世論に従うのがよい政治か?
常に世論に従うのが良い政治だろうか?私はそうとは思わない。
民主主義政体においては有権者の投票によって行政がなすべき事が定まる。それが根本原則である。しかし、有権者の選択が常に最善ではなく、むしろそのときの選択として最悪である場合もある。これが民主主義の弱点だ(欠点とは言わない)。そして困ったことに、有権者の多くが自分の選択が最悪である場合もあり得ることを認識していない。その結果、民主主義政体ではしばしば愚かな政治的暴走が起きる。
民主主義政体は、有権者が広い視野を持ち、理性的な判断ができることを前提としている。しかし現実の有権者は感情的で視野が狭く、目先の利益を追い求める傾向が強い。そして容易にメディアの報道に煽られて暴走する。教科書に書いてあるようには振る舞わないのだ。
そして、民主主義政体で政務をになう代議員たちは、選挙で選ばれる為に有権者に迎合し感情を煽る。その結果、必要であっても不人気な政策は放置され、手遅れになって重大な生活困難が生じてもそのままにして置かれる。多くの場合、不具合の責任は政策を選択した有権者ではなく、国民が選択した政策に従って実務を行った行政官に押しつけられる。これが民主主義の現実だ。
かようにして、民主主義政治はしばしば衆愚政治におちいる。それを防ぐのは、不人気であってもなさねばならぬ事をするよう説得する有能な政治家なのだが、それも有権者の愚民の度が過ぎると効果がない。愚者は自分の耳に心地よい言葉にしか耳を傾けないからだ。そしてその政治家は議席を失い影響力も失う。よって、ひとたび衆愚政治に陥った国は国家崩壊に向かって突き進む事が多い。現在その国家崩壊の瀬戸際にいるのがギリシャだ。
それを止められるのは、不愉快でもなさねばならぬ事をするよう訴えるメディアの活動のみだ。しかし今の日本のメディアは、世論世上主義で有権者に媚びる報道しかしない。このままでは、国家崩壊への道を歩んでいる日本を止めることは難しい。
ある日突然、国家崩壊の瀬戸際にいる事に気付いても、日本のメディアと大衆は与党と官僚を非難して何とかしてくれと叫ぶだけだろう。そこへ至る道を、自分たちが選択した事には気づきもしない。それが今の日本の有権者の政治的水準だ。
民主主義政体において、その国の政治の質は、有権者の質以上には決してならない。ある国の政治が三流なのは、その国の有権者が三流だからだ。日本の政治が三流だと叫ぶ者は、自分たちが有権者として三流であることを直視しなければならない。
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昔は軍部、今は官僚。彼等に政治責任はない。
我が国の政治責任は、政治指導者の手の中にしっかりと握られている。
政治家は、国民の代理人。我が国は、主権在民である。
軍部・官僚は、効率よく政治を行うために雇われた要員にすぎない。
官僚は、政治家からの頼まれ仕事に汗をかく人たちである。
軍部の暴走・官僚の横暴を抑えられない政治家は、その存在をゆるされるはずもない。
自分の飼犬を調教できない飼い主を選ぶのは、有権者の無責任であろう。
とかく、この世は無責任。
一億総玉砕と一億総懺悔ばかりを繰り返すのではたまらない。
国のありようは、国民一人一人のありようで決まる。
民主主義は最低だ。しかし、それを超える制度は存在しない。
我々有権者はもっと頭を鍛えておこう。
現実肯定主義にとらわれて、現実の矛盾を指摘できない。矛盾解消に向けて総決起できない。
立ち上がるための内容がない。だから、おとなしい。
意思のないところに解決策はない。意思 (will) は、未来時制の内容である。
日本語には時制がない。無為無策には、閉塞感と諦観が待ち受けている。
自分に意見がなければ、相手の言いなりになるしかない。「よきにはからえ」か。
我々の政府は、軍部の言いなりになるか、官僚の言いなりになるか、それともアメリカの言いなりになるのか。
この道は、いつか来た道。ああ、そうだよ、民族の歴史は繰り返す。
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Posted by: noga | June 07, 2012 06:50 PM