「可哀想」が子供を駄目にする
子供を「思いやる」教育が始まって、もう長くなった。
その間、授業日数が多いのは可哀想だ、勝ち負けを決めるのは負けた子が可哀想だ、成績などの序列をはっきりさせるのはできない子が可哀想だ、中学に進学して環境が変わるのは可哀想だ、などと言って、子供を保護することを強調する教育がはびこってきた。しかし、これは子供達が本来備えている能力を過小評価し、それが伸びることを阻害している。そしてその結果、大人として社会に適応できない若者を大量生産している。
子供は本来競い合い、勝ったり負けたりすることで社会性を身につけるものだ。その過程で、子供達は敗北や失敗を経験し、精神的にそれを乗り越える能力を身につける。大人よりも、幼い子供の方がそうしたことに対する適応力は大きい。だから、子供達からそうした経験をする機会を奪うことは、社会に対する適応力を身につける機会を奪うことであり、後に社会不適応の不幸な大人に育てる原因になる。
古来、「かわいい子には旅をさせよ」という言葉がある。これは、子供のうちに軽度の失敗やトラブルを経験させる方が子供のためになるという事を説いている。虐待は論外だが、子供が可哀想だからと、敗北、失望、そして環境変化などを全く経験させないことは、子供を不幸な大人にするもっとも確実な方法だと知るべきだ。
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