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June 13, 2004

戦士と兵士

数日前の朝のことだが、例によって港を見下ろす坂道を下りながら考えた。

「今の米軍には兵士しかいない」と。

私は「戦士(Warrier)」と「兵士(Soldier)」とは全く異る存在だと思う。

「戦士」は誇りを抱いて戦う人たちであり、「兵士」は恐怖を抱いて戦う人たちである。 「戦士」には文化の違いによって多少の違いがあるだろうが、誇りを持って守るべき戦いのルールがあり、これには「名誉ある勝利」、「不名誉な勝利」、「名誉ある敗北」、「不名誉な敗北」、そして「死が避けられないときにはいかに死ぬべきか」などが含まれている。 さらに戦いのルールに反する命令を拒絶することは名誉ある行為であり、不名誉はルールに反する命令を下した上官の側にある。

これに対して、「兵士」は上官の命令が全てであり、たとえ非人道的な行為であっても上官の命令であればそれに従わねばならない。 また、「生き残って勝つこと」が戦いの目的であり、戦いの中では「人道」など存在しない。 米軍自体がこの方針に沿って構成されており、「敵対勢力」に属するものであれば、「戦闘員」であろうと「非戦闘員」であろうと区別無く攻撃の対象としている。 米国の主張によれば、イラクでもアフガニスタンでも、米軍の「兵士」たちは上官の命令に従って非人道的行為を行っただけで罪は軽いとしているようだ。 しかし、第2次世界大戦では上官の命令で同じような行為を行って重罪とされたドイツや日本の兵士たちが多数いた。

正邪の基準が、自国の行為に対するものと他国に対するものでは異なっているのは米国の常であり、今回も見苦しい言い訳を並べ立てている。 米国には「信仰(Constancy)」はあるが、「揺るぎない信念(Constant belief)」は無いようだ。

ひるがえって見れば、日本には「政治(Politics)」はあるが「政策(Polisy)」がない。 それは、米国も同様ではあるが。 長くなるのでこの話はまた別稿にしよう。

2004.06.13 馬納戸昇(UMANANDO NOBORU)

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