「勝ち組」、「負け組」、「負けず組」
しばらく前からのはやり言葉に「勝ち組」「負け組」がある。客観的な基準など無い人生の勝ち負けをどう判断するのかと首をひねっていたが、今度は「負けず組」だそうだ。
死を目前にして、心から「面白い人生だった」言えればその人は人生の勝ち組だと思う。しかし一人一人の価値観は全く同じではありえないので、他人の満足が自分の満足とは異なることもまた当然である。
結局のところ、その人にとって人生が「勝ち」だったのか「負け」だったのかは、他人には決して評価できない、評価したとしても、その評価者の価値観ではと言う意味でしかない。そんな評価しかできない事にはたして意味があるのだろうか?
たとえ、それが他人から見れば砂山に砂粒を一つずつ積み足すような事であるとしても絶えず努力を続けること、そして死を目前にしてその到達点を心から「満足だ」と言える強靱な精神を作り上げる事ができた人が人生で勝った言えるのだろう。
私はまだ、そういえるだけの修養ができていない。
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