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November 03, 2019

表現の不自由とは何か?

芸術表現の自由が制限されているという主張があるが、その根拠は私には芸術家の甘えに見える。

古来先鋭的な芸術は、当初は世の大勢に受け入れられず、そのため公的な展覧会には受け入れられてこなかった。 あの印象派ですら、当初は公的展覧会であるサロンには受け入れられず展示を拒まれた。 その後のピカソ達の抽象画も同様だった。 そこで彼らはどうしたか? 彼らは嘲笑と非難を浴びながらも後援者を見つけ、自分たちで借りた会場で展覧会を繰り返し開き受け入れられるための努力をした。

今に名が残る作家達はそんな努力をした末に世に受け入れられたのだ。 しかし受け入れられずに終わった芸術家達もその数百倍はいるだろう。 その中には後援者を見つけられず、展示の機会を得られずに終わったものも少なくないだろう。 それは今でも変わりは無いだろう。

だが、今の日本には公的展示会に受け入れられなかったため憲法で保障された表現の自由が侵害されていると主張するものがいる。 そんな主張をモネやピカソが聞いたら、公的展示会に展jしてもらえないのは権利の侵害だと言う主張を聞いたら笑い出すだろう。 先端的な芸術は常に伝統派からは受け入れられないものだし、アヴァンギャルド芸術はしばしば国家と対立するものだ。 だが過去の芸術家は国家に受け入れられるかどうかなど気にはしなかったし、そもそも国家になにかを期待することなどしなかった。

公的展示会に受け入れられなかったら、自分で展示の場所を作れば良い。 その芸術に普遍的価値があれば後援者が見つかるだろうし、やがては世に認められる。 過去の成功した芸術家並みなそうして来たのだ。

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