ディベートとディスカッション
どちらも「討論」と訳されることがあるが本質は全く異なる。
ディベートは本来相手を論破して勝敗を争うもので、そのために相手を論理的矛盾や袋小路に追い込んだり誘い込んだりするための数多くの技巧が用いられる。また、どちらが勝つかは道徳的あるいは倫理的な正邪には関係しない。具体例を一つあげるとすれば、弁護士が法廷で行う弁論がこれに当たる。弁護士は依頼者に有利な結論や判決を獲得することを義務づけられているので、依頼者の正邪にかかわらず相手を論破することにつとめる。
これに対しディスカッションには勝敗を争う相手が存在しない。それはディスカッションはより多くの知恵を集めてよりよい結論を目指すという性格のものだからだ。より多くの異なる視点から参加者が目標にいたる提案をし、それを比較しあってよりよい回答を追求する共同作業だ。そして、その時点で最善の回答が得られれば、参加者全員が勝者となる。
しかし最近の政界を見ると、ディベートだけが存在し、ディスカッションが存在しない。与党が野党になると、前野党と同じ事を主張し同じ行動をする。野党が与党になると、前与党と同じ事を主張し同じ行動をする。これでは、ディベート大会で立場を入れ替えて得点を競っているのと同じで政権交代の意味がない。
総会での党首演説や代表質問ならディベートでも良いが(一種の儀式だから)、委員会ではディスカッションをして、議案をよりよいものに練り上げてもらわなければならない。何が何でも反対、あるいは何が何でも賛成はディベート大会だけにしてもらいたい。党議拘束など禁止して、自由な討論を行えるようにすべきだ。
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