外国人が多すぎる
フランス大統領のサルコジ氏が「フランスには外国人が多すぎる」と言って移民排斥を主張しているそうだ。
しかし考えてみればサルコジ氏自身も東欧からの移民の息子だ。自分の両親を排撃しているようにも聞こえる。「自分のことを棚に上げて」とも言える。
ただ、ヨーロッパ人にとっての外国人とはヨーロッパ外から来た人たち、特に非白人と非キリストを指すことが多いようだ。ヨーロッパのキリスト教徒にとってキリスト教徒でない者(異教徒や不信心者)は信用できない人々であり、キリスト教徒でも非白人は最近になってキリストを認めた下等な存在と言うことのようだ。従ってサルコジ氏の両親が東欧からの移民であっても、白人でキリスト教徒だから外国人ではないと言うことなのだろう。
とすれば、非白人でかつ大部分が非キリスト教徒である日本人は差し詰め外国人の代表格だ。
注;
キリスト教徒にとって「異教徒」とはキリストを崇拝しないユダヤ教徒とイスラム教徒をさす。つまり同じ神を崇拝するが教義の異なる者達だ。
これに対し、不信心者とは旧約聖書に述べられた神(キリスト教の呼び名はエホバ)を崇拝しない者達全てだ。そして厳格ななキリスト教原理主義者にとってエホバに従わない者は全て悪魔に属する忌まわしいものと言うことになる。
追記;
キリスト教以外を抹殺しようとするキリスト教の性格は中世も今もあまり変わっていない。最近もローマ教皇が、西アフリカで土着宗教がキリスト教と混在して信仰されているのはけしからんから禁止しろと命令したばかりだ。また、日本にも初詣の人たちに「おまえたちは罪を犯している、永遠の地獄に堕ちるから悔い改めよ!」と非難を浴びせる集団がいる。日本人のキリスト教徒が、初詣に行くのに対しても禁止令が出るかもしれない。
そう言えば、ネットで過激な発言をし「日本は神道国家だ!」と叫ぶ「ねとうよ」が神道を軽んじるとしてキリスト教を非難したという話はついぞ聞かない。やはり日本人は宗教に寛容、別の言い方をすると鈍感なのだろうか。それとも「ねとうよ」もやはり、明治「維新」以来日本人がたたき込まれてきた「西欧の物事は良い物である」という西欧崇拝が染みついているのか。
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