農業の省力化
農業の省力化と言っても、粗放化と言うことではない。
これまで、日本の農業は労働集約化を基本としてきた。このため、手間暇をかけて作物を作ることをこだわりの農業と言って賞賛する。しかし、農業の高齢化が進み、農業従事者も減少の一途をたどる今、こだわりの農業を賞賛するだけでよいのかどうか疑問がある。
一つの例をぶどうにとって見よう。日本では種なしぶどうが普及しているので、ジベレリン処理による種なし化が当然のように行われている。これに対して、欧米では皮も種もそのまま食べられるぶどうが普及している。これを比較すると、日本の場合は一つ一つの房をジベレリンで処理するという余分の労働が必要だと言える。もちろん、欧米の丸ごと食べられるぶどうは、そのために品種改良されたものであることは言うまでもない。つまり、日本の場合は手間をかける方向で改良が行われ、欧米の場合は手間をかけない方向で改良が行われたことになる。
かつての農村の労働力が潤沢であった時代とは異なり、高齢化と都市への人口集中によって農村の労働力は不足している。そんな現状を考えると、省力化を可能にする技術と品種の改良がもっと積極的に進められて良いと思うのだがどうだろうか。
品種改良案(思いつくまま);
1.丸ごと食べられるぶどう(日本の気候向きに改良する)。
2.種ごと食べられるスイカ(薬剤処理が不要なもの)。
3.柵や棚なしで栽培できるメロン類。
4.バイオエタノール原料用作物(特に稲の裏作として栽培できるもの)。
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