インフラの老化は手塚治虫氏の責任?
高度成長期に作られたインフラ施設の老朽化が進み、その維持管理が問題になっている。一部には高度成長時代の安普請を非難する向きもいる。
しかしその非難は手塚治虫氏が負うべきかもしれない。なぜかと言えば、当時の技術者たちや政治家たちは21世紀になれば鉄腕アトムに描かれているような世界になり、今自分たちが作っているような設備は陳腐化して撤去されてしまうに違いないと無意識に感じていたからだ。つまり、彼れらにとっては自分たちが作った物が50年を超えて永く使われるなどと言うことは想定外だったのだ。
アトムの世界やその当時盛んに書かれたSF小説や映画では、21世紀初頭になれば車はみんな空を飛ぶ事になっていた。しかし現実の21世紀の初頭では、車はいまだに地べたをタイヤで走っている。そしてエネルギーは核融合発電や質量エネルギー変換技術によってクリーン化され、大気汚染は貧困国の貧困都市だけの問題となっていると予想されていた。しかし、現実にはエネルギーは相変わらずダーティーなままだ。
かくして、インフラシステムは20世紀中期の予想より遙かに遅れたままになっているし、エネルギーのクリーン化も20世紀中期から後期に考案されたシステムに頼っている。その原因はどこにあるのか?、それは国家も経済界も目先の利益を生まない技術開発に嫉視するのを拒んできたからに他ならない。それは税金を払う国民も同じなのだが・・・・。
いずれにしても、21世紀の社会を支えるべきシステムの開発を怠ってきた結果、今の我々は旧態依然たる19世紀と20世紀の技術に頼って行かなければならない。その結果50年後の世界がどうなるのか?それは今を生きる我々の選択にかかっている。
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