四十、五十は洟垂れ小僧
かつて、「政治家の四十、五十は洟垂れ小僧」と言い放った大物政治家がいた。当時は60代、70代の大物論客が国会の内外で論戦と根回しの主役になっていて、一般に40代は使い走り、50代は裏方だった。そうした経験を積んで、政治の裏表を知り尽くした者が次の主役になっていたのだ。
しかし今は、あまり経験のない者が若ければよいとばかりに祭り上げられ、結果として大失敗を繰り返している。安倍氏然り、赤城氏然り、前民主党代表もまた然り。
現状の大混乱を収拾する為には、老練な政治家の中継ぎ登板が望ましい。安倍氏では無理と見て、自民党内では福田氏担ぎ出しも囁かれているようだ。しかし、はたして本人が登板を望むかどうか。
追記(2009/07/08);
当時の政治は、人を動かすための人脈と経験が不可欠だった。その点、四十代、五十代は人脈も経験も不足で影響力のある人たちを思うように動かす事ができなかった。従って、人脈、経験が一応の水準に達し、体力も気力もある六十代からが一人前の仕事ができるのだということをこの言葉は表している。
これは逆に言えば六十代で老けているようでは政治家として失格だという事でもある。企業経営者も政治家も名をなすには体力と健康が必須なのだ。さらに言えば、良い意味での厚顔さも。
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