屋内禁煙条令への違和感
私は非喫煙者だが、最近の禁煙法令化の動きには違和感がある。
それはどことなく今の日本の全体主義化と共通の精神を感じるからだ。自宅で喫煙するかどうかはきわめて個人的な問題で、一緒に住んでいる者で話し合って決めればよいことだと思うし、飲食店で喫煙を認めるかどうかは経営者が見目レバよいことだと思うからだ。たばこの煙がいやな者は、喫煙を認めている店には入らなければよいだけのことだ。経営者はその結果である客の入りを見て禁煙/喫煙を変えるかどうかの経営判断を自分ですれよいだけのことだ。
そもそも、禁煙の店と喫煙家の店がともにある状態で、嫌煙者が喫煙可の店に入ることを強制する物は何もない。店に喫煙可の表示が出ていれば他の店にゆけば良いけのことだ。にもかかわらず、喫煙可の店の存在は一切認められないというのは全体主義以外の何物でもない。
背景にはこの数十年目立つ「みんな一緒」あるいは「みんなで~する」という指向で、この背景には自分の責任で判断して行動することを嫌い空気を読むことを強要する傾向があるように思う。これはまた、自分がみんなと同じでなければ不安で、自分と同じ行動をしない独立独歩の人間に恐怖を感じるということがあるのだろう。それは全体主義の根底に横たわるもので、現在の日本の全体主義化の原因はそのためだろうと考える。そしてそれは「みんな同じでなければならない」という学校教育ですり込まれたものだろう。
最後にもう一度繰り返すが、飲食店で喫煙を認めるか否かはその店の経営者の経営判断で決めれば良いことだ。あえて法律で定めるとすれば、禁煙店喫煙店かを明示するサインを見えやすいところに掲げることぐらいだ。喫煙者専用の店があっても良い。
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