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November 13, 2020

姓廃止論

夫婦別姓が男女平等の象徴のように言われているが、中国や韓国の別姓はかつての日本の女紋と同じで姻戚関係を示すための物で男女平等とは関係が無い。 女性本人の価値よりも実家の名声が重視された時代の、むしろ女性蔑視の産物だ。

それでは男女平等のためには姓を無くしてしまう方が良い。 明治以前の日本の平民は姓が無くても不自由をしてはいなかったし、今も世界には姓を用いない国や民族がいくつもある。 明治政府は四民平等の象徴として、貴士族と平民が共に姓を持つことで身分間の差をなくすことにした。 これには西欧諸国の多くで姓が用いられている事も影響していただろう。

姓を無くしてどうするのか? かつての日本のように屋号や出身地を付け加える方法がある。 森の石松や清水次郎長のようにだ。 これはルネッサンスのイタリアの庶民でも、レオナルド・ダ・ビンチ(ビンチ村出身のレオナルドの意味)のように使われていた。 また、ロシアやイスラム圏では父称が、イワン・イワノヴィッチのように用いられていた。 ヨーロッパでも近世以前の庶民は姓が無く、職業、屋号、出身地、父称などが識別に用いられていた。 イスラム圏では今もこのやり方が用いられているようで、他にもエチオピアやアフリカの一部でも同様のようだ。

だから、日本でも姓を用いない選択があっても良いように思うのだが。 逆に西欧のように姓を重ねる選択もあって良いだろう。 要はいろいろな選択肢があって良いのではと言うことだ。

(2021/12/18 加筆)

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