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January 2009

January 31, 2009

小泉改革の正体

改革と称して無責任なことをやり散らかした小泉氏だが、あれほどこだわった郵政改革の正体が露呈し始めたようだ。

それは郵便事業が持つ膨大な資産を切り売りして、ハゲタカやハイエナを肥え太らせるというものだ。これまでにも非常識な安値で売却された資産があることが明らかになってきた。濡れ手に粟の利益を上げた業者や買い取りに名乗りを上げている業者と小泉氏の闇の繋がりを調べる必要がありそうだ。

January 30, 2009

人員整理(人減らしの昔と今)

かつて、人員整理は経営悪化時の最後の手段で、経営者にとっては屈辱的なことだった。今は、経営悪化時の最初の手段として行わないと、銀行や物言う株主から無能な経営者として非難を浴びるようになった。

自分たちの短期的な利益しか頭になく、社会全体の利益には目もくれない、金融機関や投資機関から送り込まれた経営者たち。これら社会的に有害な経営者は会社経営から排除されるべきだろう。金融機関や投資機関が経営に口出しすることに制限を加える方が、社会的最大利益の点からは良い・

January 25, 2009

医療の進歩が、医療費と介護費を増加させる

別に医療の進歩を非難するわけではない。医療が進歩すれば健康な人が増え、医療費や介護費用が少なくて済むというのは幻想または錯覚にすぎないと言うことを言いたいのだ。

かつて人生50年の時代、事故や犯罪などによる不慮の死を除けば人々の多くは感染症や伝染病で死んでいた。このような病気では長患いは少なく、数日から数ヶ月で死亡していた。近代になって化学療法が発達して、感染症や伝染病では死ぬ人が少なくなり、長生きする人が増えるにつれ癌や循環系の病気で死ぬ人の割合が増加した。

今日ではさらに医療が進歩して、癌や循環系の病気で死ぬ人の割合が減り始めている。そうしてさらに長生きする人が増えると、今度は体内で分解して排泄できない物質が蓄積して発症する病気が多発するようになってきた。分解して排泄できない物質とは、たとえば立体構造に異常を起こしたタンパク(代表的な物はBSEのプリオンやアルツハイマー病の原因となるタンパク質)などで、立体構造が異なるため正常な酵素では分解すべき時期になっても分解できないような物である。こうしてたまった物質(老廃物)が脳やその他の臓器・器官の機能を妨害して病気が発症する。このような物は長生きすれば必然的に蓄積する物で、昔はこれらによって病気が発症する前に他の病気で死んでいたため気づかれずにいたのだ。

そしてこのような病気は、年齢が進むにつれ不可逆的に徐々に進行するので死に至るまでは長い時間がかかる。結果として長期の療養と介護のための費用は増大してゆく。将来これらの病気が治療できる(症状を解消できる)様になればさらに長生きする人が増加し、今度は細胞自身の老化による活性低下が原因となるような病気が増加するだろう。

かつては老衰(病気以外の老化による衰弱死)で片づけられていた死の多くが、医療の進歩によってアルツハイマー病などの難病と診断されるようになり、今では老衰という脂肪診断はほとんど用いられなくなった。結局のところ不慮の死を除けば、人はすべて何らかの病気で死ぬのだ。今は単なる老化で病気ではないとされているものもやがては病気とされるようになり、いくら医療が進歩しても病気は減らない。そして、長寿や難病によって体が不自由になる人が増え、その状態が長く続くので医療費や介護費は増加し続けるだろう。

医療の進歩とは本来そういう性質のものなのだ。だから、医療の進歩によって医療費や介護費が減らせるというのは幻想または錯覚にすぎない。

January 24, 2009

今の国会は税金の無駄使いだ

何ともしまりのないことをだらだらとやっているこの国会。スピードと費用の効率よい支出が要求される今、一体何をやっているのか。与野党とも状況が全くわかっていない。

国会を一日開くだけでも多額の税金が必要だ。だらだらと無駄に日を過ごせば、それは税金の無駄遣い以外の何物でもない。国会開催にかかる費用は経費節減の対象外とでも思っているのか。それで省庁の無駄遣いなど批判ができるのか。全く国会議員の特権意識は鼻持ちがならない。

にもかかわらず、委員会審議で法案の討論をせずに国語の試験をするなど全く何を考えているのか。国会はそんな事をするためにあるのではない。質問者は国会議員としての資質が全くないとしか言いようがない。そしてそれを承認した民主党もだ。国民に対して(麻生氏に対してではない)謝罪して貰いたいものだ。

今後は、与野党とも反省して税金の垂れ流しではない国会運営をして貰いたい。それが責任をとれる政党というものだ。

なんたって朝青龍

横審のおばあさまがなんと言おうと、誰がなんと言おうと、朝青龍がいなければ閑古鳥が鳴く大相撲。朝青龍不在で、地味な白鵬だけでは大相撲は経営が成り立たない。

プロレスと同じで善玉役だけで悪役不在では面白くない。北の海も強すぎ、かつふてぶてしい態度で悪役になった時期もあった。嫁の箸の上げ下ろしまで小言を言う姑のように、軽口にまでいちいち文句をつけるのは見苦しい。強いことが売りの力士のこと、「殺す」と言われても「殺しに来たら俺がそいつを殺してやるよ」ぐらいの軽口はむしろ好ましい。

相撲協会はもっと朝青龍に対する態度を工夫すべきだ。かつてのようなヒーローがいない今、アンチヒーローを上手に利用しなければいけない。朝青龍に引退されて一番困るのは相撲協会自身なのだから。


朝青龍が好きなわけではないが、朝青龍のいない土俵は気の抜けたビールのようなものだ。


追記;
朝青龍の優勝は見事だった。鵜の目鷹の目で朝青龍のあら探しをしている横審は、両手を挙げて歓呼に応える姿が「ガッツポーズ」で横綱としての品格がないとしている。メディアも「ガッツポーズ」と報道しているが、私の感覚ではあれは声援に感謝の意を表すために出た自然なポーズだ。そもそも「ガッツポーズ」とは勝負が付いた直後に残った気迫をはき出すためのもので、気持ちが静まってから声援に応えるものを「ガッツポーズ」とは言わない。

感覚に問題があるのは横審の方だ。

January 20, 2009

「プロダクトアウトとマーケットイン」あるいは「シーズ先行とニーズ先行」

どちらも年配の商品開発経験者にはおなじみの言葉だろう。どちらも同じような意味で、商品開発時の姿勢の重要なポイントとして、既存技術や技術的可能性を重視して商品開発を行うか、市場に潜在する需要を重視して商品開発を行うのかという事で、それぞれ昭和50年代中頃と平成の初め頃に経済評論家たちによって叫ばれ、経済関係メディアによって麗々しく喧伝された。

実際には両者のバランス(注2)が重要なのであるが、その時代には「マーケットイン」や「ニーズ先行」が重要で、「プロダクトアウト」や「シーズ先行」はダメだと強調された。社長や上役から「マーケットインでなければいかんよ、キミ」などといわれた記憶のある人も多いだろう。

しかし、最近の様子を見ると様々な分野で「プロダクトアウト」型が目立つような気がする。

たとえば、情報電子機器はその良い例だ。ユーザーにとってどんな価値があるのかは考慮されず、技術的にはこんな事ができるからという理由で新しい機能が次々に追加されて行っている。これは、ユーザーのとっての価値よりも新機能を口実にして高く売りたいからと言う典型的な「プロダクトアウト」型の商品開発だ。その結果、消費者は使いもしない機能を高く買わされる結果になっている。携帯電話もパソコンもその典型だ。

また、関西空港や中部空港の振興策も「プロダクトアウト」型の代表例だ。多額の費用を使って作ってしまったので何とか使わせたい。使わせないと事業推進者の体面がたたないというわけだが、その方策とし持ち出されるのは古い空港をつぶして強制的に新空港を使わせようという物で、利便性を高めることで利用者を増やそうという「マーケットイン」的発想は全くといって良いほど見られない。新空港の振興のためにその地域の利便性を悪くしようと言うのでは、その地域の経済的衰退を招きさらに悪い状況に陥る。利用者である航空会社や乗客の利便性を無視した振興策などあり得るはずがない。

特に「プロダクトアウト(あるいはシーズ先行)」型が目立つ例を二つあげたが、政治状況などを含めて社会全般にこの姿勢が氾濫しているように思う。

注;「」内はいずれも酷い和製英語。英語としては通用しないので留意のこと。
注2;シーズ(技術)があってもニーズ(需要)がなければ商品開発のターゲットが定められない。また、ニーズがあってもそれに対応できるシーズがなければ商品開発が不可能。そこでこの時代、「ニーズとシーズの出会い展」などと称する製造会社と商社の交流会が盛んに開かれた。

January 15, 2009

パソコンに未来はあるのか?

今や現役世代はパソコンを使えなければ生きる資格がないとでも言うような風潮である。しかし今のパソコンに商品としての未来はあるのだろうか。今のパソコンのあり方に対する疑問が日々にふくらんでくる。

今のパソコンは、一般消費者向けの商品としては大きな問題をいくつも抱えている。そしてそれは、システムとしてのパソコンの基本設計に由来している。

そもそもパソコン、特にPC-AT互換機と呼ばれる今の主流であるタイプは、有る程度の専門知識を持つ者が運用するという前提でシステムが設計されている。その結果、パソコンは使用者自身が日常的なメインテナンス(保守作業)を行う必要があるシステムになっている。それを有る程度回避するため、ウインドウズではウィザードと呼ぶ自動処理を組み込んでいるが、これがまた種々のトラブルの元になっている。さらに、知識のない使用者を支援するために、外部からパソコンを操作する仕組みを多数組み込んでおり、これがセキュリティ(安全性)が基本的には保てない原因になっている。

また、有る程度の知識を持つ者が日常的なメインテナンスを行うという前提から、一般消費者向け商品として不可欠な法定耐用年数や安全基準が定められていない。また、プログラムの欠陥の修正作業は使用者自身の責任で行わなければならないような仕組みになっていて、プログラムの欠陥によって使用者に損害が生じてもメーカーは責任をとらなくても良いことになっている。これは一般消費者用の商品としては重大な欠陥であり、現在のパソコンはハードウエア(形のある部分)もソフトウエア(形のない部分)もともに、本質的に欠陥商品であるといわざるを得ない。

従って、今後パソコンが一般耐久消費財として使われ続けるためには、パソコンというシステムのあり方を根本的に考え直すべきであり、今のようにトラブルの責任を一方的に使用者に押しつける姿を続けてはいけない。

また今のパソコンは、マニアが遊ぶゲーム(ハイスペックゲームと呼ばれる)用途を除いては、既に性能過剰になっている。特に、情報端末として使用する分には5年前のパソコンでも十分すぎる性能がある。一般消費者用パソコンとしては、高性能化よりもセキュリティを含めた高信頼性を目指すべきだろう。それには、基本的にセキュリティが保てない仕組みになっているPC-ATとウインドウズの組み合わせから脱却する必要があるのだが。

物言う株主の時代の終わり

ついこの間までもて囃された「物言う株主」が悪役に転落する時代になったようだ。

つい最近まで、高配当をつけるため、「物言う株主」たちは、人減らしに大なたを振るう経営者を賞賛してきた。しかし今、そのような経営者は非難を浴びる時代になり、高配当のため従業員を犠牲にすることを要求する「物言う株主」にも冷たいまなざしが向けられるようになった。

「物言う株主」は今や悪役であり、低配当に甘んじ、沈黙を強いられる時代になったのだ。そして、「物言う株主」に媚びへつらい、雇用の確保を顧みない経営者もまた退場を迫られる時代になったのだ。

雇用無くして消費無く、消費無くして好景気もない。政府財界はそのことに留意すべきだ。

January 14, 2009

渡辺氏の離党

渡辺氏の離党の理由が次第にはっきりしなくなってきた。

当初は行政改革が進まない事への不満と報じられていたが、最近は国民無視の麻生政権への反発と変わってきた。

行政改革、特に公務員制度改革は多数の解雇者を生み、また組織変更に伴い多額の費用も必要とする。現在の経済事情を見れば、今景気雇用対策をさしおいて、それを緊急課題として行うべきかどうかは一目瞭然だ。そのあたりについての批判を受けての主張変更かもしれないが、突き詰めてみれば党内での孤立が原因と言うことだろう。選挙対策として政権批判が自由にできる環境を選んだと言うことでも有ろう。

民主党にとっても、渡辺氏の離党はとまどいがあるようだ。いま民主党に受け入れても、多くの失業者を生む公務員制度改革推進を民主党が優先すべき政策としてぶちあげられては困る。それが、積極的に入党勧誘へと動かなかった理由だろう。

麻生氏「さもしい」を撤回

結局のところ、難しい言葉も知らないわけではないと言いたかっただけのことか。

January 09, 2009

うんざり

首相は党内根回しをせずに俗受けしそうなことを言い、根回しの無かった大物の反発を買って発言を後退させる。小泉氏は党内調整という習慣も破壊したらしい。

小沢氏は自民党に否決させるための法案を連発。選挙で有利と考えてのことだろうが、あまりにも見え透いていてこれにもうんざりする。

与党も野党もすることがでたらめになってきた。

January 07, 2009

イスラエルはナチスドイツ顔負けのテロ国家

イスラエルの行為はとても正当な防御行為とは言い難い。特にパレスチナの強行派を幼児も含めて家族ごと殺戮するのは非人道的で許し難い。これはナチスが、サボタージュや不服従行為を押さえ込むため、人質や一般人を虐殺した以上の残虐行為だ。

もはやイスラエルは、20-21世紀を通じて最悪の非人道的テロ国家というべきだ。イスラエルに較べると、北朝鮮ごときは全く足下にも及ばない。

January 06, 2009

またもや失言

またもや閣僚(政務官なので正しくは閣僚ではないが)の失言。最近、かつての大学紛争をこき下ろすのがはやっているのでそれに乗っての発言だろう。批判する方も、大学紛争になぞらえて批判するのは無礼だと、やはり大学紛争を馬鹿にしているのは同じだが。

どちらもメディアでのはやりに無批判に便乗しているのだが、このような風潮は1980年代以降の脱戦後教育がもたらした物だろう。当時の脱戦後教育では、戦後教育が自立心と批判精神を重視した反動で、政府や権威に従順な人間を作ろうとした。それが他人による格付けや、マスメディアでの流行に無批判に依存する、今の風潮の元になっている。

一方政治の世界で言えば、行政改革で官公庁の数を減らした際に、大臣や政務次官のポストの減少を補うため、副大臣や政務官といった新ポストを大増設した。その結果、水増しされたポストに見合う人材が不足する状態になったということも否定はできなかろう。また、小泉チルドレンや公募で即製された議員などの知性も経験もない者が多くなったこともあるだろう。その結果、多少議員歴が長ければ能力に関わりなくポストに配分しなければならない(つまり人材に較べてポストが多すぎる)と言うことだ。

ついでに言えば、小泉チルドレンも権威に従順で権威に対する依存心が強いという点で、まさに脱戦後教育の申し子といえる。

追記;定額給付金を受け取るかどうかすら、国会議員たちは自分では決められないようだ。受け取れるよう党議で決めてほしいなどの要望があるそうで、全く情けないことだ。脱戦後教育による自分一人では判断できない病は、斯くのごとく日本に蔓延している。

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