かわいそう
「可哀想たあ惚れたってことよ」とは夏目漱石の作中人物が、「Pity is a kin oflove」の訳語として言った言葉だが、近頃は「かわいそう」が氾濫して子供たちに有害になっている気がする。
小学校では、負ける子供が可哀想だから運動会で勝敗が付く種目はしない。あるいは、進度の遅い子供が可哀想だから書き取り競争や計算ドリルをしない。あるいは小中一貫教育の根拠として、進学して環境が変わるのが可哀想だからという。子供たちはこんな調子で「かわいそうだから」と言われ続けて、すっかり被害者意識を植え付けられているのではないだろうか。
中学進学で環境が変わるのは「かわいそう」ではない。むしろ子供のうちから環境変化になれさせるという点でむしろ好ましい。中学に入って他の小学校からの進学者と一緒になると、男の子たちはクラスの中での自分の順位を探るのが最初の仕事だし、女の子たちは自分がどのグループに入るのがいいかを探り始める。こうして、新しいクラスでの自分の位置を確認してから同級生のつきあいが始まる。時には喧嘩をしなければ順位が決まらないこともあるが、大して深刻なものではなかった。なぜかと言えば、小学校の時からクラス替えの度に繰り返してきたことだからだ。
私にとってはそんなことよりも、短いスカートで跳ね回っていた女の子のスカートが長くなり、急に裾を気にし始めたのが新鮮で胸がどきどきした。男の子同士の力量比べよりもそちらの方が気になっていた。小中一貫教育ではそんな経験もできなくなるのだろう。そちらの方が「かわいそう」だ。
受験にしても、大学全入が可能なこの時代でも勉強が大変で可哀想だという。
大学受験が大変だったのは我々団塊の世代でも同じことだった。当時の大学進学率は今と比較にならないほど低く、中卒で就職するのすらごく普通のことだった。当時でも「受験戦争」だの「狭き門」あるいは「灰色の受験時代」などとマスコミははやし立てていたが、我々にとっては大学を受験する以上勉強は当たり前のことで、特に自分たちが可哀想だと思ってはいなかった。むしろ、中卒や高卒で就職する仲間たちに較べて恵まれているので文句を言うのは情けないと思っていた。
しかし当時は受験者に較べて入学定員が少なく、合格倍率は今より遙かに高かった。2倍以上は当たり前で、国大の医学部などでは5~10倍もまれではなかったのだ。そこで我々は懸命に勉強せざるを得なかった。
といっても、私大医学部などでは「裏口入学」はごく当たり前に行われていたし、「あの大学には非公開の関係者推薦枠がある」というのも半ば公然とささやかれていた。それでも受験生の多くは、志望の大学に自力で合格することを目指してがんばっていたのだ。
とは言っても、我々は当時マスコミが言っていたほどは深刻ではなかった。深夜まで勉強するときは深夜ラジオで気を紛らわしていた。番組も「オールナイトニッポン」などいろいろあり、塚田茂、前田武彦、青島幸夫などの各氏のユーモアにあふれたお喋りや、モンティ本田氏などのDJを聞き流しながら勉強していた。そういえば森山良子氏も兄たちの番組に出て「この広い世界一杯」を一生懸命作っていたこともあった。そして極めつけは高石友也氏の「受験生ブルース」だ。疲れたときにこれを聴くと、これぐらいしゃれのめして明るく行こうぜという気になったものだ。
所詮競争は人生の一部で、勝つ者も負ける者もいる。結果は努力と時の運で仕方がない、それを避けていれば始めから負けているというのが我々の感覚だった。
でも、今は「かわいそう」が優先で競争をさせようとしない。また、変化のないぬるま湯の中に子供たちを留めておこうとする。結果として、それが子供たちを競争に耐えられないひ弱な人間にして不幸にしている。
子供のうちの失敗や敗北は後でいくらでも取り返せる。負けたからと言って、親が深刻に騒ぎ立てるべきではない。子供たちを幼いうちから変化や競争での敗北に馴らしておく方が、大人になってから競争に耐えることができるのだ。大人が勝手に「かわいそう」と決めつけて、再挑戦の機会がいくらでもあるうちに競争や環境の変化を経験させないのは、子供たちの将来にとってむしろ有害だ。
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