謝罪会見は総括と同じ
「総括」とは学生運動華やかなりし時代に、過激派の中で行われたつるし上げ集会のことだ。
当時の過激派の内部で、「指導部に反抗的である」、「熱意にかける」、「外部に内部情報を漏らした」などとの嫌疑をかけられたメンバーを集会に呼び出し、壇上にさらし物にしてよってたかって非難を浴びせ、自己批判を要求する。言ってみれば一種の「集団いじめ」なのだが、参加者の中には「組織に対する忠誠を示す機会」、「運動に対する熱意を示す機会」と考える者、積極的に糾弾することで自分が「総括」にかけられることを避けようとする者、さらには単にそのような行為に快感を覚える者などがいて、総括にかけられた者にとっては悲惨な状態になり、中には自殺する者もいた。
最近の芸能関係者の不祥事に関連して行われた「謝罪会見」を見て、これはかつての「総括」と大差がないと思うようになった。記者たちがよってたかって当事者をつるし上げ、当事者たちが必死に謝罪の弁を述べる。これは「総括」での光景を思い出させる。
「他人の不幸は蜜の味」という言葉があるが、これは国民の多くがその蜜の味に麻薬のように中毒しているからではないだろうか。集団によるいじめの傾向が強まる中で少々気になる現象だ。私は「自宅謹慎」で十分だと思うのだが。
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