御物の職人達
正倉院点などで御物を見ると、そのたびに制作技術の素晴らしさに感嘆する。 これらは中国から遣唐使が持ち帰ったものと、遣唐使が伝えた技術や渡来品を見た日本の職人が作ったとされている。 しかし本当にそれだけだろうか?
あの時代の奈良には唐やインドから渡来した僧侶などがいたと伝えられている。 ということは遣唐使船以外にも大陸との往来が有り、僧侶以外にも職人達の往来も有ったのではないだろうか。 日本の職人が中国に行って技術を学び、あるいは中国の職人が新天地を求めて日本に来て技術を伝えた、そんな職人が何人もいた可能性を私は考える。
倭国の時代、倭人は船を操って大陸との交易を行っていたとの記録が魏志倭人伝などにある。 それが数世紀下っただけで航海技術が失われて出来なくなったとは考えにくい。 戦乱を逃れてやってきた朝鮮半島人以外にも様々な動機でやってきた渡来人がいたろう。 国使船以外にも大陸と行き来する船が有り民間交易を行っていたと思われるし、そんな船を利用した人の往来もあったはずだ。
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