを多数組み込んでおり、これがセキュリティ(安全性)が基本的には保てない原因になっている。
また、有る程度の知識を持つ者が日常的なメインテナンスを行うという前提から、一般消費者向け商品として不可欠な法定耐用年数や安全基準が定められていない。また、プログラムの欠陥の修正作業は使用者自身の責任で行わなければならないような仕組みになっていて、プログラムの欠陥によって使用者に損害が生じてもメーカーは責任をとらなくても良いことになっている。これは一般消費者用の商品としては重大な欠陥であり、現在のパソコンはハードウエア(形のある部分)もソフトウエア(形のない部分)もともに、本質的に欠陥商品であるといわざるを得ない。
従って、今後パソコンが一般耐久消費財として使われ続けるためには、パソコンというシステムのあり方を根本的に考え直すべきであり、今のようにトラブルの責任を一方的に使用者に押しつける姿を続けてはいけない。
また今のパソコンは、マニアが遊ぶゲーム(ハイスペックゲームと呼ばれる)用途を除いては、既に性能過剰になっている。特に、情報端末として使用する分には5年前のパソコンでも十分すぎる性能がある。一般消費者用パソコンとしては、高性能化よりもセキュリティを含めた高信頼性を目指すべきだろう。それには、基本的にセキュリティが保てない仕組みになっているPC-ATとウインドウズの組み合わせから脱却する必要があるのだが。
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